筋の通らぬ
『神武』の整備が終了し、
その機体全てを銀座支部に受け渡した花やしき支部はとても静かなものだった。

残る仕事である巨大空中戦艦『ミカサ』に関しては、
計測だけなので、大して肉体労働ともならず、
城田を含む整備班の担当メンバーは計測室で、パラメータとにらめっこしている。

今頃、
帝都に現れた敵に、
神武が、その高性能を振るって暴れている頃だろう。

そう確信するほどの自身が
彼らにはあった。

現場監督・城田貫吉もその一人であり、
計測室の良い造りの椅子に大きく座りながら、
くわえタバコで呆けていた。

もしかしたら、
本日の仕事はこれで終わりかもしれない。

城田はうつろに天井を見上げる。
脳裏には先ほどの椿との会話を思い出していたのである。

『向こうに行っても『神武』に関しての手作業があります。
 もし、よろしければ私達に同行していただけるとありがたいのですが……』

『残念です』

たった二つの台詞だったのに、
城田には二時間以上経った今でも気になる。
本当に精神的に弱い。
しかも、それを表に出さないように無愛想にしているから、
タチが悪い。


……コンコンッ!!


鋼鉄の部屋のドアをノックする音。

この花やしきで、ノックなんて礼儀正しい真似をするのは、
女性である管野日真和しかいない。

気がついた城田が
たばこの火を消す。
そして立ち上った煙を手でかき消しながらに言った。

「どうぞー」

「……どうも」

中の様子をうかがいながら、
ドアを開いたのはやはり管野だった。

城田は、そのあどけない表情を見るなり、
再び椅子に深々と腰を落ち着ける。
城田が背もたれに体重を乗せると、
背もたれはバネ式に下がる。

そんな無愛想な城田に、
管野はトテトテと歩いた。
横になる城田の顔を覗きこんで、
管野は笑った。

「風組の人に言った台詞、カッコ良かったですよ」

からかうようにクスリと笑う管野に、
城田は対して反応を見せなかった。

どうやら、椿の出した提案を断ったときの台詞のことを言っているらしい。

その時の城田の気だるげな風貌を真似して、
管野はわざとしかめっ面をしてみせる。
そして可愛げに口を開いた。

「遠慮いたします…ッ!
 自分は花やしきを任された男ですから!」

少し間違った台詞を言いながら、
管野はからかう。

城田はそんな明るい管野を見つめて、
寝そべっていた身を起こした。

やはり、どうもコチラの調子が狂う彼女だったが、
城田はふてぶてしく言った。

「別に本心じゃない。
 マニュアル通りに言っただけでな」

カッコつけてはいたが、
嘘はバレバレである。
そんなマニュアルは無い。

勤勉家である管野にはそんな単純な嘘は通じない。

管野はクスクスと笑う。
しかし、不意に寂しげな顔をして菅野は甘えた表情で言った。

「城田監督の好きな人って誰ですかぁ?」

突然に、菅野は城田に呼びかける。
城田は目を見開いて驚愕した。

城田が驚くのも無理はない。
菅野自身、いつも冷静な城田を驚かせたくて
言ったのだから。

「だって、城田監督、全然私に振り向いてくれないんだもん。
