花やしきの男
花やしきが沈黙してから、
三日が過ぎようとしていた。

遊園地も地下工場も可動しておらず、
その大きな施設の全形は、
夕焼けの空に黒い影として不気味に映る。

そこから少し離れた機材置き場には、
脱出した花やしき構成員達が寝泊りするためのテントが用意されていた。

その数、およそ四十棟。

一つ一つのテントの中に、
行き場を無くした者達が、帝撃上層部の指示を煽っていた。

その連絡を取っていた男は大久保である。

しかし、その表情はさらに険しさを増していて、
恐らく彼の要望は上層部に届いていないらしい。

彼らにしてみても残る食料はわずか。

そろそろ、上層部、他の支部からの助けが必要なのだが、
それはどうやら難航しているようだった。

一方、花やしき内部では不思議な事が起きていた。

蟻の巣のような構造の花やしき。

だが、その脱出口は意外に少なく、
数えられるほどの出入り口しかない。

これは製作側である花やしき構成員達が言うのだから、
確かなのだろう。

その数えられるほどしかない脱出口には、
すでに花やしき警備隊の者がついている。

あれほどの強者たる刺客者達の事だから、
倒せないかもしれないが、脱出口通過の連絡ぐらいあってもいいはずだ。

しかし、ここの所、警備の人間ですら
暇を持て余す始末。

そして、先日、突然起動した防犯体制は今も不気味に機能している。

奴ら、刺客達はまだ花やしき施設内で、
篭城しているというのが、大方の見方だった。

「………」

立ち並ぶテント。
まだ食料があるから、
人々は元気に過ごしていた。

そんな中、テント皮の繋ぎ目から
白煙を立ち昇らせる、不届きなテントがあった。

広いテント内。
誰かの話し声が聞こえる。
誠実そうな声。

椅子に深々と腰掛けた男。

声の主は彼ではないようだ。

彼は、この非常事態にタバコをふかしている、
不真面目な花やしき構成員。

「………」

彼は怪訝そうな表情で、
ボーっと天井を見上げていた。

城田貫吉だ。

頬にはガーゼがつけられていて、
右腕には簡単な添え木を巻きつけた包帯が巻かれていた。

恐らく、紅蘭を助けようとして、
後先考えずに刺客へと飛び込んでいった時に捻挫したものの治療後だろう。

それでもいつもと変わらずに
気だるそうな態度の彼を前に、
部下の黒川は一生懸命、何かを説明していた。

『花やしき支部案内書』という、
構成員には誰でも最初に配られる手引書を机の上に広げ、
正座で話している。

「……というわけで、花やしきの防犯機能の中枢は全部で五つ。
 そこからまた複数の機械が防犯しているので、正面から入る場合は、
 中枢部の電源を切る必要があるみたいですね」

