暗の部隊
太正十三年。

花やしき支部から、事実上全ての構成員が退去して十時間後。

侵入した刺客達の工作により、
花やしき遊園地の全施設が停止していた。

帝撃上層部は遊園の営業停止を余儀なくされていた。

静かになる花やしき。

支部長、李紅蘭が捕虜とされ、
花やしき施設全てが敵の手中に落ちている事が、
上層部に伝えられる。

あわただしく動き始める賢人機関。

そして、やがてその入電は、
銀座支部の米田にも入った。

「なぁんだとッ!?」

支配人室の机を叩きつけ、
怒号する米田。

当然である。

彼も、あまりに突然過ぎる花やしき陥落に驚愕した。

そして、李紅蘭が囚われている事に、
一概の心配を隠せなかった。

わずかに開いた扉の向こうから、
小さく顔を覗かせた榊原由里が冷や汗を垂らす。

その頃、上層部から直々に、
月組への特別手文が要請されていた。

「………」

部下から手渡された文書を手に、
顔を強張らせる月組隊長、加山雄一。

彼は、
数十人の部下達を従えて、
とある山に登っていた。

とある任務遂行中である。

加山は手紙を握り締めて苛立った。

『花やしき、陥落されたし。
 花組隊員李紅蘭ただ一人を捕虜とする、敵の目的は、
 恐らく帝撃技術力の奪回であると思われる』

その知らせには、
加山も驚きを隠せなかった。

彼だけじゃない。
帝国華撃団、全ての上層部が面を食らっていたのだ。


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静まり返った花やしき。

わずか三人でこの大規模な施設を占拠した彼らは、
李紅蘭を連れて、
この第二工場に集まっていた。

彼ら以外に、今、
この花やしき施設を自由に使える者はいない。

だが、彼らとて、
この花やしきで働いていたわけではないので、
難解な機械操作に戸惑っていた。

当然、電気もつけられなくて、
非常灯が勝手に灯っている。

致し方なく彼らは今、
とりあえず作戦成功の宴も兼ねて、
花やしきの食料庫から保存食を頂いていた。

第一作業員の服装を着た一人が、
紅蘭の側で胡座をかいている。

彼はあの時、紅蘭を取り押さえていた巨躯の男で、
冷たい地面に置いた肉団子を口に放り込む。

そして、その隣にいる黒髪の女性は、
ビール瓶程の大きさの飲み物容器を右手に掴み、
果汁飲料を喉に押し込んでいた。

あの時、長髪だった髪は、
どうやら変装用のかつらだったらしく、
今は黒髪の短髪頭だった。

二人とも、辺りに警戒している様子は一切無い。

完全に気を抜き、食事にいそしんでいる。

「………」

支部長、李紅蘭は工場の柱に機械ワイヤーで括り付けられていた。

それも、捕らえられた時の格好のままだから、
とても動きづらい正装だった。

紅蘭の左頬が赤く腫れている。

恐らく、
彼女がここに連れてこられるまでに抵抗し、
いずれかの刺客に引っ叩かれたのだろう。

今は意気消沈としている。

少しフレームの曲がった眼鏡の下の瞳は、
実に悔しそうに閉じられていた。

静か過ぎるこの花やしきに、
彼らの食事の音が響く。

最悪の状況に、
紅蘭は取り残されていた。

「……?」

その時、あまりに紅蘭が静かなので、
黒髪の女が気を止めた。

"梔子"。
巨躯の男にそう呼ばれていた女だ。

「……さすがに楽しそうじゃないね」

彼女はそう、紅蘭に声をかけると、
右手のビール瓶を持ち上げてグイッと喉を潤す。

「………」

紅蘭の瞳が、彼女を捕らえるが、
紅蘭は何も言わなかった。

このつまらない反応に、
梔子は露骨に嫌がって見せる。

「別にうちらはあんたを殺そうなんて
 全然考えてないのにねぇ……」

楽しそうでない紅蘭を、
期待はずれだといわんばかりに、
梔子は不敵な表情で後ろを振り向く。

背後の巨躯の男は、
黙って肉団子を食し続けていた。

無口な男ではないのだが。

梔子は手にしていたビール瓶を地面に置くと、
その場にドカリと座った。

そして、その場にあったコップ容器に果汁飲料を注ぎ込む。

梔子の表情はなぜだか、
どこか嬉しそうだった。

「はいよッ」

なんと、花やしきの篭城犯は、
捕虜の紅蘭に飲み物を提供した。

恐らく、この梔子という女の気まぐれだろう。

だが、その時ばかりは、
巨躯の男が口を開いた。

手にしていた肉団子の軌道も止まる。

「止めておけ。
 鴉の餌付けじゃないんだぞ」

彼は厳しい口調でそう言った。

「………」

その声に、うっすらと瞳を開く紅蘭。
