正月の君
『黒之巣会』との決戦から約二週間。

復興した帝都は
お祭り騒ぎ一色になっていた。

『黒之巣会』という敵に常に怯えていた人々の心の反動は
彼らに素直に喜びを口にすることを教え、
楽しさを全身で表すことを知ったのである。

帝都崩壊を目論んでいた天界は皮肉にも、
更なる幸せを呼びこんでしまった結果であった。

そしてそこに、
年始めのお参りである。

帝都中がお祭り騒ぎであったもいたしかたなかった。

銀座。

帝国華撃団の隊長、大神一郎は
米田の粋な計らいにより休暇を貰い、
想いの人を連れて神社へと向かっていた。

本当に平和である。

人は笑いながら歩くものだと再確認できる。
それほどの帝都の光景は眼福であると言った米田は指令室の窓から見下ろしていた。

その後ろに、
藤枝も沿う。

残された帝撃隊員もそれぞれ自分の時間として有効に使っていた。

地下格納庫の看板つき娘、
李紅蘭も同様で、
もはや無用の長物になるかもしれない光武を整備していた。

いつものように頬にススをつけて、作業服には油をつけて、
本当に彼女は変わらない。

紅蘭は光武の動力源であるバックパック部にスパナを入れ、
回路をつなげ終えると、額の汗を拭いて一歩後ろに下がった。

「……さてさて…動くかいなぁ」

期待混じりの声を上げて、見つめる紅蘭の前で、
緑の光武がガタガタと動き始め、蒸気をボッボッと立ち上らせる。
そして、次の瞬間
光武が中から発光した。
紅蘭の機体である光武は緑を基本色として塗装されたからなのか、
放った光は緑だった。
薄暗い地下格納庫内の隅に、
まばやく緑の光がこもる。

どうやら成功らしく、
紅蘭の表情が輝いていく。

彼女はウ〜〜と唸って縮こまり、
大きく両足で跳ね上がった。

「やったぁーッ!!
 成功や!光武の電飾仕様やでェ!!」

興奮しきった紅蘭は、
この平和を本当に楽しんでいる。
密かな想いなんて、どこかに封印したらしい。

その様子を城田は彼女のいる場所より
高台の場所から見ていた。

「………」

なんてことはない。
フラリと地下格納庫に立ち寄ってみたら
緑の不思議な光があったから立ち寄ってみただけである。
別に紅蘭に会いに来たわけじゃない。

そして、紅蘭から逃げたいわけでもない。

城田はしばらくそこにいて、
彼女の動向をうかがっていた。

「そんなら、ここをこうして……」

一人事の多くなった紅蘭は、
光武の太もも位置にある調整部分のハッチを開き、
数値をいじくり始めた。

しばらくして、光武の緑光が増していく。

紅蘭の深い紫の髪が緑光にあてられて、
黒くなっていき、紅蘭の頬は緑光に照らされていた。

なんとも幻想的な光景である。

城田の目が細まる。
くわえタバコの煙が煙たいわけじゃない。

「よっしゃぁ!
 これで今年のクリスマスの電飾は完璧や!!」

突然、飛び出た紅蘭の的ハズしな言葉に、
城田はタバコを手に取ってタハッと小さく笑い捨てた。

この騒がしい正月の季節にクリスマスの電飾デコレーションとは
気が早い。

しかし、そんな彼女らしさに城田は笑った。

紅蘭が嬉しそうに次の仕様を考えていると、
突然、光武が灰色の煙を上げ始めた。
どう見ても蒸気ではない。

城田は不意にまじめな表情に戻ってピクリと反応してみせた。

紅蘭が振り向く。

「あかんッ!!」

そう叫んだ次の瞬間。

……ドガァッ!!!

