紅蘭奪回その壱
大正十三年。

花やしきに沈黙の毎日が戻っていた。

作業に明け暮れる構成員達は、
決して日の目を見る事は無い。
しかし、先日の光武実験による活気は、
少しだけ花やしきの雰囲気を変えていた。

ほんの少しだけ、
作業していく人々に余裕と笑顔があるように見える。

それはやはり、
光武・改の完成が近いからだろう。
機械整備士という生き物は、
己の手ほどきがある機械が完成した時、
無償の喜びを得る。

その完成が近いという事実が、
彼らを突き動かす要因でもあった。

そんな、異例の明るい花やしき支部。

本日は定例的に行われる、
部課長会議の日だった。

特に今回は、
先日の光武実験の結果を施設内放送する、
実に楽しげな日である。

花やしき施設内の全ての構成員達が、
その放送を待ち望んでいて、笑顔だった。

「………」

だが、城田貫吉部課長だけは例外だった。

第四食堂。
正式店名『郁常呂』。

この花やしき支部内の経営食堂店で、
唯一の喫煙店である。

それ故に人気が無く、
人数はまばらだ。

電気も端の方が壊れている。

そこに乱雑に並べられた机の中の一つの上で、
城田は海軍カレーを食べていた。

不機嫌そうな表情で、ジャガイモが入っていないカレーから、
スプーンをすくい出す。

そして、それを咥えた。
何時も以上にけだろるそうな表情だった。

「……会議、
 一体何時間かかるやら」

無人の食堂で、
城田はつぶやいた。

彼は単純に会議が嫌いだった。


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………午後四時。

部課長会議の行われる第一会議室。

それはこの花やしきで一番大きな会議室で、
ドーム状に切り抜かれた天井と、
大きな投影機が準備されていた。

この投影機に映る映像が、
全ての花やしきの全施設に放映される予定である。

すでに着席済みの各部課局長。

神妙な顔で座る者や、
楽しげに座る者もいた。

その数、およそ三十。

先日に行われていた、
紅蘭支部長との打ち合わせの時とは比べ物にならない人数である。

新しい帝撃の主力兵器、『光武・改』の正式発表会を兼ねている今回は、
ある種のパーティー的な意味合いも込められていた。

『ああー……うん』

目の前の拡声器に口を添える紅蘭。

手にはその時に読み上げる予定の、台本が握られている。
支部長の席は、
投影機の真中に置かれた台の一番近くだった。

少し、緊張気味な紅蘭に、
隣に立つ通信局長、大久保は小声で言う。

「もっと背筋を伸ばして。
 後は息を大きく吸うだけで声は出るものです」

さすがは通信局長。言ってくれる。
だが、李紅蘭もうなずいて答えてはいるが、
苦笑いだった。

正式に開会するまで、後十五分程度。

その頃、投影機の裏では入念な段取りが打ち合せされていた。
俗に言う最終チェックである。

研究員、作業員達の全てが今日、日の目を見る。

その中には士気を高める城田の姿もあった。
彼はこの作業の後、部課長の席に行く事になっている。

そして、同時に行われている、
会議室前の入室手続き。

ここでは各部課長と同時に、
新人見習いの作業員達も招かれていた。

城田の行いと同じ、士気を高める目的である。
その為、新人見習達にはすでに身分証明書が配布されていて、
彼らはそれを提示する事で入室を許可されていた。

『第一作業員 田沼』、
そう明記された身分証明書を提示して、
入室していく者。

黒髪を肩まで伸ばし、
それを帽子によって束ねた小柄な男。

皆、彼のように入室していくのである。

「さて、俺はそろそろ席に行くからな。
 後は任せた」

一方、城田率いる第二研究部の作業は一段落していた。

黒川を始めとした、若手連中の手による発表で、
彼らは生き生きとした表情をしていた。

城田も安心して部課長の席に行ける。

何せ、彼らの目は自分と違ってきらめいていたから。


………………………………


午後四時半。

そろそろ会議が始まるという事で、
静まり返った第一会議室内。

やはり、期待を隠し切れないのか、
新人達の席からはわずかな小声がざわついていたが、
これも、彼の出現で静まり返る。

通信局長、大久保拓道の登場だ。

「……圧巻だな」

壇上に上がった彼が、
まず最初に言った台詞だった。

当然、拡声器はまだ機能させていない。

ピシッと正装し、
蒸気を必要としない小型拡声器と、
台本を手にした大久保。

彼が壇上に上がると、
投影機に彼の表情が映り込んだ。

当然、この投影機は光武・改の全機能を適切に説明するためのものなのだが、
まるでイベント会場のようなこの演出は、
まさに企画者達による演出だった。

彼は、会議室内にあるおよそ百の目を見渡し、
背筋を伸ばして息を吸った。

まさに李紅蘭支部長に教えたとおりだった。

『どうも。お集まりの皆さん』

このふざけた演出に、
思わず大久保もふざける。

まるでパーティーの司会者のように振舞った。