目の前には、梔子の差し出す飲料容器が自分自身の顔を映していた。

傷心し切っていて、どうも汚い。

そして、その容器の先には
手首があって、腕があって、
梔子と呼ばれる女の不機嫌そうな顔があった。

口を尖らせながら、
梔子は同朋に言う。

「いいじゃない、別に。
 これから長丁場なのよ。この方」

すると、畳みかけるように巨躯の男は言い返した。

「彼女、気付いているぞ」

「え?」

驚きの表情を見せる梔子。
そして、全てを悟っているかのようにうつむき、
瞳を閉じたままの巨躯の男。

何か、期待を寄せるような瞳をして、
梔子は紅蘭へと振り返った。

まるで、採集した昆虫を見つめる子供のような光景だ。
梔子は、紅蘭の潜在的な力をひしひしと感じていたのかもしれない。

彼女の注目の元、
紅蘭は瞳をしっかりと徐々に開いていく。

薄れいていた意識も、
正確になっていった。

先ほどから、何かと構ってくる梔子という女性の事も、
今はしっかりと見えている。

ずっと閉じていた為に、
乾燥した唇がわずかに粘着力を生じていて、
少しずつぴりぴりと開く。

「……うちをどうするつもりや…」

開口一番、敵に動じない発言をする紅蘭。

縛り付けられた機械ワイヤーの四肢と、
垂れ下げた頭がどうにも痛々しい。

すると、梔子は小さく鼻で笑い飛ばし、
背後の巨躯の男に振り返った。

満足そうな表情で、
口を開く。

「あはは!
 "殺すつもりは無い"って言ったばっかなのにねぇ!」

全く話を聞いてない紅蘭を、
梔子は笑い飛ばす。

何だか楽しそうだ。

とても、非情の刺客とは思えない。

梔子は小さく笑みを浮かべながら紅蘭に近寄ると、
その華奢な肩に手を添えた。

「改めて自己紹介するわ。 
 私の名前は梔子」

すると、背後から再び巨躯の男の声が響く。

「……止せって。
 水嵩(ミズガサ)にどやされるぞ」

例によって、
不機嫌な表情の梔子。

どうも、日常のチームワークは悪いらしい。

気を取り直す梔子の目線は
背後の巨躯の男に向く。

「あの男は斎垣(イガキ)。
 見てのとおり、理論ばっかりの筋肉だるま」

そして、梔子は苦笑いで、
紅蘭に顔を近づける。

それはとてもふざけた表情で、
紅蘭は少しムッとした。

梔子は手の平をふらふらと振り、
飄々と口を開く。

「ご免ねぇ。
 あいつがあんたの体を締めた時、とんでもなく痛かったでしょ?
 手加減ってものを知らないからねぇ。斎垣は」

「………」

おちゃらけて、仲間の事をふざけて言う梔子。

斎垣と呼ばれた男は、梔子の暴走にあえて黙っていた。
しかし、少し怒っているのか、両腕を雄々しく組んでいる。

あれほど静かだった第二工場が、
梔子の口の軽さのおかげでどれ程明るくなった事か。

しかし、囚われの支部長殿はそれがお気に召さないらしかった。

薄い紅蘭の反応を伺う梔子。

疲労しきっていたはずの紅蘭は、
苦し紛れに口を開く。

「……あんた達、これからどうすんねん。
 うちを人質に取ったって、帝撃は揺るがへん」

その時の彼女は、
やせ我慢をしているようにも見えた。

だが、それは支部長として最後まで責任を果たそうとする、
立派なやせ我慢だったと思う。

この支部長、気高い。

彼女はすでに梔子の話術を跳ね退け、
しっかりと現状を把握している。

一筋縄でいかない人間である事を、
斎垣は悟り、紅蘭に括目した。

「……全く、本当に話を聞かないお嬢ちゃんね…」

つぶやく梔子。

そして、突然に怒りの表情に代わった。

彼女にしてみれば、せっかく下手に出て、
友好を深めようとしているのに、
何を偉そうにしていやがるのかと、不快になった。

黒手袋をしている右手を、
紅蘭のか細い首筋に押しあてる。

「……!?」

突然の豹変に、目を見張る紅蘭。

梔子は目を見開いて、
苦しむ紅蘭の目を睨みつける。

「よく聞きな。
 うちらの目的はねぇ……ッ!!」

五本の指が起こす圧力で、紅蘭を苦しめながら、
梔子がそう声を荒げた時だった。

三人のいる場所とは違う、
暗い部分から、その声は響いた。

「止めろ。梔子」

「……ッ!!」

梔子はビクリと反応し、
言葉を閉ざす。

巨躯の男とは違い、短絡的な命令口調で、
少し高い声だった。

「……?」

首を強烈な握力で締められ、
涙目になる紅蘭が横を向く。

その男は、
この第二工場の出口付近から姿を現した。

すらりとした長身で、
第一作業員の服とサスペンダーをしていた。