黒川は、半ば得意げに、
目の前の手引書の一文を読み上げた。

テント内で起きているのは、この二人だけ。

他の第二研究員はごろりと寝ている。
本来、彼らは深夜型だ。
夕方という時間帯ではけして目を覚まさないだろう。

「それでですね……」

黒川は次のページをめくった。

「花やしきは大きな施設が複数ありますが、
 その全てが地下に存在するため、意外に移動方法は限定されているみたいです」

黒川はどこかの図面を見ながら言った。

けだるそうにタバコをふかしていた城田の手が、
燃えつきそうなタバコを口から取る。

そして、大きく白煙を吹いた。

「その"大きな施設"は、一応全部頭に入ってるつもり。
 その移動方法とやらを教えてくれ」

城田はそう言い、燻るタバコを胸元の携帯用タバコ入れに押し入れる。

すると、黒川は少しにんまりと笑って、
元気に『はい』と答えた。

城田貫吉。
けだるそうにしている彼は、
そろそろ動き出そうとしていた。

………………………………………………………………

一方、別のテントでは。

「………」

神妙な表情の管野日真和が、
新しい書類を、自分の蒸気演算機に移し変えていた。

茜色の夕日が登り、テントに響く、
キーボードを弾く音。

通信局のテントだった。

彼女は無言で、袖に置いた書類に目を配る。

他の通信局員はどこかに出払っていた。
恐らく、いずれかのテントと連絡を取り合って、
構成員達の健康状態などの情報をまとめているのだろう。

それを大久保が連絡する事によって、
情報部からの正確な応対が届くといえる。
花やしきが機能していない今も、通信局は活動しているらしい。

そして、その長が今、
度重なる苦悩の日々にうなだれていた。

大き目の机に、
不気味ににやけながら座っている。

そして、
どこかのやる気が足りない部課長のように、
懐からタバコを取り出した。

「君も吸わんかね?」

口調だけは明るかった。

しかし、局長の誘いに、
管野は振りかえりもせずに答える。

「……結構です。
 でも、意外でした。局長、タバコ吸うんですね」

淡々と言う管野。
書類をデータに映し変える作業は終わらない。

だが、それでも部下が答えてくれた事が嬉しくて、
大久保は少し目を見張った。

「あ、ああ。
 たまに吸いたくなるんだよ。年に一本くらい 」

そう、言って、
火をつけてタバコをふかす大久保。

一応、管野が未成年だという事を気遣って、
テントの開閉皮を弾いて、空気を逃がした。

先ほどはススめておきながら、
この始末である。

このよくよく考えない様子が、
管野日真和から見て、嫌だった。

少なくとも、あのヒトはこんな事をしないと、
どうしても比べてしまうのだ。

大久保はうつむき加減で口を開いた。

「もしかしたら、上層部からの助けは間に合わないかもしれん」

「………」

通信局としては、最悪の予想を口にする大久保局長。

……今度はマイナス思考か…。

うなだれるように、そう思う管野は、
作業の手を休めなかった。

大久保は、
恐らくそう思われる事も解っていた。

しかし、言わずにはいられない。

燻り始めたタバコをくわえ、
大久保は口を開く。

「俺達は……花やしきで働く人間だから、
 上層部には切り捨てられたのかもしれん。
 最大規模の施設たって、もう一度作ればなんの支障も無い」

彼はその時、
脱力していたのかもしれない。

少なくとも、管野からはそう見えた。
中年男の疲れが、今になって出てきたのだと。

彼は仕事の男である。

だから、花やしき陥落は、
彼の自尊心自体を揺るがせたのだろう。

管野はそう思う。

淡々と仕事を続ける管野に、
大久保は構わずに続けた。

「機械整備士は……。
 別に霊能力も指揮能力も要らないから、
 俺達は代用品の聞く立場なのかもしれん」

多分、大久保は重い腰の上層部と相対していて、
疲れたのだと思う。

管野は、そろそろ苛立っていた。

「…そうですね」

彼女は陥落的に言うだけだった。

この腑抜けた口だけの男。

こんな口だけの男が沈むのだから、
相当上層部は動きたくないらしいと判断する。

静かな夕焼けが流れていた。

大久保も黙り、管野も口を開かない。

そして、少しの沈黙の後、
大久保と管野はほぼ同時に口を開いた。

意気が合ったというよりも、
大久保は伝えたくて、
管野は沈黙に耐えられないからという、
てんでばらばらな理由である。

しかし、それは恐らく何かの奇遇というやつだろう。

「俺は……」
「私は」

