地下の二人
光武・改の整備が始まり、
三週目の月曜日が過ぎようとしていた。

花やしきの支部局長、李紅蘭によれば、
現在の主力兵器『神武』はもう限界らしい。

それは、技術能力のある城田から見ても同意見で、
『神武』は明らかに本来の活動正常域を越えている。

今、城田が歩いている通路横のガラスの向こうには、
その『神武』が七体並んでいた。

人間用の小さなガラス窓に、
その巨大な頭部を突き出す『神武』。
城田はいつもどおり、禁煙の通路でタバコをふかし、
資料を右手に持っていた。

時刻は深夜。
他の花やしき構成員達はもう寝ている頃だった。

「………」

通路の天井にある蛍光灯が照らし、
ガラスに城田の顔が映る。

なんとも冴えない表情だ。
しかし、城田はすぐにその向こうにある七体の巨人に目がいった。

赤い発光を、今はしていないモノアイ。
ぶらりと垂れた三つ指の両手。
この色とりどりの巨人一つ一つが、世界を救った英雄である。

本来、不測の事態に実践配備される『神武』。
先の戦いでは案の定、彼らは前線に配備され、
帝都防衛を果たしている。

葵叉丹との最後の戦いは特に激しいものだった。

装甲版の剥がれた名機達。

さすが葵叉丹との戦いに打ち勝った機体だけあり、
いたる所に損傷がある。
中にはケーブル剥き出しの損傷箇所もあった。

今は全ての電源が抜かれ、
蒸気供給も断たれているので、
ただの造形物でしかない。

だが、一度起動すれば、
この七体の『神武』はまた帝都の為に戦ってくれるのだろう。

「………」

そんな、何気ない考え事をしながら、
城田は通路脇の防火扉の反応板に手をかざす。

その反応板が手のしわの構造を読み取る事によって、
工場への入室が許されるのだ。

城田の目の前で、防火扉がプシュッと蒸気を噴出し開く。

蒸気技術が発達した現在では防犯体制にまで、
その基礎理論が応用されている。

昔から、その理論を頭にぶちこんでいる城田としては、
どうも感慨深いものだ。
おじさん臭く言うと、
時代の流れを感じるのである。

城田は開かれた扉をまたぎ、
タバコをふかしながら、その工場へと足を踏み入れた。

城田の放つ白煙が禁煙の通路から、
禁煙の工場にゆっくりと流れていく。

工場内はむせかえるような機械油の匂いに満たされていた。

明かりは、遠い天井の照明電光だけで、
部屋中に舞うホコリを照らしている。

そして、目の前には緑の光武がいる。
それだけじゃない。
七体の光武が全てこの工場に立ち並んでいるのだ。

この鼻を突く、重度の機械油の匂いは、
この七体の光武一体一体の整備部分が放っているようだった。

約一ヶ月間、ずっと機械整備士達にいじられている機体達。
当然だ。
彼らは実力相応の道具を使う。
少しでも機械同士のすべりが悪ければ、すぐに機械油を投与する。

だが、それが李紅蘭ともなれば話は別だ。

彼女はとりあえず自らが汚れ、
光武という機械の巨人を手で整備している。

「………」

城田の見つめる先。

緑の光武の股下から、
二本の足が突き出ていた。

周囲にはカチャカチャと、ドライバーかスパナによる機械整備の音が響いていた。

誰かが、緑の光武を仕事時間外にいじっているようである。

本来なら、厳罰ものの行動だが、
城田は不機嫌そうに頭をかき、突き出た二本足に近づいた。

そして、いつもの仏頂面で、
目の前の光景に口を開く。

「……まだ、最終チェック終わってなかったのか?」

城田がそう言うと、
ニ本足は作業用靴の分厚い踵で、軽く地面を叩いた。

城田の到来に驚きもしない。
彼の足音で、彼の到来を知っていたようだった。

ニ、三度響く、軽快音。
『その通り』という合図なのだろうか。

しかし、そんな合図は見たこともない城田は首を傾げ、
片手にあった資料を、空気循環器の上に置く。

すると、緑の光武から背を向けていた城田に、
そいつは声をかけた。

どうやら、自分の思う作業が終わったようである。

「城田はんこそ、
 こんな時間に何してますの?」

声の主は李紅蘭だった。

彼女はからかいの言葉を言いながら、
背中の滑車を回し、光武の股の間から身を起こす。

いつもの白衣は着ておらず、
城田が見慣れた作業服を着用していた。

彼女が銀座支部にいた頃から愛用している、
もうボロボロで黒ずんだ作業服だ。

元々は深緑色なのだが、今では何がなんだかわからない色になっている。
ただ、基調は深い緑だった。

そして、三つ編みに束ねた紫髪と大き目の眼鏡。
城田は、そんな紅蘭に慣れている。

頬にはそれが当然であるかのように機械油が付着していて、擦られていた。

城田にとっては今の紅蘭が正常である。

だから、他の花やしき支部構成員のように、
『支部長、そんな事は止めてください』とは絶対に言わない。

「俺は検査表にあった、
 "光武アイリス機に破損あり"っていうのを確認しにきたんだよ」

城田は口元からタバコを取ると、
そのまま白衣の内ポケットにある携帯用タバコ入れに押し込んだ。

禁煙地域を破る彼でも、
さすがにポイ捨てはしないようだ。

「ほんまに、すっかり人の上に立つ男になりましたな」

にやけ、城田に聞こえないように小さくつぶやく紅蘭は、
手にしていたスパナを足元の道具入れに差し入れると、
代わりにリベットを取り出した。

リベットとは、特殊加工を施した金属の一種で、