少規模の『爆燃』を起こし、
紅蘭が白い爆風に巻きこまれる。

…つまり、重油の染みこんだ液体粒子(この場合は水蒸気)が広がり、
それが発光による熱で引火。
火を帯びた粒上の重油は次の粒から次の粒へと燃え広がるという理論で、
爆発とは全く違うのだが、
それが瞬間的に起こるため爆発と同様の爆風が起こる。

科学的初歩で、意外と忘れがちな密室での危険現象。
この場合は光武機内のわずかな隙間がその役目だったらしい。

城田は心配し、駆け寄る。
…といってもこの高台の端に歩み寄るくらいだが。

白い水蒸気の爆煙が立ち消えて、
その下からは
眼鏡を曇らせた紅蘭が現れた。

紅蘭は放心として天井を見上げているが、
体に怪我は見られない。
『爆燃』は本当に小規模だったようだ。

城田は安堵の溜め息をついて、
胸をなでおろす。

「………ほッ」

そしてしばらく見下ろしていると、
彼女は両手を突き上げて、かわい気に唸り始めた。
どうやら疲れた身体筋肉をググッと伸ばしたようだ。

城田の目が丸くなる。
なぜ無傷。

紅蘭にして見れば、全てが予測できたことらしく、
この小規模の『爆燃』にも動じない。
むしろ、いい加減にしろと怒られた気がした。

もやもやした感情を一生懸命に誤魔化している自分に気がつかされ、
紅蘭は天を仰いで仰向けに倒れる。

「……あかんなぁ…
 うちぃ…ほんまにあかんようになってしもたんやろか…」

溜め息に押し出されるようにしてつぶやかれた、
その言葉の意味はわからない。
しかし、城田はそれどころではなかった。

彼女が突然に仰向けに寝るものだから、
こちらも慌ててしゃがみこんで身を隠してしまったではないか。

先ほど、自分自身に『俺は別に紅蘭から逃げてるわけじゃない』と言い聞かせたはずの
城田は案の定、彼女から見えないように身を伏せている。

願ったわけでもなくでかい体のせいで
頭は見えてはいるだろうが、幸いにも髪は黒髪で、
この薄暗さでは見えないだろう。

城田は安心する。

しかし、紅蘭はそんな城田の方を向いていた。

「………」

哀しげに見つめる表情は気づいてないらしい。

城田はふうっと溜め息をついて、
彼女と同じく仰向けになった。

別に彼女を意識してではない。
これは本音だ。

城田は気だるくなると仰向ける癖がある。

今まで『黒之巣会』とかいう奴らのせいで
すさまじく忙しかったから、最近はあまり表に出なかった癖だったが、
この間抜けなくらいの平和ではまた出てしまうらしい。

その頃、紅蘭も仰向けて、
天井に装着されたケーブルの数を不意に数えていた。

紅蘭は物思いにふけると、
無意識的に数を数える癖がある。

二人とも、大して役に立たない習性だ。

「……うちの光武…このまま役に立つこと無いんやろか」

しばらく続いた沈黙のなか、
彼女が不意に言葉にしたのは
結構、不謹慎な台詞だった。

光武が活躍する時、
それは悪の巨大組織や巨大兵器が現れた時であり、
それは帝都に危険が及ぶという時でもある。

それを願うのは紅蘭の良心が許さず、
だから、光武の新しい活路を探していた。
この正月、ずっと考えた末、
出た彼女なりの答えが『光武を電飾デコレーション』であったらしい。

すなわち、光武を街の守り神か電飾灯として残したいというのだ。

この作戦を、
昨日の夜に真宮寺さくらに話したところ、
大好評であり、神崎すみれに話したところ、大不評であった。

それじゃあ実際にやって見せてみようと、
本日に息巻いて紅蘭は頑張ってみたのだが、
結果はご覧の通り失敗である。

ちなみに副隊長マリア=タチバナは無解答。
『多分、米田指令に無理って言われるわ』とのことで、
ある意味彼女が正解。

その頃、城田はすっかり気持ち良くなって、
眠りそうになっていた。
もう不思議に思った緑の光の正体も知ったというのに城田は歩き去ろうとしない。
…というのも、城田の特殊ブーツはこの鋼の床によく響き、
こんな静かな室内では紅蘭に一発でばれてしまうのだ。