 他に好きな人でもいるのかなぁって……」

ようやく恥ずかしがり始めた菅野の表情。

城田は深々と座っていた椅子からズレ落ち、
そのままで彼女を見入る。

こんなに積極的な子とは思えなかった。
唯一見つけた李紅蘭との特異点。
その時、初めて菅野が女性に見えた。

「………菅野…」

驚きながらも、彼女の気持ちに応えようと考える城田の表情が引き締まる。

その直後、
静かだった、この計測室に装着された通信回線が開いた。

『入電、入電、城田さんはいますか?』

計測室の端にある、
連絡用の通信装置から聞こえてきたのは備品整備班の熊井氏の声。

呼ばれた城田は
とっさに起き上がって、その通信に答えようとしたが、
その前に管野がすばやく受話器を手に取る。

城田ののろい動きは問題だが、
それよりも管野自身がわざとその通信を受け取ったようにも見えた。

もしかしたら、城田と自分が一緒にいることを
周囲の人間に知らせたいのかもしれない。

妙に嬉しそうな管野は
受話器に向かって話し始めた。

すると、熊井氏の返答が聞こえてくる。

『あれ…?日真君か、まあいいや。
 本日の戦闘が終了したようだから、
 もうすぐ、この花やしきに『神武』が戻ってくるぞ』

どうやら、
『神武』は敵に通用したらしい。
新たな敵との戦闘に勝利したようだ。

城田は胸をなでおろす。

管野はウンウンとうなずいた。

『……で、
 午後の六時頃に到着するらしいから城田監督に
 準備するように伝えてくれよ』

「はいな」

元気良く、管野は応えた。

すると、城田は立ち上がる。
伝えるまでも無い。
こうして同じ部屋にいるのだから、聞こえてる。

城田にはなぜ管野が
受話器を取ったのか、判らなかった。

単なる気まぐれだろうと納得する。

しかし、立ち去ろうとする城田だったが、
その時、まだ通信は終わってはいなかった。

城田が部屋のノブに手を伸ばす。

菅野は受話器を耳に添え、通信を続けた。

熊井氏の声が響く。

『あ、それと、受け渡しは今回風組じゃなくて
 花組の人が来るらしいから』

「なんで?」

菅野の疑問も当然だ。
運搬は風組の仕事である。

城田も立ち止まり、耳をかたけた。

『なんでも機動力を重視した構造に変える方針で、
 米田指令が花組の整備士を送ったらしい』

「誰?」

『誰って、そりゃ花組の利き腕整備士って言ったら
 李紅蘭しかいないだろ』

「ふうん」

菅野は新人だから、
紅蘭の存在を知らない。

どうやらそれで通信終了らしく、
熊井氏は『それじゃ』と最後に付け加えて通信を終えた。

菅野も受話器を置く。

菅野は通信を終えて、満足そうににんまりすると、
城田の方に振り向いた。

「……どうしたんですか?」

城田の見たことも無い表情に
菅野が思わず口走る。

城田は目を見開き、
眉をへの字にして身を震わしていた。

「……………ッ!!」

菅野が不思議そうに見つめる。

城田は信じられないといった感じに首を振り、
悔しそうに顔を手で覆う。

そしてもう片方の手で、
前の鋼鉄の扉を打ち据えた。

……ゴンッ!

