紅蘭奪回その弐
ざわめく会場。
焦る裏方。
一堂に顔を見合わせる新人達。

今、第一会議室では何かが起ころうとしていた。
それもけして良い出来事ではなさそうな。

「……何やってんだ、投影班の奴らは」

つぶやく城田は壇上の紅蘭を見つめながら、
部課長の席から動かないでいた。

周囲の部課長達は、何か不備があったのかもしれないと、どよめいている。

中には、席を立って自分の部下達に連絡を取る者もいた。

騒然とする会場。

壁一面に広がる投影機には、
紅蘭の不安そうな表情が映し出されたままだった。

「……何が起きてるんや」

不変の投影機を見上げて、
つぶやく紅蘭。

この後の段取りは聞いているが、
このような失敗は想定していない。

もしかしたら、ただ投影班が映像記録を
準備していなかっただけかもしれない。

それを切に願う紅蘭は、
壇上から降りる事はなかった。

その時である。

一時、壇上から離れていた大久保が、
この緊急事態に、紅蘭の耳に口添えする。

「……今から私達が、投影班の様子を見てきます。
 どうかそれまでこの会場を静めていてください」

整備士達をまとめられるのは、
この現状では李紅蘭が最適だと彼は判断したらしい。

大久保の機転に、
紅蘭はうなずく。

「解った。うちに任しとき」

紅蘭はこの予測の効かない現状に、
き然とした表情でうなづいた。

支部長として、ふさわしい態度だった。

すると、大久保は優しくうなずいて紅蘭から離れる。
彼も通信局長としての責任を果たさなくてはならない。

「よろしくお願いします」

彼はペコリと頭を下げると、
すぐに表会場から姿を消した。

すると、その出口の近くにいた女性が立ちあがる。

「………」

管野日真和だ。

どうやら、局長不在の会場で、通信局としての役割を果たすのは彼女らしい。

紅蘭はその通信局員を見ると、
大久保の代理であるとしっかり認識した。

そして、この騒然さを静める方法を考えた。
これ程の人数である。

並大抵の発言じゃ、
平常心を失った彼らを抑えきれないだろう。

紅蘭は一瞬、不安そうな表情をして、
壇上で構えた。

その時である。

「………?」

紅蘭はびくりと反応して、
目の前の光景に気付いた。

騒然とする会場の中で、
たった一人、帽子を被った男が歩いてくる。

彼は、他の作業員とは違い、
客席ではなく、紅蘭と同じ地面の先にいた。

彼の背後にある扉が、この壇上ステージからの唯一の出入り口である。

「………」

彼は帽子のつばで顔を隠し、
無言のまま近づいてきた。

紅蘭は一目で、
その男が花やしき所属の作業員で無い事を悟る。

何が理由かなんてものは無く、
直感的に、紅蘭はその者に恐怖を覚えた。

確か以前に、何かの映像で、
こんな貞操の殺し屋を見た事があったからだ。

「あ?」

その異変に気付いたのは、この会場では城田が一番早かった。

彼もまた、紅蘭と同じように、
まっすぐ支部長の基へと向かっていく男に、
悪い予測を立てる。

彼はその時、始めて部課長席から立ち上がった。

周囲は焦る部課長達が五月蝿く、
はっきり言って邪魔だ。

そう思っている現在も、
あの男は、すでに気付いているらしい紅蘭に接近していく。

「まったく……」

城田はそうつぶやいて、
騒然とする支部長席から歩き出した。

まだ、最悪の事態ではないので、
その足取りはゆっくりではあるが、
人混みをよけながら進む城田の表情は少し焦っているようにも見える。

彼の視線の先には、
すでに紅蘭しかなかった。

その紅蘭は、
壇上で近づいてくる男を真っ直ぐ見つめていた。

正直、こんな不穏な動きをする者は恐いのだが、
ここで焦って逃げてはさらに襲われそうな気がした。

支部長としてき然とした態度をとらなければという、
妙な責任感もあった。

「………」

無言な彼。

静かな歩調だった彼が、ようやく紅蘭のいる壇上の前に近づくと、
彼は懐に手を入れた。

『なんや、あんた!!』

叫ぶ紅蘭。
あまりにも大きく叫んでしまったため、
その叫びは拡声器に拡声されてしまう。

その時、城田はすでに紅蘭のいる階にまで降りていて、
走り出していた。

城田からも、その男が懐に手を入れたのが見えている。

そして、城田は最悪を予想した。
そこから出てくる、最悪の代物を。

支部長クラスの人間ならば、
命を狙われても当然なのかもしれない。

「紅蘭!!」

決死の表情の城田が叫んだ。

その叫びは、周囲の騒然さにかき消される。