少し茶の入った髪の毛はハネていて、
右手には何かの図面が握られている。

顔は美顔の、美男子だった。

「……まったく」

彼の姿が見えるなり、
斎垣はそうつぶやき、
残念そうに小さくため息をついた。
なにかの機械に背もたれる。

「………」

"止めろ"という一言を残し、無言を守る男。
どうやら、彼女らの三人目の仲間であるらしい。

『という事は、この男が水嵩か』

現れた男を半開きの目で注目する紅蘭は、
一瞬のうちにそう判断した。

しかも、その落ち着いた態度と、
じゃじゃ馬であるらしい梔子を一言で止めてしまう威風堂々さに、
彼がこの刺客達の統率者である事を見抜いた。

「………」

紅蘭の視線に気付く彼。水嵩。

ちらりと紅蘭を見つめるが、
彼の足取りは真っ直ぐ梔子へと向かった。

そして、たじろく梔子の脇に立つと、
水嵩は彼女を見つめた。

体の自由を奪われ、今は気力すら乏しい紅蘭を横目で見る。

「それ以上、こいつに情報を与えるな」

水嵩はそう断言した。

括目する梔子と斎垣。

彼は強い口調で続ける。

「彼女は帝撃機械の中枢、花やしきの最高峰。
 情報・探求に対しての貪欲さは類を見ない。
 言わば、知識の申し子だ」

口調は徐々に強くなる。

「我々が、この女を一番最初に捕獲した理由を、
 もう一度考えろ」

命令にも似た台詞が終わり、
辺りに静けさが戻った。

聞いていた二人とも、
彼の言わんとしていた事を重々理解したらしい。

改めて、目の前にいる李紅蘭という人間の大きさを確認した。
そして、今、自分達が機械ワイヤーで縛り付けている人間の危険さも認識した。

元々、自覚している斎垣は当然の事、
梔子も致し方なしと納得している。

彼女が舌打ちした時は、
素直に耳を傾けている証拠だ。

二人を見て、
締まりをつけ終えた事を判断する水嵩。
次に、縛り付けられた紅蘭に近づく。

彼は不自由な紅蘭に何をするでもなく、
その澄んだ目を睨んだ。

紅蘭はほんのわずかににやけ、口を開く。

「………えろうすんまへんなぁ。
 そんなに誉めた言われ方も久々や」

かすれる声を上げて、
紅蘭は話の通りそうな男を挑発した。

やはり、支部長としての責任が、
彼女を奮い立たせているらしい。

ここで卑屈になっては相手の言いなりになってしまう事を、
彼女は重々知っているのだ。

だが──。

水嵩は動じる事無く、
紅蘭を縛る機械ワイヤーに手を掛けた。

表情は心なしか、
怒っているようにも見える。

「調子に乗るなよ。李紅蘭」

彼はそう念を押し、
彼女の片方の三つ編みにその指を刺し入れた。

「たかが三人に何が出来ると、安く見積もっているのだろう。
 だが、それは俺達も重々計画を練ってある」

彼は右手に持っていた地図を紅蘭の見える位置にまで掲げた。

その地図に映る図式を見た途端、紅蘭の表情が絶望を映し始めた事は言うまでも無い。
最悪の状況が、彼女の脳裏をよぎったのだ。

そして、水嵩はそれが事実である事を口にする。

「たった今、この施設の防犯体制だけを全て機能させてきた。
 防犯施設の特定にはてこずったけれどね。 
 これで、花やしきは"俺達の要塞"になったわけだ」

水嵩はそう言い終えた瞬間に、
その指を大きく引き落とした。

茫然自失と絶望を映す紅蘭の顔。

なぜ、この男の手に『花やしき作成図書』が握られているのか。
この資料はすでに破棄したはず。

その心情を表すかのように彼女の三つ編みは崩れ、
束ねていた輪ゴムは飛び跳ねていった。

「………ッ!!」

まさに最悪の状況である。

もし、彼が言った言葉が真実ならば、
もうこの花やしきを止める事は月組でも不可能に近い。

それだけの防犯体制である。
その厳しさは彼ら自身が最もよく知っている事だろう。

この機能の場所を発見されない事自体が、
紅蘭の余裕にも繋がっていた。

しかし、それは今、
もろくも崩れる。

これが話術だとすれば、
相当の使い手だ。この男。

紅蘭に背を向け、
両の拳を強く握り締める水嵩。

「そして、俺達自身を甘く見ない事だ。
 その気になれば、人を素手で八つに裂く事が出来る、
 猛者ばかりがここにいる」

彼はあれほど持ち上げていた女性に、
物騒な捨て台詞を残した。

そして、その場に座り込む。

同じように、梔子も斎垣も口を慎み、
彼らの食事は再開する。

その端で、
李紅蘭は再度、絶望に打ちのめされていた。

当然である。

この花やしき支部は今、
危険な彼らを宿したまま
難攻不落の鉄要塞になったのだから。