特定の圧力・熱を加えると構造変化して釘のように止め具になるのである。

しかも、その材質はとても錆びにくく、
一度固まってしまえば変形しにくい。

いくら霊子技術が発展しても、複雑な構造には変わりない光武の構成に、
リベットが用いられるようになったのは意外にも、
ごく最近である。

「……あれ?」

紅蘭はとぼけた声をあげ、
道具入れの中を見渡した。

中には折れ曲がった釘と、スパナ、各種ドライバー、
そして定規や色鉛筆が乱雑にぶちこまれている。

肝心の、リベットに圧力を与えるための機器が道具入れの中に無いのだ。

「………」

一方、城田は黄色の光武に立ち寄っていた。
距離の離れる二人。

「そういえば、実際に光武を触るのは久々だな」

花組隊員アイリス嬢が搭乗する、黄色の巨人を見上げてつぶやく城田は、
その黄色の光武を調べるために白衣を脱いでいた。

少し油汚れのついた、汚い白衣。
一応、城田も研究部の品位というものを気にしているらしい。

脱いだ白衣を、紫の光武に接続されている数本の調整ケーブルの一端に投げかける。

そして、着慣れた私服の長袖をまくり、
城田は黄色の光武の下腹部へと向かおうとしていた。

しかしそれを、目的の代物を見つけられない紅蘭が呼び止める。

「ねぇ、城田はん。
 リベット用アンパイン知りまへん?」

道具入れに対してしゃがみ込み、
ごそごそと道具入れ内の作業用具を鳴らしている紅蘭。

少しにじんだ汗を手の甲で拭いながら、
紅蘭は城田の背中に向かって言う。

それ来たよと、立ち止まる城田はいぶかった。

「アンパインは花やしきではもう使われないんだろう?
 これからはアンパじゃなくて蒸気パイルを使うんだ」

城田の口ぶりは、
以前から決まっていたかのような言い様だった。

城田はうざったそうにそう言うと、
紅蘭のいる場所の近くにある大型の道具入れを指差す。

「……?」

一瞬、思いもよらない言葉を言われて、
首を傾げる李紅蘭。

だが、すぐに城田の指差す方向を見て、
所々が色の剥げた四角い鉄箱に気付いて納得した。

それは紅蘭が初めて日本に来た頃からある、
蒸気式で動く大型道具をしまう道具入れと同形だった。

これと同じ形の道具入れは、
この花やしき支部には全施設各工場内には必ず一つ完備されている。

だが、蒸気パイルは蒸気エネルギーの消費が激しい。

李紅蘭は好んでアンパインという自力で動かす道具を使っていた。
それは先日まで、この工場にもあったのに、
今夜はもう無いらしい。
しかも、城田によればもう二度と設置されないようだ。

支部長は、抜き取った蒸気パイルを手に、首を傾げる。
その蒸気パイルのおしりには太くて長い黒のケーブルが接続されていて、
それは天井の蒸気ポットに繋がっていた。

「うちの指令と違いますよ。コレ。
 蒸気パイルに入れ替えるなんて報告、うち、受けてないんやから。」

天井を見上げながら、寂しそうにつぶやく紅蘭。

彼女の動き、一部始終を見ていた城田は両手を腰に回し、
わざとらしく大きなため息をつく。

そして、新しいタバコをズボンから取り出しながらに言った。

「第参研の田嶋が言ってたろ。
 『概存の旧設備は全て最新の備品に変えます』って。
 その結果だ」

くわえタバコに火をつける城田は、何も知らない支部長に言った。
仕方ない事ではある。
何せ紅蘭は多忙だ。

「……ほうか」

蒸気式パイルを片手に、
紅蘭は残念そうな表情で肩を落とした。

頭には、すでに個人用のアンパインを購入する事を考えているが、
やはり、予想外の新備品には戸惑いを隠せないらしい。

「………」

城田は、いまいち責任者としてずれている紅蘭を見ながら、
黄色の光武の右足側部に歩き寄った。

報告書にある、損傷を確認するためである。

城田は無言のまま、側部の蒸気排出口に被さった、
大き目の鉄鋼を持ち上げる。

すると、その下から蒸気排出口と、
その脇に黒で統一された管が数本通っていた。

中には城田の二の腕ほどもある管もあり、
恐らく蒸気の通り道、すなわち光武の血管という重要な箇所である。

この箇所は、よくよく損傷が激しい。
何せ蒸気が通るのと同時に、
光武の体重を支える足の役目も担っている。
光武の改良には、この解決が最優先にされていた。

その管の右から三番目。
管に、螺旋状の止め金のある配管。

城田はそれを見つめて、
不機嫌そうな表情をしていた。

「おい、紅蘭」

金属が金属の音を立てる、
整備の音が響く、この工場に、
城田の低い声が響いた。

紅蘭は緑の光武の股下に入って、
蒸気パイルを持ちにくそうに作業している。

別に作業を止める様子も無く、
紅蘭が城田を見る事も無かった。

「なんやぁ?城田はん」

城田に答えたのは、紅蘭の間延びした声だけだった。

しかし、城田はそれにも構わず、
両手を腰に回し、ふてぶてしく口を開いた。

「お前、損傷箇所勝手に直しただろ」

城田が大きくため息をつくと、
彼の口元から、これまた大きな白煙が舞い上がった。

一体自分は、何のためにこの工場に来たのか。

一方、自分がした事に気付いてもらえた紅蘭は、
緑の光武の股下でニヤッと微笑む。
彼女なりの嫌がらせである。

その作戦が成功し、
上機嫌で蒸気パイルを操作していた。

用意していたリベットが、
パイルの先端に押し潰されて平たい止め具に変形していく。