皆、投影機に紅蘭のこわばった顔が映し出されているというのに、
全く気付かず騒いでいる。

なんて愚かな連中だ。

城田は焦る中で、
無茶苦茶にそう考え、
目の前の男に飛びかかる。

「……!!」

帽子のつばで顔を隠した彼は、
突然、現れたその男に驚いた。

紅蘭はき然と壇上に立っている。

だが、その両手は小さく震えていて、
額には汗がにじんでいた。

「……きゃ!!」

突き飛ばされる帽子の彼。
城田が横から飛びついたのだ。

その後に、彼女の右手から何がが発砲し、
紅蘭の目の前の拡声器を討ち抜く。

まさに間一髪だ。

その後も敵は抵抗を続けたが、
城田は必死に抑える。

「ああッ!?」

不審な男を押し倒したはずの城田が驚く。

城田が覆い被さっている不審な男は、
どう見ても胸があった。

そして、城田が取り押さえた右手にはやはり拳銃が握り締められている。
今しがた発砲した拳銃はこれらしく、
銃口からは薬莢の煙が上がっていた。

やはり、紅蘭の命を狙った刺客。

あまりに突然過ぎる出来事と、
それに突き動かされた自分に驚き、
もう頭が一杯になった城田は、
焦りながらもそいつの帽子を弾いた。

「……はぁッ!…はぁッ!」

大きく息を荒れさせる女性の顔。

小柄な殺し屋は、
どうやら女性だったらしい。

城田は覆い被さっている自分が少し恥ずかしくなった。
これは男だから仕方ない。

とにかく、
この突然の刺客を取り押さえた城田は、
大きく息を吐いて安堵した。

その時である。

「城田はんッ!!
 後ろや!!」

紅蘭の呼びかけが響いた。

その口調は焦っていて、
城田もが焦って身を起こす。

「グアッ!!」

鈍い声を上げて、
蹴り飛ばされる城田貫吉。
腹部に、猛烈な痛みが走る。

彼の腹部を蹴り上げるのは、
帽子のツバを深く被った彼女と同じ服装の、
巨躯の男だった。

こいつは紛れも無く男である。

無防備だった城田は、
取り押さえたはずの刺客から引き剥がされ、
壇上脇に転がった。

もう、言葉も出ない。
紅蘭の命を狙う刺客は一人ではなかったのだ。

城田を蹴り飛ばし、
同朋を助けた巨躯の男は、
仰向けに倒れている同胞に大きく叫ぶ。

「……いつまで寝てる!!梔子(クチナシ)!!」

「五月蝿いわね……」

押し付けられていた四肢を起こし、
頭をわずかに振る女。

彼らは同じ場所から来た人間だった。

その頃になると、ようやく周囲も壇上の惨状に気付き、
誰しもがその場に足を止めた。

先ほどの銃声がようやく彼らに、
事の異変を気づかせたようである。

「………」

痛みが、城田の全身を縛る。
まるで芋虫のように横たわる城田は、
身を回転する事で、
壇上に登っていく刺客二人を見ることが出来た。

しかし、どうにも歯がゆい。
花やしきの防犯体制は何をしているのだ。

薄れる意識の中で、
悔しさがこみ上げてくる。

目の前の刺客達は、
紅蘭に飛びつくなり、
その四肢を抑える。

城田に取ってみれば、
阿鼻叫喚の地獄絵図と見まごう光景だった。

一方、城田に抑えられていた女は、
足元から帽子を拾い上げて、立ち上がる。

巨躯の男に両肩を抑えられ、
動けない紅蘭。

あえて抵抗しなかった彼女は、
目の前の女に言う。

「なんや、何を狙っとる……ッ!!」

すると、紅蘭に銃口を突き付ける女は、
大きく息を整えて口を開いた。

「この花やしきの技術を全て頂く。
 我等の目的に従って頂こう」

比較的、紳士的な口調だった。

だが、それが返って、彼らの背後に巨大な悪が見えて、
紅蘭は黙してしまう。

その光景は、後ろの投影機によって、
会場中にさらされていた。

何よりも解りやすい、
現状説明である。

捕らえられた紅蘭支部長に、
拳銃を突きつけられている光景。

誰が演出だと思うか。

その場にいた部課長達は全員止まった。

中には、刺客に銃を向ける部課長もいたが、
それは近くの部課長に止められる。

その弾丸が刺客に当たる確率より、
紅蘭支部長に当たる危険性の方が高かったからだ。

これが敵の狙い。

大きな危険を犯してまで、
支部長を捕らえたのは、
一番手っ取り早い手段だったからだ。

最初の会議室とは、
違った意味の沈黙が流れる。

その時だった。

無謀にも立ち上がった新人がいた。
彼は小さく身をかがめ、
新人見習の席からここまで移動してきていたのだ。

彼は敵の死角を狙い、
さらに近寄る。

そして、巨躯の男が向こうを向いた時、
緊急時用の帯剣を抜いて立ち上がった。

しかし──。


ドバウゥンッ!!


