花やしきの沸いた日
太正十三年。

光武の改良は着々と進み、
李紅蘭の指示の基、本日はついに可動実験が始まろうとしていた。

花やしき全体の予定よりも、
二ヶ月程早い進行具合だった。

おそらく、李紅蘭の霧散していた集中力が、
再び舞い戻ったからだろう。

第一通達室にいる大久保は高笑いをしていた。

光武・改の実験は、
花やしき支部工場より離れた、
人里の無い山中の平野にて行われていた。

早朝から始まった運搬は、
風組によって円滑に進み、
七体全ての光武がこの水間の平野に並べられていた。

四十人の機械整備士を総動員した、
大規模な光武可動実験の始まりである。

「七機の光武、全て運搬終了しました」

平野の端に作られた仮テントに響く、少女の凛とした声。

そこには長机が二つ置かれていて、
数本のケーブルが繋がれた機器と帽子を被ったお偉いさん達がい座っていた。

ビッと帝撃式敬礼をしてみせる風組の担当員、高村椿に、
お偉いさんの中の一人が小さな眼鏡の下からぎょろりと見上げた。

「おう。
 李紅蘭にも、それを伝えてやんな」

しゃがれ声と、江戸っ子なまり。

帝国華撃団総指令、米田一基が、
その光武実験に同行していたのである。

当たり前だ。

彼は帝撃の総司令。
全てを知る権利がある。

だからこそ、高村椿も花やしき支部長への報告を後回しにしていた。

「了解!」

椿は大きく敬礼すると、その場を立ち去った。

「………」

その後姿を見ながら、にやける米田。
周囲には少し年齢層の高い初老の男達ばかりがいた。

その中の一人が呼びかける。
米田との付き合いは長い男、綾小路伯爵だ。

「どうした、米田。
 随分、嬉しそうじゃないか」

彼はからかい気味に言う。

すると、米田は自嘲気味に笑い、
手もとの資料を眺め始めた。

「俺ぁ嬉しいんですよ。
 帝撃を作ったのは"帝都の敵"を討つ為。
 だがぁしかし、彼女らは"帝都を守る"者にまで成長しちまった」

そう、感慨深く述べる米田。

どこか悲しそうに言うが、
その表情はやはり嬉しそうである。

綾小路伯爵は小さくため息をつき、
彼もまた笑った。

おじさん臭くなった友を笑い、
そして彼と同じく"帝撃構想の娘達"の成長を喜んでいた。

年老いた二人。

特に米田は、老けたと思う。

目の前の、
椿が打ち合せ中の紅蘭に報告をしている光景を見て、つぶやく。

「やっぱり…、
 これからはあいつらの時代なんでしょうね」

通信局長と同じような事を言う米田。

うなずく彼らの目の前で、彼らの意思を継ぐ"因子"達が
光武実験を始めようとしていた。

「それでは、風組は待機しています」

米田に言われたとおり、紅蘭を探していた椿。

彼女は光武の足元、各可動部の率数値を算出する装置の隣で、
花やしき支部の機械整備士と何かを打ち合せていた。

この実験場には実に人が多い。
そして、それに負けないくらい、
機械が多い。

椿が紅蘭を見つけた時には、
とっくに風組運搬員は特設休憩所でお茶をすすっていた。

形式にこだわる椿は、
花やしき支部長、紅蘭に逐一報告している。
手には書類が持たれていた。

「これより光武の全機動権を李紅蘭支部長に移行致します」

少々汗を掻いている椿に、
紅蘭は汗のにじむ額を拭いながら、
差し出された書類を受け取る。

「……あ、すんまへんなぁ。椿はん」

紅蘭は、こんな大規模になってしまった光武実験への言葉も重ね、
椿の心労を敬った。

