動く
太正十三年。

苛立つ米田。

支配人室で、拳を振り上げて受話器に叫ぶ。

夕日はわずかに顔を覗かせているだけで、
周囲は薄暗くなり始めていた。

「なんで月組を花やしきに向かわせないんですかぁ!!」

響く、怒号。
米田は焦っていた。

受話器の向こうには、
当然、帝撃上層部、賢人機関の姿があるのだろう。

『月組は別の指令を送っている。
 総司令の君には悪いが、好き勝手に動かされては困るんだよ』

米田よりも年老いた男の声。
実に偉そうだ。

部下への謙虚さがない。

「………ッ!!」

米田はいきどおりを覚える。

彼が拳を机に突き立てて、いきり立っていると、
受話器の向こうの男は続けた。

『それに敵の目的は花やしきの技術だそうじゃないか。
 李紅蘭の命までは奪いはしないだろう』

なんとも、楽観的な判断である。

これだから、上層部は現場を解っていない。

米田は煮え繰り返るような頭を冷静に保ち、
深呼吸をして息を荒がせた。

「花やしきには七体の光武があります!
 それも最新式の次期花組主力兵器です。
 奪回されれば、圧倒的被害をこうむるのは目に見えてます!!」
 
解りやすいよう、数字を用いて説明する米田。

彼も伊達にこの生ぬるい上層部と付き合っていない。

だが、その時の返事は、
期待にそむくとかそういう次元のものでもなかった。

受話器の向こうの男は、
ごほんと一呼吸おいて言った。

『それにしても、また作れば良いだろう。
 米田君、どうか冷静になってくれたまえ』

「……ッ!!!」

元が江戸っ子の米田には
これは明らかに暴言にしか捕らえられなかった。

彼の発言に、間髪入れず、
米田は激昂する。

「俺は至って冷静だッ!!」

そう叫び、その堅苦しい受話器を蒸気電話に叩きつけた。

口では冷静だと言っても、
その口調は冷静じゃなかった。

当然である。

彼は知っていた。

賢人機関が、月組に何を調べさせているのかを。

そして、その途方も無い調査計画内容を。

彼らが突き動かされているのは、
ただの保身からである事は、
贔屓目に見ても明らかだった。

その目的とは帝国華撃団に隠れる、
敵の存在を確かめるため。

先の大戦終了後、徐々に徐々に帝撃上層部内での、
噂は大きくなっていた。
当然、米田の耳にも入っている。

"降魔以外の帝都に宿るもう一つの敵"