空を裂く撃音に、
吹き飛ぶ彼の身。

身は支部長席を数個破壊して倒れた。
もう、動く事は無いだろう。

女の後ろからギロリと睨みを効かす巨躯の男。

そして、梔子と呼ばれた女の手には、
今しがた発砲したばかりの白煙立ち上る拳銃が握り締められていた。

この壇上からならば、
どの作業員も狙い撃ちである。

あれほど華やかに始まった部課長会議は、
最悪の戦場に変わっていた。


……………………………


その頃である。

紅蘭のもとを離れていた大久保は、
本来投影班がいるべき通信室に来ていた。

だが、そこに大久保の知る投影班の姿はなく、
代わりに血だるまとなった仲間達の姿と、
その中に立つ一人の男の姿があった。

驚愕である。

通達室内にはおびただしい量の血液が飛び散っていて、
この部屋であった惨劇を思わせる。

大久保は目を見張り、
そして、その大きな口を開いた。

脳裏では何が起こったのか、すでに解っていた。

「何者だ!!」

そう叫ぶ大久保。

人の気配に気付いたその男は、
手にした刀をぶらりと下げて振り返る。

「………」

だが、沈黙していた。

彼の服装は、作業班の服である。

そして同じく作業班の帽子を深々と被っていて、
すらりとした長身だった。

何も返事が無い不審な男に、
大久保は間合いを詰めながら歩き寄る。

「この花やしきには何も無いぞ……。
 あったとしても鉄屑ばかりだ」

大久保は、そう嘘をつきながら、
にじりよる。

その時だった。

「………ッ!!」

大久保はその男の顔を見て驚いた。
思わず、目を見張り、口を開く。

脳裏に一瞬、何かがよぎった。

沈黙を守っていた長身の男が、
頭上のモニターを見上げてつぶやいた。

「我々の作戦は成功したようだ。 
 もうじき、施設内放送が行われる」

淡々と語る男。
大久保は次第に冷静に戻っていた。

気を取り直した大久保はそんな台詞に耳を貸す事無く、
にじり寄る。

だが、その時彼の見上げるモニターが目に入った。

「……ッ!!」

大久保は更に目を見張る。

モニターに映っているのは、
巨漢に抑えられた紅蘭と銃口を突き付ける女性の姿だった。

その一目で、
大久保は何が起こったかを悟る。

絶望し、思わず目が厳しくなってしまった。

「………」

大の男が立ち尽くす様を見て、
長身の男はため息をついたようである。

そして、血まみれの刀をぎらつかせたまま、
大久保に歩み寄った。

体の硬直した大久保は身構える。

しかし、長身の男は普段通りに歩いて見せた。

「今、我々に危害を加えると君達の指導者が代わる事になる」

「……ッ!!」

その台詞に、
大久保が動きを止めた事は言うまでも無い。

彼には、紅蘭以外の指導者など考えられない。
その上、紅蘭は支部長以外から見ても、
優秀な未来ある若者だ。

悔しくて、拳を握る。

苦汁を飲みながら、
大久保はその場を動く事はできなかった。

立ち去る長身の男。