支部長になってから、
こんな事もできるようになってしまったのである。

ペコリと頭を下げた椿は行ってしまった。

その後姿を見る紅蘭だったが、
まだまだ始まったばかりの作業過程を思い出し、
手渡された書類に目を通す。

そして、目の前にいた作業員に口を開いた。

「これでええ。
 光武・改の可動実験を始めます」

すると、目の前の帽子を被った作業員はうなづいた。

「おう」

いつもよりも気合の入った、
男の返事。

帽子のツバの下から半開きの瞳を紅蘭に向けながら、
城田貫吉はうなずいた。

意気揚々と、支部長に気合の入った返事を見せつける。


───────────────────……………………


「おお!!動いたぞ!!」

至る所から歓声が上がった。
中には、帽子を天へと投げて喜んだ者もいた。

平野に広がる歓喜。

地上に並ぶ乱雑な機器の脇を抜け、
赤の光武が起動していた。

巨人は背面の排口から蒸気を噴出し、
機動した霊子エンジンは両手両足をぎこちなく可動させていた。

喜びを叫ぶ機械整備士達の合間を抜け、
悠然と歩く光武。

新たな帝撃の力の誕生だった。

ちなみに運転手はいない。

紅蘭の霊気数値をすり込ませた、
擬似的な蒸気演算機を搭載している。

その為、激しい動きはできない木偶状態の光武だが、
李紅蘭の理論が確かであった事を確かめるには十分だった。

「……」

部下達の功績を目の当たりにし、
言葉を失いながらも笑みをこぼす米田達。

光武の動きに合わせて吐き出されていく稼働率データの紙束は、
準備していた機械整備士達の目の色を変えさせた。

当然、全てが順調、良い結果である。

それは特設休憩所のモニターにも映し出され、
待機していた風組をも沸かした。

「……でかいねぇ。光武は」

それまで、幾度と無く光武を見てきたはずの城田は、
帽子の下から光武・改を見上げてつぶやく。

その袖には記入簿と鉛筆を手にした管野日真和の姿があった。

算出されたデータを、米田達に伝えようと、
第二研究部の担当場所に来たのだが、
やはり光武が実際に動く様には感動を隠せない。

管野日真和もこの喜びを体感したいから、
機械整備士を志望していたのだから。

「……あれ?」

とにかく、指示を出す事に慣れてしまった城田は、
周囲に第二研究部の人間がいない事に気がついた。

あまりにも手際が良い指示出しだったらしい。
城田は帽子の上から頭を書いた。

そして、自分の背後にいるチョコンとした存在に言う。

「そろそろ次の光武が動く。
 蒸気汎プラグの挿入を手伝え!」

歓喜の中で緊迫する現場。
城田は声を荒げる。

すると、管野はビクンと反応し、
とっさに記入簿と鉛筆を近くの蒸気機器に置いた。

そして、白衣を脱ぐ。

彼女は通信局の人間だから、
城田や紅蘭のように作業服ではなかったが、
戸惑いはない。

裾の短いショートパンツと、薄手のセーターは彼女のお気に入りだったが、
管野は迷わずプラグ挿入口に手をかざす。

プラグ機器は蒸気と機械油にまみれた、
小汚いトラックの貨物入れの中であり、
プラグ挿入口も同じである。

「いくぞ!」

巨大な筒状のプラグを両腕に抱えた城田がそう言い、
プラグの腹を引きずりながら挿入口を管野へと差し向けた。

「はいッ!」

管野がそう軽快に答えると、
城田は迷わずプラグを、プラグ挿入口に差し込む。
それは巨大相応の重さで、
乱暴にも似た勢いが必要だった。


ドガアッ!!


