太正十三年。
世間では霊子技術の発達により、
更に人々の生活は豊かになっていた。
蒸気で走る車は高性能になり、
街の電灯も大時計も蒸気で管理されている。
葵叉丹が潰そうとした帝都の街並みも復興し、
降魔達も身を潜めていた。
機械整備士達にとっては、
この上無い好条件の毎日である。
以前のように直しては壊されての連続では、
気分もげんなりしてしまうというもの。
銀座では早急な二代目帝国劇場の建設が急がれ、
花やしきでは次の戦闘に備えた『新しい光武』の製造に明け暮れていた。
平和というものは、必ず裏で誰かが支えているのである。
この男も、どちらかといえば、
支えている方の人間なのだろう。
「………」
花やしきの施設の一つに、
外の景色を楽しめるバルコニーのような場所がある。
西洋のデザインを模して造ったその建物は、
晴天の空と流れる雲を映していて美しい。
少し、仕事をサボっている城田貫吉は、
ただ単に施設の屋上が地上に出ている施設の上からそのバルコニーを見つめていた。
白煙が晴天の空に消えていく。
今、第二研究部は光武の改良とは別の、
第三期"次世代光武"の製造を計画していた。
帝国華撃団の戦力増強は後を断たない。
一応、大体の原案を作り上げた城田は、
その原案を基に図面を製作する事を部下達に指示していた。
「ああー……」
妙な声をあげて、
大きく頭をかく。
表情はぼんやりしているが、半開きの瞳は変わらない。
なまった四肢をググッと伸ばす。
ここ最近はずっと地下にいて、
天然の太陽光を浴びていなかった彼。
空を流れる雲の影が、
城田のいる場所を通っていった。
周囲に人影は無い。
遊園地花やしきとは隔離された場所だ。
耳をすませば、遠くの方に人混みの音が聞こえる。
ここにいると、
やはり人間は地上にいるべきだと痛感できてしまう。
しかし、その時、
城田がこの屋上に出てきた時と同じ、押し開きの扉が屋上屋根から開いた。
「………」
城田は咥えタバコのまま、
この無人の屋上に人が来訪してきた事に気付く。
あえて、反応はしない。
深緑の帽子を深々と被った若者が、
ひょこっと上半身を出して口を開いた。
「通信局長がお呼びです。
あなたに連絡が繋がらないとお怒りのようで……」
そう、男は自嘲気味に言った。
彼は城田の部下である。
多分、その通信局長とやらに、
城田部課長の代役として怒られたのだろう。
彼はなぜか、いつもそういう位置にいる。
ちなみに名前は黒川宏一。
髪を茶色に染めるのが特技の、
少し珍しい若者である。
「……大久保さんか」
通信局長の名前をつぶやく城田。
黒川はうなずく。
彼が出てくた瞬間から、
城田は自分の自由時間の終了を知り、呆けた。
黒川は城田の反応が無い事に戸惑いながら、
返事を待っている。
城田の目の前を、大きな雲は流れていった。
「うちにも通信係作っちゃおうか」
部課長はつぶやいた。
何気ない言葉である。
しかし、あせる黒川はすぐに口を開いた。
「駄目ですよ!」
「………」
元気な若者である。
少し技術能力面で劣る若者だが、
どっかの無気力な部課長よりかは役に立つ男になるだろう。
城田は最後にタバコを大きく吸うと、
大きく吐いた。
もう彼にしてみれば、"タバコを吸う"というのは少し濃度の高い呼吸である。
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花やしきは蟻の巣のような構造をしていて、
中心に空洞がある。
人と人とが会うには、それなりの時間指定をしなくてはまず会えない。
原因は多くの部課所に班が別れている事なのだが、
仕事の関係上、致し方ない事である。
その為、施設内放送の通信課の存在は大きい。
彼らはこの施設内の構造を理解し、
各通信室に連絡を送る事を仕事としている。
緊急放送などがその良い例で、
特に部課長はよく呼び出される。
第二研究部の城田部課長は、
この緊急放送をよくよく聞き逃し、
通信局局長の大久保拓道に呼び出されていた。
今日もいつもの日常のように、
彼は呼び出されている。
第一通達室。
「何をやってんだ、城田ニ尉ィ!!」
中年男性の怒号が飛ぶ。
「……申し訳ねっす」
通達室の出口付近に立つ城田は、
珍しく大人しく怒られていた。
今はタバコもふかしていない。
黙って仕事を続けている周囲。
全員通信局の人間だ。
大久保局長の怒り具合なら、
全員慣れていて、もはや驚く者もない。
髭を生やし、目を見開く大久保局長。
彼は以前、帝国陸軍に所属していて、
よく『精神力は無尽蔵』だと教え込まれた。
とある事件により、今は海軍に回され、
その考えを治そうとはしているのだが、駄目だった。
今でも怒号する時は、
どうも帝国陸軍風に声を荒げてしまう。
中年男性というものは、
一度考えを確立してしまうと、
なかなか曲げられない生き物である。
そして、城田はその事を知っていた。
大久保局長とはなぜか気が合う。
部課長同士の間では仲の良い方だった。
だから、無意味に怒られている今でも、
口答えせず怒られているのだった。
「いいかッ!?
お前が連絡を取らないという事は、
お前の課全体が花やしきから孤立するという事だぞ!!