確かにその存在は恐い。

だが、そんな事は、
今は関係無いはずだった。

別に帝都を破壊されているわけじゃない。
何かを仕組まれているわけじゃない。

敵はまだその姿すら、見せていない。

それなのに、今、死に直面している花組隊員を置き去りに、
上層部は動いている。

それがどうしよう無く、
彼らを止められない自分にも苛立ったし、
打破できない現状にも腹が立っていた。

「………」

苦しそうに、切なそうに、
目をしかめる。

その現場にいない自分を呪う米田。

彼の守りきった帝都は、
今だ平和ではないらしい。

全ての責任を投げ捨てて、
行こうかとも考えていた。


─────────────────────────………………………


「………」

かすむ視線。

まだらな食事の配給による、空腹。

そして、何よりこの、食い込む機械ワイヤーが痛くて、
紅蘭の口数は減っていた。

その頃になると、
刺客者達の動きも安定する。

人質の面倒をみなくても済むからだ。

この途方もない篭城劇を、
彼らは各々の楽しみ方で満喫し始めていた。

何せ、帝国華撃団側の動きというか、
対応があまりにも遅い。

この現状に、梔子と斎垣は黙って紅蘭の監視をしているものの、
やはり暇つぶしを楽しむ他無かった。
たわいも無い話をしている。

一応、指揮担当の水嵩はこの現状に、
幾分か警戒をしているものの、
今日もデータ収集に余念が無い。

そんな日が続いて、
もう四日目ぐらいだった。

「あー……。
 あれだねぇ」

蒸気空調機に尻をのせ、
仰向ける梔子がぼやいた。

隅には、巨躯の男、斎垣があぐらをかいている。

「………」

頭を垂れ下げた李紅蘭。
二の腕には何筋もの腫れがある。

あまりに帝撃側の動きが無く、
これ程の長期は予想していなかった刺客達。
その為、刺客三人は李紅蘭の人質としての面を考え、
数時間おきに機械ワイヤーを解いていた。

その度に腫れは増え、
紅蘭は、わずかな自由と引き掛けに新しい腫れと疲労を得る。

それらを見つめていた、
梔子がつぶやいたのだった。

「あんた達のお仲間さん、一体どうなってるのよ」

彼女は、同じ女の紅蘭が縛られる姿に、
少し苛立ちを見せ始めていた。

正直、別に縛る事は無いのではとも思っていた。

「………」

紅蘭は薄れる意識の中、
梔子が何を呼びかけてきたのか聞き逃す。

そろそろ痺れを切らすんじゃないかと、
斎垣は横目で梔子の様子を探った。

「止めとけ。
 また水嵩に怒られるぞ」

注意を促す斎垣。

だが、まるでその言葉がくる事を知っていたかのように、
梔子はその言葉に畳みかける。

「いーじゃん。
 うちらの目的はもう果たしたも同然でしょ?」

すると、更にその言葉がわかっていた斎垣は、
彼女の時以上の速さで畳みかけた。

「まだだ。
 月組の向きをこちらに変えねばならん。
 それまでここで篭城だ」

少し、言い争いにも似た口論が続き、
最後に声を荒げたのは、
やはりというか、何というか、梔子だった。

彼女は大きく口を開く。

「だーッ!うっさいッ!!
 少しは黙れッ!!」

静かな工場内に響く、甲高い怒号。

すると、斎垣はすぐに押し黙った。

この二人はこう見えてもお互いの事を知っている。
だから、いつも折れるのは斎垣の方だった。

「………ッ」

大きく息を噴出し、
不機嫌そうな表情でそっぽを向く梔子。

いつも口ばかりが先行してしまう自分を自嘲した。

でも、苛立ちは治まらない。

思いきり、"何かを平手打ちしたいです"といった表情だった。

その時、別の所、
薄れる中の超電脳ブレインは、
またもわずかな情報で、とある核心に近づこうとしていた。

水嵩の言う通り、
彼女は知識の申し子である。

『……月組の名前を知ってる……。
 帝撃構想を知りつつ、尚も抵抗してまう集団……』

そう、紅蘭の脳裏に浮かんだ時、
彼女の二つの三つ編みは揺れた。

ちなみに、先日水嵩の横暴によって崩された紅蘭の三つ編みは、
梔子の手によって元に戻されていた。

彼女に言わせれば、恐らくこの篭城劇に
もう紅蘭の人質はいらないのだろう。

わずかな正義の心。

そして、月組を知りつつ、
花やしきを襲える程の技術を持った集団。

それを考えた時、
紅蘭はある答えにたどり着こうとしていた。

「……ッ!!」

目に、再度光が戻る李紅蘭。

ひらめいた。

その時。

「……でもまぁ、この分だとその月組の助けとやらも来なそうね。
 これ程出撃準備のかかる部隊なんて聞いたことない」

自嘲気味につぶやく梔子。

まるで、喧嘩した女友達が、相手に仲直り信号を発信しているようである。
すると、斎垣は大きく腕を組んで、
口を開いた。

実は、このタイミングを逃すと、
この二人の仲直りは難攻する。

だから、このタイミングで斎垣は口を開いたのだ。

「そうだな。そうなると、
 そろそろ次の行動を水嵩と話さねばならん」

簡単な打ち合わせだった。

「………」

紅蘭は、そんな彼らの会話を、
こんな奇遇な状況にさらされながらも聞きながら、
しっかりと判断していた。

『この者達は、帝都を潰しに来た者達じゃない』

そして、その正体も半ば判明しているといえる。

すると、なぜだか、
笑いたくなった。

「あは……」

彼らの正体がわかり、全てがわかった今、
花やしきの天才は笑う。

「ふふ…」

頭を垂れながら、肩を小刻みに揺らしながら、
少女は笑った。

「……?」

梔子と斎垣、二人が振り向く。

ここ五十時間は喋らなかった捕虜が突然、笑い出した。

いやに不敵に笑う支部長は、
無知な二人を笑い飛ばした。

「何が月組や。
 その前に敵が、あんた達の周りには大勢おろうが」

あまりに突然の発言だったので、
梔子は半ば聞き逃していたが、
その強い態度だけはわかる。

「……何を言っている」

横から斎垣が声をかけた。

梔子は少し、様子を見ている。
女のカンやらが何か不自然であると気がつかせた。

紅蘭は口を開く。

「いくらうちが人質に取られたかて、
 花やしきの人間が花やしきを見捨てるわけないやろ」

二人は茫然と見つめた。

李紅蘭が久々に強気に出ている。

なぜだ。

彼らにしてみれば、全くわからない、
道理無き事だった。

紅蘭は断言する。

「あんた達、花やしきの人間を知らへんのか」

あまりにきっぱりと言ってしまったために、
沈黙とする第二工場。

しかし、その沈黙を破ったのは梔子だった。

「あはッ!」

始めは小さく笑った。

にんまりと笑い、
前かがみになった梔子は言う。

「何言ってんの?技術屋風情が何するってーのよ。
 蒸気レンジでご飯でも作ってくれるって?
 それにしたって全施設はただいま休止ちゅうだっつーの」

気上する梔子。

その時ばかりは、斎垣も同様に考えていて、
何も注意しない。

すると、李紅蘭もまた小さく笑って、
『そんなモン効かへん』と付け加えて言い始めた。

「うちはあいつらを知ってる」

その瞳に光が流れる。

健気な紅蘭の態度が激変したのは、
おそらく、彼らの正体がわかったからだけではない。

「花やしきの技術屋は皆、表に出ようとしない連中ばかり。
 いっつも誰かの為に、誰かの為にって生きてばかり。
 名前が出る事も無ければ、褒め称えられるわけでもない」

そこで一呼吸おいて、
紅蘭は言う。

別に何かのスピーチではない。
ただのぼやきだったのかもしれない。

でも、それは確かに李紅蘭の言葉だった。

「でも、それでも動いてまう、かわいそうな連中やねん。
 もう、うちが止めても止まらんやろな」

その場にいた、梔子と斎垣は、
その時紅蘭が何を言っているのかは解らなかった。

当然である。

彼らは花やしきの技術者達の事を、
書類でしか知らない。

それも、どこかの内通者が脇見して作成した紙切れだ。

茫然とする二人。

紅蘭の言葉は、確かに言葉だったが、
信じている証だった。

そして、全てを解っているかのようなそぶりの紅蘭は黙る。

そして、その頃、
まるで紅蘭の言葉を照明するかのように、
彼らは実際に出撃し始めていた。

「………」

彼らとは、当然、
あのけだるそうな男を含む、
技術者の三人である。