悲恋の君よ
この満天の空の下、
城田は膝から崩れ、大きく胡座をかいた。

甲板はひんやり冷たくて、
吐息も白い。

先ほどまで、そこに紅蘭がいた。

三つ編みで、
いつも汚れてて、
手袋を外さない。

「………」

城田はしばらく、その場で上を見ていた。

そんな時である。

「いいの?追わなくて」

不意に華麗な女性の声が響いてきた。

城田はピクリと反応して、辺りを見渡すが、誰もいない。
少し不思議なことだったが、城田にはその声に聞き覚えがあった。

そう、確か地下開発室で聞いた、とても勇気溢れる演説だ。

脳裏にその声がはっきりと浮かぶ城田が振りかえると、
髪を結わいた女性が登り階段を登ってきていた。

「帝国華撃団・花組、備品整備班所属、城田貫吉ね」

立ち上がり、確認しながら城田を見下ろす女性の顔と、
城田の脳裏の女性の顔が一致する。

藤枝あやめだ。

しかし、信じられない。
彼女は帝撃の副指令で、賢人機関の連絡役で、米田指令の秘書……っと、
とにかく多忙なのだ。

それがなぜ、ここにいる。

まさか、自分に合いに来たのではないだろうと
城田は自嘲気味に立ち上がった。

「ごめんなさいね。
 紅蘭を探していたの。
 この場所を探し出すまで苦労したわ」

そう言いながら、クスリと笑う藤枝の前で、
城田はなぜか残念そうに胸をなでおろした。

藤枝は薄汚れた格好の城田を見て、
微笑み、口を開いた。

「それよりいいの?
 紅蘭なら私の手伝いで、第四格納庫に居るわよ」

城田の心中を察して、
藤枝は優しく教えた。

しかし、さすがの城田もこればかりは二つ返事でいくわけにはいかない。
行ける状況ではない。
そう自嘲する。

藤枝には、そんな城田が恋心に恥かしさを持っているのと同時に、
恐怖をも重ねてしまっていることも見抜いた。
彼女の今までの経験が
彼の心中を判らせているのである。

城田は初対面であるにも関わらず、
彼女の抱擁感にあてられていた。
それほどに藤枝の母性力は強かったし、
全てを見透かされてるような存在感を持っていたのである。

城田の声は紅蘭の時のそれとは少し小さくなっていた。

「……いいんです。
 これから出撃ですよね。急いでください」

城田には藤枝の目を見ずに言うしかなかった。

藤枝はそれを聞き入れ、
哀しげに笑う。

「私達が出撃する時は紅蘭も行くのよ。
 翔鯨丸に乗ってね」

城田はさらに苦い顔をして口を開いた。

「……はい…」

藤枝は、城田の言葉を聞くと同時に、
その表情を見つめた。

なんとも切なくて、沈んでいる。

この顔はあきらめを決意した時の人間の表情だ。

今は亡き、山崎少佐のそれと一緒だ。

「もう…あきらめてもいいの?
 副指令として隊員の感情は中途半端に揺さぶって欲しくないのだけれど」

少し、動揺した藤枝は言葉の遣い方をあやまる。
しかし、それは城田には充分伝わったようだ。

城田はうつむいたまま、
拳を握って、口を開いた。

いつものように、くわえタバコに火をつけないのは
藤枝副指令に敬意を払ってではない。

「自分は単なる作業員ですから」

彼は確かにそう言った。

藤枝は哀しげにそれを確認すると、
振りかえって、地上への下り階段へと向かう。

城田はそれを、紅蘭の時と同じく何も言わずに見送る。
その時は紅蘭の時と比べてやや喋れるような気はしたが、
『お疲れ様です』を口にする事は出来なかった。

もしも口にすれば、
今の会話全てが業務のようだとしてしまう気がしたからだ。

そんな城田に成り代わり、
藤枝は最後に振りかえった。

「それでは城田貫吉殿。
 私達、帝撃は天界のもとへ出撃します」

藤枝が帝撃独自の敬礼をすると、
城田も紅蘭から遊び半分で習った帝撃式敬礼をする。

不恰好に右腕の上がりきらない城田は、
その時の去り行く藤枝に対し、急に疑問が思い浮かんだ。
不意に彼女を呼び止める。

疑問というか、疑心というか、
ほんのちょっとした思いつきだったのである。

「なぜ、出撃前の忙しい時に
 私のような一作業員にお声を…?」

城田の顔は結構本気であった。
彼の表情にはっきりとした変化があったのは藤枝の顔を見た時以来である。

藤枝はこう返した。

「言ったじゃない。
 紅蘭を探しに来たのよ」

城田の表情が納得いかないと云っていたので、
藤枝はふざけた自分を苦笑い、今度は冗談交じりの顔で言う。

「君のように、相手に気持ちを言えないでいる人が
 私の知り合いにいるの。なんだか気になってね」

彼女はそう言って、
階段を降りて行った。

多分、後者が本音であろう。

カンカンと彼女のブーツが金属むき出しの階段を叩く音が聞こえて、
城田は飛び出す。

階段の元でしゃがみこんだ城田は
地上に降りた藤枝の背中に向かって呼びかけた。

「……その人の名は?」

この寒空に城田の声が、
空気が澄んでいるために必要以上に響き渡って、
藤枝はまるでそれら全てを読み取っていたかのようにゆっくりと振り返った。

「帝撃花組隊長、大神一郎よ。
 いつもは皆を率いて戦う彼も、
 想いの子の所へ行って何も言えなかったの」

再び哀しそうな表情で言い、
藤枝はそれを最後に立ち去った。

すぐそこの地下開発室への蒸気エレベータに足を乗せる。

辺りは荒廃とした街並みで、
花やしき遊園地からは少し離れた場所。

そこに、城田はポツリと残された。

一人残され、こんなにも寒いのに、
城田は動かない。

「……大神…一郎……」

口ずさんだ城田は立ち上がろうともせず、
しゃがみこんだまま目を見開いていた。

藤枝の言った、大神一郎のことはよく知っている。
それは当然、帝撃の隊長であり、帝撃劇場にも個室を持っているから
見たことくらいはある。
しかし、そんなことよりも
城田にとって大神一郎の存在は他人事ではなかった。

城田は大神一郎という名が
李紅蘭の意中の男性だと知っていたからである。

「……大神一郎……」

うなり声は徐々に強くなっていった。

彼にとって、これほど悲劇なことは無い。
残念過ぎて泣けてくる。

その時ばかりは、
城田もタバコのことすら忘れていた。

なにせ、悲恋歌である自分の意中の女性もまた
悲恋歌である。
紅蘭もまた、
大神一郎に恋心を抱き、
城田貫吉と同じ境遇のもとにいた。