彼の深い声を、拡声器が広げる。

『先日の実験も無事終わり、
 皆さんの製作してきた光武・改がそろそろ表舞台に立つようです』

大久保の目は生き生きとしていた。

通信局長になれたのは、
彼が本当に、今の仕事が好きだからである。

『各部所、ばらばらに行ってきた光武・改の製作。
 それも今日を持って終了です。
 皆さんの結果を皆さん自身にお見せ致しましょう』

そして、下を向く大久保の手が動き、
台本が次のページに進む。

それはごく自然な動きで、
会場内がざわつく様子はまったく無かった。 

彼は再び拡声器を持って、
大きく口を開く。

『……さて、私はただの司会役。
 それでは本日の主役を紹介致しましょう』

大久保はそう言いながら、
壇上から下がった。

そして、大きく手を壇上に向け、
再び口を開く。

皆、彼が紹介しなくても、
その主役とやらが誰なのか熟知していた。

『李紅蘭支部長です』

まさにその通り。

大久保が大きく名前を呼ぶと、
支部長席の紅蘭は立ち上がった。

小さな歓声のようなものが新人見習い達の席で起こる。

「……あはは」

小さく笑っているものの、顔は笑っていない支部長。

およそ百の目が紅蘭を注目する。
それだけで、紅蘭は恥ずかしそうに頭をかいた。

「……あの馬鹿」

遠くの方で、部課長席の城田がけだるそうにつぶやく。
彼から見ても、紅蘭が緊張しているのが手に取るようにわかった。

『どうぞ、こちらへ』

台本に無い台詞を大久保が口にする。
彼は紅蘭を気遣い、少し彼女が動きやすいようにしたのだ。

「あ、すんまへん」

そう言いながら、
他の部課長にぶつからないように移動していく李紅蘭。
手には台本、そしてその衣装はいつもと違い、
正装だった。

彼女なら、いつもの作業服を着ていても違和感が無いのだが、
それはさすがに他の部課長に止められた。

今は、黒の上着に皮のつなぎ、ぴっしりとした灰色ズボンと厚い底の靴。

何とも動きにくい格好ではあったが、
これほど盛大な会議ならば致し方ないのかもしれない。

『……』

紅蘭は、壇上に立つなり、
背筋を伸ばした。

そして大きく息を吸う。

その時、彼女は大久保の優しい顔と城田のけだるそうな顔を見つけて、
少し微笑んだ。

気が楽になる。

紅蘭は台本を拡声器の前に広げると、
周囲を見渡す。

すると、
後ろの大きな投影機は紅蘭の顔を捕らえて映した。

支部長挨拶、準備万端である。

紅蘭は凛として口を開いた。

『まずは皆さんの苦労に感謝します』

自分の名前も言わず、紅蘭はそれを第一声に選んだ。

『光武・改の製造は、はっきり言うて難航でした。
 それは先人達の積み重ねをうちらの代で新しく見直そうなんていう、
 少し無謀なうちの考えがあったからです』

彼女は正直にそう言った。
建前挨拶など一切無い、まるで友達に話すかのような口ぶり。

李紅蘭の支部長とは、
こういう事ばかりを言うお偉いさんだった。

確かにそれはいい加減な支部長の態度なのかもしれないが、
人を引っ張っていく上では、重要な事だと思う。

現に、彼らは李紅蘭というたった一人の女性についてきて、
光武・改の製造完成に至っていた。

だから、今、紅蘭の言っている言葉全てが、
その場にいた作業員全てにすんなりと伝わる。

李紅蘭は大きく成長していた。

一人の機械好きから、
帝撃の機械製造の中枢の人間に。

それは以前の紅蘭を知っている城田からは、
歴然と解る事だった。

紅蘭は生き生きと会議を進める。

『それではそろそろ光武・改の姿をお見せしましょう!』

高々と手を上げ、
投影担当班に支持を煽った。

響いていた紅蘭の声も静まり、
同じく静まる会議室。

その場にいた誰しもが、
神々しい七体の新たな光武の出展を期待した。

だが、数秒経っても投影機は紅蘭の表情ばかりを映していた。

これはおかしい事である。
台本と違う。

「……なんや?」

小さくつぶやく紅蘭。
やはり、段取りと違うらしい。

静まり返る会議室。

だが、何時まで経っても、
紅蘭の言う通りに映像が流れない状況が続き、
少し会場がざわめき始めた。

「………」

これを厳しい表情で見つめる城田。

焦る周囲の中で、
彼の険しい表情が異質だった。

城田も、紅蘭の動きと不安そうな表情から、
事の異変に気付いている。

その頃、
大久保は焦らずに対処に移っていた。
近くの席に配備しておいた、
管野日真和に小声で言う。

「投影班から何か不備の連絡は?」

どよめく会場の中で、
管野は険しい表情で首を横に振る。

「いいえ。
 投影班"甲"からも"乙"からも連絡は一切ありません」

これまた小声で言う管野。
その報告に、大久保は厳しい表情で身を起こす。

「それじゃ一体……」

彼にも、何が起こっているのか解らなかった。
紅蘭よりも、しっかりと段取り打ち合わせをしているはずの大久保ですらだ。

「………」

不安そうに、投影機を見上げる紅蘭。
今、花やしき至上最悪の午後は始まった。