太正十二年。
城田と紅蘭が出会ったのは、
黒の巣会との戦いが激化した頃の帝国劇場、
銀座支部の工場だった。
あの頃は、
本当に戦いの真っ最中で、
ゆっくり話もできない毎日だったが、
それでも充実していたと思う。
城田はぶらぶらと生きる男だったが、
李紅蘭の生き方に直面する事よって、
強くなれたと思う。
それは城田も自覚している事で、
影ながら、感謝もしている。
だが、部課長という座にだけは、
納得できずにいた。
それは、
今まで気ままに生きてきた城田にとって、
初めて人を動かすという未知の領域だったからという理由もある。
しかし、別の理由の大体が、
自分はそんな男ではないと思う、
城田なりの自覚によるものだった。
「………」
仏頂面の城田貫吉。
部課長に支給される、大きな羽毛椅子に腰掛けながら、
天井を見つめている。
仕事は、一応完璧にこなしているつもりだが、
何かが腑に落ちない。
銀座にいた頃、
紅蘭の天才的技術を目の前にし、
がむしゃらに追い駆けていた頃の自分は、
一体なんだったのであろうか。
はっきりしている事は、
こんな座り心地の悪い椅子を手に入れるためじゃない。
まして紅蘭に勝とうとかいう問題でもなかった。
思いにふける城田は、
何気なく、目の前の机の引き出しを引く。
中には薄汚れた手袋が一対、
白紙の書類の上に置かれていた。
実に思い出深い、手袋。
以前に紅蘭から貰ったものだった。
「………」
それを見つめ、昔を思い出しても、
迷いに結論は出ない。
当然といえば、当然か。
城田貫吉は、
二十代半ばにして、
己の人生というものを見つめようとしていた。
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午前零時のどこか。
夕方から降り始めた雨は、
今も止まずに地面の土を剥がしている。
周囲は森。
そこを切り抜かれて造られた道が一本。
そして、その道の始発点に存在する、巨大な砦。
石壁に囲まれた、厳重防御の軍部旧式砦である。
空は暗雲が立ち込めていて、
人が気軽に出かけるような天候ではない。
だが、それなのに、
彼らはそこにいた。
「………」
砦に背を向け、並ぶ者が九人。
砦に顔を向け、並ぶ者が三人。
彼らの着用している服が、雨を弾く。
その大きな帽子のツバには、雨雫が溜まっていた。
全員、同じ格好をしている。
少し軍服にも似ているが、明らかに違っている箇所がいくつかある。
軍服というものには決められた製造過程がある。
長いその過程を通ったものだけが、
帝国軍人に支給されるのだから、当然だ。
だが、彼らの着用してる衣服は、
軍服を模しただけの安造りなまがい物だった。
彼らの間には二人の男がいる。
周囲の男達より、一段と豪勢な衣服を着用しているが、
やはり軍服ではなかった。
禁止されている帯刀。
さびのついた鉄筋入りの首襟。
分厚い生地に直接糸を編み通した上着。
どう見ても、私服ではない。
「…………」
神妙な表情の二人。
その場にいた誰しもが、同じ表情をしていた。
まるで、総出で自決でもしそうである。
やがて、並ぶ二人の片方の男が口を開いた。
「どうか、目的を果たして欲しい」
髭を生やした中年の男がそう言った。
隣にいて、静観を決めていた小太りの男も、
口添える。
「君達、若者達を尖兵として送らねばならないのは、
我々も息苦しい事である。
しかし、帝都を救うとするならば、如何な手段も選べぬのだ」
"帝都を救う"
それはどこかの部隊の人間達と同じ台詞。
しかし、この暗さと神妙さは明らかに帝国華撃団ではない。
彼らは直立不動で会話していた。
雨は一層強さを増し、
男達は滴っていく。
どうやら、向かい側の三人を、
見送っている真っ最中のようだ。
背後の七人は何も喋らず、
天気は雨。
その上、彼らの神妙な面構えは、
どうも華々しい見送りではないように感じる。
だが、それでもどこかへ行かんとする三人は、
誇りある英雄の顔をしていた。
髭を生やした中年の男が彼らに言う。