小さく、鈍い音が計測室内に響いて、
菅野は目を見張る。

彼女は思わず開いた口に手を添えて、
驚きの表情で城田を見つめた。

「……まったくよォ…
 コイツは参るぜ…」

苦みばしった表情で言う城田に、
菅野は驚いていた。

こんな城田監督見たこと無い。
しかし、その異質な雰囲気。
好きな人の経歴にあった元銀座支部の備品整備士の称号。

菅野はハッと気がついて歩み寄る。

「……もしかして…
 城田監督の好きだった女性って…ッ」

菅野の問いに、
城田は無言のままで、応えることはなかった。

不意に思いついた菅野の不安が的中する。

紛れも無く、
紅蘭の事が忘れられず、苦悩し続ける城田貫吉だ。


──────────────────────………………

───────────────…………………


1924年、
太正一三年。

〈午後四時四十五分〉
人型蒸気機関『神武』七機を搭載した轟雷号が発進。

〈同時刻〉
花組隊員、李紅蘭他四名が蒸気車に搭乗。

午後四時五十分時点で帝撃・銀座支部からの運搬手続きは終了。

〈午後五時〉
花やしき支部に入電。

〈午後五時五分〉
花やしき支部・工場取締り役代行、城田貫吉に報告。

〈午後五時十分〉
花やしき支部、全工場内電源に通電シフト。

〈午後五時四十分〉
蒸気車、花やしき支部離着陸場(地上第二工場)到着。
轟雷号、花やしき支部地下倉庫通路十キロ地点通過。


〈午後五時五十分〉
轟雷号、花やしき支部地下倉庫に到着。運搬開始。
李紅蘭他四名、離着陸場に到着。

受け渡し作業、十分前。

城田のいた計測室。

城田は椅子の上に座ってうつむき、
両手の指を組んで、
祈るように呼吸する。

それが約五分。

全ての万感の思いと、
迫り来る自らの恐怖に結果を出すために。

『『神武』引き渡し代表・李紅蘭到着、
 城田さん、地下室・轟雷号の発着所まで来て下さい』

その入電が部屋に響き、
城田は立ち上がった。

けして表情は明るくない。
しかし、今までのように何もかもを投げうったような気だるい表情では無く、
苦悶した漢の顔をしていた。

無言のままに扉を開き、
外へと続く通路に向かう。

ひんやり冷たい鋼の床に、
城田の特製ブーツが鳴り響き、
重々しい扉が開いた。

「…………」

開かれた扉の前に
菅野日真和が心配そうに経っている。

城田は彼女の顔を厳しい目つきで見流し、
立ち止まることは無かった。

この城田貫吉。
内心、ビビリ屋で、どうしようもない甲斐性無しだけれど、
彼女・菅野日真和の気持ちくらいはわかる。

そして、今も自分の気持ちに素直になりきれないし、
かと言って逃げることへの恐怖もあるけれど、
彼女に対し、中途半端な対応をしてはいけないことは知っていた。

だから、城田は無言で歩く。
この自分を好いてくれる一人の女性を
自分と同じく無意味な片思いにさせないために。

しかし─────。

「なんで無視するんですかッ!!」

彼女は平穏が嫌いらしい。

自分に正直で、
いつも気持ちを伝えたいらしい。

城田には無い本質的強さだ。

城田の足が止まる。
思いつめた表情で、部下を睨むかのように見つめる上司が一人。

「今まで、何気なく話してくれたじゃないですかッ!」

悲痛そうに訴える彼女は
黒髪を振り乱し、城田の懐に走り寄る。

しかし、あくまでしかめっ面の城田はその体を受け止める様子は無く、
菅野の顔は城田の汚い作業服の胸元に当たった。

拒絶されることに震える菅野は
更に打ち震え、頭上の城田の顔を見上げる。

泣いていた。

「好きな人が来たら、私のこと、放っとくんですか!?
 そんなの…そんなのって無いですよォオッ!!」

泣き叫び、そう訴える彼女。

城田は無言だ。

かつてのように、気だるい表情ではなく、
しっかりと相手の目を見て、立つ。
相反するはずの緊張感と高揚感が
城田の体に同居していた。

「俺は逃げたりはしない…。
 君の勇気…わずかに分けてもらおう」

そう言った城田。

まるで、何十年もの間、口を開いていなかったかのように無口だった城田が
菅野を前に口を開いたのだ。

「……?」

菅野は涙目で驚き、オドオドと見つめる。

城田はそんな菅野の右頬を光ある出口の方に向け、
そのまま、そのプックリとしたピンクの唇に
自らの唇を重ねた。

「…………ッ!!!」

菅野はあまりに唐突な城田の行為に、
目を見開く。

頭の中が真っ白になっていく。

口づけされたままの菅野は泳ぐ目で、
動こうとしない城田を見つめた。

……なんと苦しそうなことか。

まるで千年の監獄に行くかのような顔つきだ。
自分とキスをしていて、
これほどまでに苦しそうだった男がいただろうか。

菅野は
自分の好きになった男がどれほど意味深い男であるかを
その時、初めて知った。

城田は天井を向く。

そして、城田は菅野の肩から手を離し、
暗い通路を歩き始めた。

「……うぅ………」

菅野は立ち尽くす。

あの決心固まる男に一体、何を言えばいいのか。

しかし、目の前の人は
好きな人の待つ場所へ行く。

その好きな人とやらが、城田監督の気持ちに応えるかどうかは判らないが、
とにかく行ってしまう。
手から離れて行ってしまう。

判ってはいたが、
菅野はそれでも彼を呼び止めることは出来なかった。

「…………」

ついに通路の出口付近にまで歩きついた城田に、
まぶしい光が差しこむ。

城田は手をかざし、
目をつぶった。