「……まったくよ」

くわえタバコは何時の間にか、落としていたらしく、
目を閉じた城田は
口元を寂しそうにモゴモゴとさせながらぼやいた。

その時である。

「こないなトコで眠っとったら、
 風引く言うたのは城田はんやんか」

城田は目を見開いた。

ビクリを全身を振動させ、
起き上がろうとする。

今のは確かに紅蘭の声だ。

気付いた城田の目の前に、
紅蘭の顔はあった。

彼女は仰向ける城田のすぐ横に立ち並び、
作業服に手を突っ込んで、城田の顔を見下げていたのである。

あまりに突然のことに、
驚きの表情を見せ、起き上がる城田だったが、
観念したのか、立ち上がるのはやめたようだ。

紅蘭はツナギ式である作業服を腰まで脱ぎ、
気楽そうなタンクトップを一枚着ていて、にやけていた。

どうやら先ほどの『爆燃』による瞬間的温度の上昇で
作業服が焦げ臭くなってしまったらしい。
それでも紅蘭は今もこうして笑っているからすごい。

しかし、驚きに反して城田の目はいつものように気だるそうだ。
城田はタンクトップ一枚という紅蘭の格好を見上げているのに
大して嬉しそうでなかった。

タンクトップからは華奢な柔肌のニの腕が出ていたし、
胸元も見える。
だが、惜しいかな、胸が平均女子のそれを下まわっているご様子なのである。

タンクトップは見事に風になびいいていた。

城田がそう思っているとは露知らず、
平和な紅蘭はずっとにやけていた。
もし、彼女に読心術の一つでもあれば、
今ごろ紅蘭は顔を真っ赤にして立ち去っている。

城田は十七才である紅蘭の前でも、平然とタバコを取り出し、
それを口にくわえながら話し始めた。

「なんでわかったんだよ。
 作業中は声かけないと絶対に気付かないお前が」

ぶっきらぼうにものを言う。

紅蘭はその態度に怒って見せて、
城田が火をつけようとしていたタバコをすばやく取ってしまった。

始めて触った日本製のタバコを手に、
紅蘭は意地悪く言う。

「その床辺りに赤い点みたいな光が見えたんですぅ。
 この部屋じゃ吸ったらあかんのに、吸ってる人なんて城田はんしかおらへん」

紅蘭はつんけんしたまま、
城田にタバコを返す様子は一切無かった。

一時は無理にでも取ってやろうかと考えていた城田だったが、
紅蘭の言葉を聞いて、
辺りを見渡す。

「……あ」

彼女の言うとおり、
先ほどの『爆燃』の位置から丁度見えるくらいの位置に火のついたままのタバコが光っていた。
おそらくしゃがみこんだ時に
慌てていたので存在自体、忘れたのだろう。

城田は自分の失敗を複雑に捕らえていた。

「まったく、城田はんも人が悪い。
 なんでうちの作業、覗き見してるんや」

紅蘭はタバコを教師の教鞭のごとくふり、
城田に言う。

城田はようやく立ち上がると、
紅蘭よりも目線が高い位置になったことによって強気になったのか、
ようやく彼女に面と向かって話した。
おそらく、城田自身にしてみれば全てが無意識だろう。

「別に覗き見してたわけじゃない。
 変な緑色の光があったから立ち寄っただけだ」

そこまで真実。
後のことは嘘をつかねばならない。

紅蘭は城田の顔を疑い深く見上げたが、
嘘偽りは無いと判断したのか、腕を組んで引き下がった。

城田はそれを気だるそうに見つめているわけだが、
内心では『じゃあ、何で爆発の時助けなかったんやー』とか
『何でここで寝てたんやー。立ち去れればいいやろー』とか言われると、
返答に困ってしまうと焦っていた。
正直、嘘をつく覚悟もしていたのは本当のことだ。

「……ほんなら…
 別にええんですけど」

紅蘭は不意にそっぽ向いてしまった。

なにか期待外れなことでも言ってしまったのだろうか。

「……紅蘭?」

紅蘭のらしくない表情に戸惑った城田が
振り向くと、
その動きをよけるかのように紅蘭はひらりと
後退した。
表情は深い紫の髪で見えなかったが、
頬はなぜか赤かった。