大きな激突音が響き、
プラグの金属とプラグ挿入口の金属が、はまり合う。

その時の衝撃によって、機械油が飛び散って、
城田と管野に振りかかった。

私服に染み込む機械油。

少し、不自然な光景だが、
現場が光武実験だとすれば、
そうでもないのかもしれない。

「……ッ!!」

力み、プラグを押し込む城田は、
慎重に金属が重なる部分をネジで接合する。

二人の顔は紛れも無く機械整備士だった。

「……あ!」

その時、若い声が背後から聞こえた。
プラグを抑える二人を見る、黒川宏一である。

彼は城田の指示作業を終えて戻ってきたのだ。

黒川は私服の女の子が作業している光景を見て、
焦りながら駆け寄る。

無論、城田と管野は、
事情を知らない黒川の出現を快くは見ていなかった。

「城田部課長!何を管轄外の女の子にさせてんですか!」

そう叫ぶ黒川。

油まみれの城田はお熱い黒川から目を反らし、
同じような姿の管野はゆっくりと無言で車の貨物室から降りる。

見知らぬ女の子が離れたのを確認するなり、
黒川はプラグ挿入口に駆け寄った。

そして、隣の上司城川を見る。

「人手が足りなくなったら、
 俺らを怒鳴るなりなんなりして呼びつけてくださいッ!!」

彼はそう言って、
城田と管野が指し込んだプラグの最後のネジを閉める。

すると、
しばし沈黙していた城田はぼやいた。

まるで何も知らない黒川に言っても仕方ないのに、
かつての花やしき支部の監督は言う。

「また、やりたかったんだよ。あいつと」

「……へ?」

当然、何の事だかわからない黒川。

そんな部下を置いて、自分勝手な部課長は貨物室から飛び降りる。
次のプラグを取りに行くのだ。

プラグは光武にそれぞれ一本ずつ、接合が必要だ。

今は二体分の接合が成されている。
残りは五体。プラグの圧力不可も考えて、順々にプラグ接続を行う必要がある。

しかし、その時、
次の光武に手を掛ける城田に、
拡声器の声が響いた。

『ほらほら!次はうちの番やぁ!
 緑の光武の出撃やでぇッ!!』

晴天の空に響く、支部長の声は光武・改に内蔵されている拡声器によって、
全ての作業現場に響くよう拡声されていた。

思わず、城田は作業の手を止めてしまう。

本当に嬉しそうである。
何せ、支部長直々の光武・改操作だ。

実際に霊力を帯びた者の操作による、
実践活動能力を図る実験である。

彼女が力強くレバーを引くと、
緑の光武は大きく蒸気を噴出して両脚部を伸ばした。

そして、緑の光武は全身の排気口から蒸気を噴出し、
三本指をぐるりぐるりと軽快に回転させる。

その鋭敏な動きに、先ほどから活気付いていた現場は更なる歓喜の声を上げた。

それに負けないくらい、
操縦席内では紅蘭が興奮する。

「ええな!ええな!
 ほんとに動いてくれとる!うちは感動や!」

いくら天才でも、不安が無いわけではない。

自分の想像が現実になった時、
紅蘭もまた子供のようにはしゃいだ。

花やしきの天才も、いたって普通の少女である。

その時、緑の光武は完全に起動し、
悠然と歩いて見せた。

そしてその後、軽快に空砲の武器を放ち、
平野を走行して見せる。

さすが、前線操縦者の李紅蘭。
こきみよい動きをして見せる。

機械整備士達の祭典は止まらない。

「………」

その頃、帽子を深々と被った男三人組が、
書類と火薬を手にしていた。

特設休憩所の更に裏、
機器だけが放置された人影の薄い場所である。

『第一作業班 田沼』とだけ書かれた胸元の名簿板。

しかし、その動きは挙動不審で、
表情は怪しい。

紅蘭の緑の光武登場という、
メインイベントを目の前に、
活気付かないこの者達はあまりにも怪しかった。

彼らはすばやく歩き出す。

その時だった。

「おっと、」

これまた帽子を深々と被っていた男にぶつかる。

城田貫吉だ。

三人のうちの一人の男は帽子を深々と被り過ぎて、
前を見れなかったのだ。

同じく、前の視界が少なかった城田は、
こじかれた拍子に数枚の書類を散らしてしまう。

「すまない」

城田はつぶやき、
足元に広がった紙に手を伸ばした。

すると、彼ら二人も拾い始める。

だが、なんだか忙しく動いていて、
どうも平常心というものがない。

この忙しい現場だ。

こういう仕事負担の多い部所にいるのだろうと、
城田は別に何も不思議に思う事はなかった。

彼らが手渡してきた書類を手にする城田。

ペコリと頭を下げる。

彼らはそんな城田の姿を見る前に、
いそいそと行ってしまった。

「……どうしました?」

少し茫然とする城田に声をかける管野。

着ていた服は城田に渡された新しい作業服を着せられているが、
頬にはまだ機械油がついている。

その背後では、
可動時間を負えた緑の光武が収納されていた。

次は黒の光武の番である。

城田はその二人の後姿を見つめ、
作業服からタバコと蒸気発火機を取り出した。

人里離れた場所に来たのは、
ニコチンが切れたからだった。

「……いや、なんでもねぇな」

まるで、自分にも言い聞かせるように言う城田。

管野はよくわからない城田の発言を流しながら、
城田の喫煙時間に付き合う。

一応、通信局側との打ち合わせが、
今の第二研究部主察管理人失踪の理由。

だから、なんだか上手く使われたような気がして、
不機嫌そうな表情の管野日真和。

疲労が溜まっていた城田は、
大きく白煙を吹いた。

タバコを口にしない管野からは
本当に不健康そうな光景に見えているだろう。

だが、城田にしてみれば、
これをしないとこれからも長く続く光武実験に付き合っていられなくなる。

気を抜く城田部課長と、
次の仕事の存在に苛立つ管野。

二人の背後では、
そろそろ黒の光武が動き出そうとしていた。