すれ違い様の彼は、何かを悟って笑っていた。

彼の実力は、
この投影班の惨劇を見ればわかる。
だが、それ以上に彼が狡猾だという事を、
大久保は体感していた。

「……なんて事だ…ッ!!」

長身の男が去った後、
拳を壁に叩きつけた後の大久保の言葉である。

とんでもない出会いだった。


………………………


犯行から数分後だった。

全ての施設内放送が通電し、
映像があるものは映像が流れた。

映っている映像と音源は、
当然、紅蘭支部長の施設内放送である。

その放送が始まった瞬間、
花やしき中の作業員達が立ち上がった。

何せ、この放送によって、
光武・改の完成が報告されるはずだったのだ。

当然、笑顔で待つ。

しかし、その笑顔はすぐに薄れていった。

音源だけのものはもちろん、
映像のあるものなどは紅蘭支部長の浮かない表情が映っていた。

首元にはナイフが突きつけられている。

瞳は半開き、すでに生気の無い表情。

今、最も李紅蘭らしくない彼女の姿が、
全ての花やしき施設に放送されていた。

『全施設に通達します』

それは彼女が深夜まで作業している者達にも響く。
数人の作業員がいた。

皆、茫然と聞いている。

『全作業員は直ちに職場を放棄し、
 全施設の電源を降ろしたってください』

別の場所、第二工場にも響く。

そこは無人だった。

むなしく紅蘭の映像が流れている。

『全部課長、及び局長は自分の部下を外へ誘導、
 終了後には脱出口の全てを閉鎖したってください』

声が震える。

食堂にも響いていた。
働いていた食料班の人間達は、
あまりに異変な放送に驚いていた。

中には何かのいたずらなのではないかと疑う者もいた。

映像の中の紅蘭は大きく息を呑む。

『……これより、花やしきは凍結します。
 どうか、焦らずゆっくりと脱出したってください』

通路にも映像モニターは搭載されている。

そこを歩いていた二人組の研究医は、
その映像を見上げていた。

紅蘭の放送が、
まるで神の啓示のように、
花やしき施設内を駆け巡る。

それから巻き起こった暴動にも似た脱出劇は、
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

避難訓練を怠っている良い証拠だった。

そんな中、肩を黒川に担がれ、
無理やりにでも脱出させられる城田の姿もあった。
そして、
部下達を脱出させる大久保の姿も。

無人状態に近くなる第一会議室。

『焦らず、ゆっくりと脱出したってください』

無尽となった花やしき内工場に響く、
紅蘭の声と映像。

神妙な表情で、壇上に集結する刺客三人。

被っていた花やしき作業員の帽子を投げ捨てる。
ホコリを巻き上げて、地面に叩きつけられた帽子。

まるで、今の花やしきの現状を現しているようだった。

支部長李紅蘭を捕虜とする、
最悪の篭城事件。

太正十三年の春終わり、
花やしき支部は全面凍結した。