解ってるのかッ!?」
大久保局長の右拳が、
近くの机を叩きつける。
その拍子に舞った書類を、通信局員は何事もなく拾っていった。
本当に全員慣れている。
その中に、髪を片方の側面だけに束ねた黒髪の女の子の姿があった。
城田の視線が少し、
大久保局長の開きっぱなしの口から離れる。
「………」
城田は、その黒髪の少女を見ていた。
やがて、大久保局長の声も遠ざかっていく。
彼女は大久保局長が巻き散らかした書類を束ねると、
自分の机の上に置いた。
書類束の多い、乱雑とした机だが、
多分、彼女自身に言わせれば、一定の規定があるのだろう。
彼女は特に記憶力が良かったように思う。
部課長となり、忙しかった城田は
別部所に転属した彼女を見るのは久々だった。
黒髪で、
少しつり目の小柄な少女。
どことなく李紅蘭の面影を持つ彼女の名前は、
管野日真和。
先の大戦で、城田貫吉が花やしき支部の責任者になった時、
丁度実践配備された部下だった。
花やしきの人員も整えられ、
しっかりとした構造を立て直した今では、
彼女は通信局に移されたのである。
そういえば、城田が管野の顔を見るのは、
通信局に転属された不満と不安を一晩中話されたあの日以来だった。
城田は、自分の目が何気なく管野の動きを追っていた事に気付き、
大きくため息をついて目をそらす。
そして、かやの外だった大久保局長の怒号が最後に響き、
城田は何気なく頭を下げた。
反省しているというよりも、
大久保局長の口の動きに合わせて、
頭を下げただけのようである。
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「……全く、相変わらず容量が悪いんですね」
深夜の花やしき通路。
甲高い少女の声が響く。
口調はずいぶん落胆していて、
性根の変わらない知り合いを咎めているようだった。
「……すまん」
結局、二時間以上も大久保局長に絞られた城田。
久方ぶりのタバコを口に咥える。
管野は着た白衣の裾が余っていた。
彼女の小さい身長に合う背丈の白衣がないのである。
その点も、紅蘭と少し似ていた。
初め会った時は、
そのあまりに紅蘭との共通点が多かったので戸惑ったものだが、
今となっては城田も管野を管野として見れるようになっていた。
何せ、紅蘭は恐らく、
絶対に自分から告白したりしないだろうから。
城田は不器用である。
だから、女性の知り合いは少なかった。
管野日真和のように、年上が好きなどという、
ある種特別な恋愛感情を持たない限りは、
城田がモテるはずもない。
「そういえば、どうだよ通信局」
城田は白衣から蒸気発火機を取り出すと、
口元のタバコに添えた。
そして、カチカチッと何度か蒸気発火機のハンマー部を弾くが、
火打石の要領で出る火花は弱い。
「………」
管野はそれを、
あどけない表情で見上げていた。
通信局に転属した彼女は、
少なくとも自分の夢を断たれ、
厳しい表情をするようになったが、
その時の彼女は緩んでいた。
隣を歩く城田の表情を見る管野の表情は、
まるで、緊張の糸が切れたかのように、
またあの頃の表情に戻っていた。
忙しいながらも、
城田監督の下で働いていた昔。
だが、管野はそんな自分に気付くと、
すぐに辛そうな表情をしてうつむく。
そして、彼女も白衣に手を突っ込み、
水色の蒸気発火機を取り出した。
「どうぞ」
管野はその蒸気発火機で、すぐに火を灯して城田の口元に向ける。
突然、目の前に出てきた小さな火に城田は目を見開いて驚くが、
自分の火はつかないようなので致し方ない。
管野が差し出してきた火に、
己の咥えたタバコを添える。
城田のタバコが完全に火を灯す前に、
管野は口を開いた。
「大久保局長はいい人ですけど、
やっぱり口うるさいです」
不機嫌そうに、管野は言った。
張本人、大久保局長と知り合いなだけに、城田はほくそ笑み、
タバコの煙を思いきり吸い込む。
身を起こし、管野のいない方向に白煙を吐いた。
だが、管野は運悪くそちらに移動してしまい、
煙の一部をもろに被ってしまう。
「……ケホッケホ!」
本当に運が悪い。
城田はそれに気付き、『あ、すまん』と呼びかけていた。
以前にもこんな事があったような気がする。
管野は気を取り直して背筋を伸ばした。
それでも城田には届かないのだが。
「通信局の毎日は、なんだか機械整備士の仕事とは全く逆です。
何せ、人間相手ですから」
そう言って、管野は右手の書類を城田に見せる。
そこには、この花やしき構成員の名簿と顔写真が刻まれていた。
通信局はこれを把握し、対応する。
管野が通信局に転属して早四ヶ月だが、
もう仕事には慣れたらしい。
城田は少しだけ安堵する。
管野の性分からいって、『文句を言えるだけ仕事を好きになった』という所か。
城田は少し、上機嫌でタバコをふかした。
「そうだな。俺達研究部は図面相手の毎日か。
光武の股下に入ってた頃が懐かしいやな」
「ほんとです」
管野は口添えする。
二人とも、機械整備士上がりで、
今も機械整備士の部類なのだが、
やっている事は機械整備士ではなかった。
その小さな矛盾が、
二人を成長させるのか、否か。
とりあえず、二人は花やしきで働いていた。
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