「掟に殉じ、貴君ら二名は今宵より死んだ者とする」
なんとも物騒な物言いだ。
並ぶ三人の男は眉一つ動かさず、
その言葉を受けれている。
すると、髭の男はもうびしょぬれの上着のポケットに、
白手袋を着けた手を突っ込む。
何かを取り出そうというのだ。
髭の男はごそごそと、
少し段取り悪く動いていたが、
"それ"は意外に、そして簡単に出てきた。
雨が"それ"を打ち付ける。
髭の男は"それ"の持つ部分を三人の男達に差し出して、
更に厳しい表情で伝えた。
「作戦失敗の暁には、
己の誇りを胸に、自決せよ」
黒光りする、"それ"。
ハンマーも回転式連装も使用しない、異形の銃器。
この蒸気の発達する世の中で、
今だ火薬による機能構造をしているのは、
この銃器が古くより発達していない証拠である。
もとより、発達すべきではないのかもしれない。
彼らに渡された銃器とは、
頭蓋を割り、痛みが脳に伝わる前に脳を粉砕できる拳銃。
彼らの間では『神川弐式銃』と呼ばれる、
自決専用の重々しい銃器。
すでに弾は込められている。
銃は三つで、弾も三つ。
片方の男がそれを取ろうと手を伸ばす。
だが、それはわずかながらに震えていた。
さすがに、己の命を絶つことになるかもしれない代物を、
気軽には触れられないらしい。
だが、その隣にいた、もう一人の男がその無様な光景を見て、
とっさに髭の男から『神川弐式銃』を掴み取る。
彼の行動は仲間の無様を隠した結果となったらしい。
髭の男はその三人を、
上からぎょろりと見つめ続けていた。
まるで、三人の心を威圧し、
試しているかのようである。
その時、『神川弐式銃』を手にした男は、
もう片方の男を睨み、
大きく背筋を伸ばした。
これは、彼らの間では目で合図を送るという、
無駄口を排除したやり方である。
三人は行動を合わせた。
「……ハッ!!」
三人の男の敬礼。
髭の男が言った言葉は、明らかに旧世代の日本軍魂に基づく理論。
文明開化の成された現代では半ば禁じられた指令でもある。
その指令をなんの気概も無く、
周囲は受けれてしまっていた。
少し、異常さをかもしだしている。
この者達は何者なのだろうか。
彼らは雫の垂れるつばの下から、
己が十年以上いた場所、鉄の砦を見ていた。
「我等の意思を通すまで、
この地帰らずは覚悟の上にて候。
無尽の精神で作戦遂行を果たす所存です!」
まるで、どこかで台本でも渡されているかのような、
見事な台詞。
言い切る言葉に、覚悟を確かに感じる。
そして、三人の男は直立し、大きく息を吸い込んだ。
この雨の中、三人の男は声をそろえる。
「必勝の信念を、我らにッ!!」
勇ましい態度だ。
しかし、どこか古い。
三人の言う言葉は、どこかの戦国武将のようである。
だが、それでもやはり周囲はそれを受け入れ、
更に驚くべき行動に出た。
彼らの右手がすばやく、きびきびと動く。
そして、開いていた足をそろえた。
彼らが行ったのは敬礼だった。
それも、帝国華撃団式の相手に激励を贈るものである。
なぜ彼らの敬礼と帝撃の敬礼は同じなのか。
その疑問を晴らしてくれる様子も無いまま、
彼らは三人の男がそうしたように口を開く。
「我ら死するとも、軍国の魂は死なずッ!!」
キレのある台詞。
彼らはこの言葉を数回続けた。
大の男が十人、こんなところで遊んでいるわけでもない。
紛れも無く真剣に言っている。
彼らは台詞を言おうとするたびに、背筋を伸ばし、
腹の底から言葉を吐く。
勇ましい。
だが、その列の間にいる二人は寡黙に下を見つめていた。
髭の男と、小太りの男。
彼らはどうやら、周囲の男達の上司のようである。
なんども続く"鴇の声"の中、己達の存在が確かである事を確かめる二人。
三人の部下に『場合によっては死ね』と言っておきながら、
今も平気に見送っている。
野心を表現する、二人の表情、瞳。
彼らの声はいつまでも続き、
異常な夜は長く続いた。
後に暗の部隊は出撃する。
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