二人は同時に口を開いたのだった。

「………」

そして、二人は沈黙した。
管野の手元の動きも止まる。
何とも言い表せぬ雰囲気だった。

大久保は管野の背中を見る。
管野の手元が、再び動き始める。

その雰囲気がどうしようもなく良い感覚で、
大久保は本当に言いたい言葉を伏せた。

『刺客の中に俺の知り合いがいる』

こんな事は、部下には関係がないと思い直し、
大久保は部下に伝える事に専念した。

「………」

にやけて、口を開く。

「俺は機械整備士達ってのは、
 そんなかわいそうな連中だと思う」

彼女はキーボードを叩く事を止めない。

「管野」

大久保は不意に、管野の名を呼んだ。

その時だった。
管野はその手を止める。

「………」

沈黙。
彼女はその時、初めて耳を傾けた。

だが、返事はしない。
大久保はそんな管野の態度に納得しつつ、
タバコの燃えカスを灰皿にトントンと捨てた。

そして、そのうつむいたままの格好で止まり、
どこか遠くを見た。

「城田貫吉を選んだ、お前さんの見立て。
 正しいよ」

「……ッ!!」

その瞬間、管野は回転椅子をぐるりと回して、
大久保に括目した。

なぜ知っている。

城田部課長と大久保局長が仲良いのは知っている。
だが、城田はそんな事を気軽に話すヒトではない。

どうしてだと、
管野は見つめた。

しばしの沈黙の跡、
大久保は三度口を開く。

「もし、誰かについていくなら、城田にしろ。
 西村はよせ。あいつは通信にしか能が無い」

彼から出ててきた、
まるで遺言状にも似た台詞。

その中にあった西村とは、
管野と同じ通信局員であり、よく管野と組まされる男だ。

しかし、今になってなぜその名前が。

「な、何を言ってるんです?局長」

いかに局長を好いていない管野にも、
その時、結局大久保が何を言おうとしていたのか、
気付き始めていた。

大久保局長。

彼の今までの言葉は中年親父の愚痴ではない。
自分の経験してきた今までの"知識"を、
伝えたかった。

大久保局長が最後の相手に選んだのは、
管野日真和だった。

彼は飄々とした表情で言う。

「通信局長が死んだら、城田について行けってんだよ。
 ……な?」

「………ッ!!」

その瞬間だった。

管野日真和はようやく、
大久保局長の事がわかった。

彼は、でかい敵に立ち向かう前に、
残す家族に捨て台詞を残していくような、
旧型の、それでいて小粋なおやじだったのだ。

大久保はにっこりとにやけると、
その机から立ちあがった。

その時である。
思わず、管野は立ちあがった。

その時の拍子で、自前の蒸気演算機のコードに腕を引っ掛け、
接続部が抜けて、演算機自体も机から落ちる。

軽い素材だったから、
壊れてはいないだろう。

だが、今の焦る管野には、
そんな事はお構い無しだった。

テントの出口に手をかける大久保。

ようやく立ち上がった管野は、
震える唇を開く。

「待ってください!」

すると、大久保はピタリと止まった。

あれほど嫌っていたおやじに、
管野は続ける。

口調は焦り気味で、
少しブツギリな言い方だった。

「実は!その城田部課長が!
 ……今夜にも、紅蘭救出の為に花やしきに行きます!
 だから……」

そこで喉が詰まった。

管野は感極まっていて、
通信局員のくせに言葉をつまらせている。

でも、そこで管野は頑張った。

「だから!その遺言は果たせませんッ!!」

管野は少し、泣いていたのかもしれない。

「………」

始めて見る、部下の本音の姿に目を見張る大久保は、
驚きの後に微笑んだ。

にやけたんじゃない。
本当に心底、嬉しかった。

最後の最後で、見れるとは思っても見なかった。
多分、この最後の会話でも上司の思いは伝わらないだろうと思っていたから。

そして、同時に、
やはり城田は行くのかと、
複雑な心境だった。

「……そうか」

大久保は、
手にしたタバコを口にくわえると、
『それじゃ丁度いい。奴と合流するよ』と言って、
そのテントから出ていった。

茜色の地面に映る、
彼の影は大きかった。

残される管野。

花やしき支部の男は、
もしかしたら皆、偉大な男達なのかもしれないと思う。

城田以外の、本当に凄い男を見た管野は、
まるで広い世界自体を叩きつけられたような感じがして、
涙をこぼさずにはいられなかった。

管野日真和はまだ小さい。

彼女はそう思わずにはいられなかった。

背後には、突然電源を切られた蒸気演算機が、
地面に叩きつけられた衝撃でブーッと妙な電波音を発していた。