紅蘭は気だるく右腕を垂れ、
左手を唇のもとに添えて恥かしそうに口をひらいた。

「…ごめんなぁ
 うち、あん時の言葉…少しひどいこと言い過ぎた思うねん」

自嘲気味にボソリと言った紅蘭の言葉に
城田が目を見開く。

城田には紅蘭が、
天界を討った出撃前の夜のことを言っているのだとわかった。

『うちは逃げへん。
 …城田はんはいつも逃げ腰や!
 ぎりぎりの戦況下で危険なのは当然やろ!?
 皆一緒や!!』

脳裏に浮かぶ城田は大きく溜め息をついて
タバコをくわえ、紅蘭は構わず続けた。

「正直、ピリピリしとったんや……
 城田はんの言う通り、光武は備品不足やし、
 なんせ敵は魔人や」

話す紅蘭の横で、
城田はくわえたタバコを掴む。
馬鹿にする様子は一切無くて、
くわえた煙草をただただくわえていた。

「でもな、うち思うねん。
 どんな状況になっても自分のつらさを
 当てちゃいけないって」

…当たり前の事だ。
上目遣いに遠くを見つめる城田は思う。
そして口にした。

「……それは大神隊長のことか?」

紅蘭のらしくない告白を押しとめたのは、
紅蘭自身ではなく、
紅蘭の弱気な態度にカチンときた城田の、
予測不可能な言葉だった。

紅蘭がとっさにが振り返る。

なぜ、単なる備品整備班で同じというだけの
城田がそのことを知っているのか。

まるで、あの時にピリピリしているのは
天界への立ち向かう武者震いといった類ではなく、
単なる大神隊長への思いが重くのしかかってきたからだと
言わんばかりだ。

城田はその一言を言った後、
タバコをくわえてうつむいた。
けして弱気に紅蘭から目線をハズしたのではなく、
紅蘭の次の言葉にしっかりと応えるため。

城田自身、
自分が何を紅蘭に言ったのかも判っていた。

正直にあやろうとして、
ずっと自嘲していた紅蘭の表情が震える。

なぜ、密かなるだった自分の恋心を知っている。
なぜ、こんなことを言われなくてはならない。

紅蘭は目頭を熱くしながら
すっかり興奮し、叫んだ。

「…なんなんやッ!!
 うちの気持ちを知って、からかって楽しいかッ!?
 恋路に向けないうちを見て情けないかッ!!?」

まるで、今までの緊張感を全て吐き出すかのように
紅蘭は怒号した。

乙女心を全く理解しようとしていない城田が悪い。

城田もそれに関しては本当に苦手である自分を判っていたから
言い返そうとはしなかった。

そんな城田に
紅蘭は続ける。

「情けなくて悪いかぁ!!
 うちみたいな平凡な子が人を好きになって悪いかぁ!!」

無愛想な城田につめよる紅蘭はすでに泣いていた。

紅蘭の言葉一つ一つが彼女自身のコンプレックスのように感じる。

城田は大きく息を吸って、
手持ち無沙汰にタバコを手に取った。

紅蘭はそこまで言うと、
うつむき、胸元に手を添える。

紅蘭の小さな胸二つが寄せられて、
紅蘭は悔しそうに涙を流した。

「城田はんだって、
 人を好きになったら、そんなカッコつけてなんていられへん……」

最後に、ボソリと言ったその言葉は、
城田の心に何よりも突き刺さった。

この言葉から
紅蘭が城田の気持ちに気付いていないことが察しできる。

城田はいっそう寂しげに、
タバコに手を添えた。

紅蘭は必死で涙を隠したが、
ヒックヒックと波打つ肩はそれを浮き掘りにしていた。

その時である。

ビィーン…ビィーン……ッ!!

けたたましいサイレンの音が地下格納庫中に響く。

どうやら花組出撃らしい。

しかし、二人はそれどころではないといった様子で、
立ち尽くしていた。

うつむく紅蘭からもれる泣き声は
そのサイレンにかき消える。

しかし、城田はその紅蘭から立ち去ることは無かった。

立ち上った煙が煙い。

紅蘭は出撃警報が鳴ったのに、
動けずにいた。

いつ聞いても、
あまり心地の良くない警報が
二人の間に響いていた。

後に、紅蘭は光武にて出撃、
城田は藤枝副指令に呼ばれて、
突然の転属指令を下されるのである。