満天の夜と甲板の上
六破星降魔陣の被害状況はおよそ3000万。

帝撃を指揮してきた賢人機関は麻痺。
政府側も敵の要求を受け入れるのか否かを検討中。

帝都は情報端末の破損。
交通機関の断裂。
死傷者及び難民は一時地方へ非難。
その都市機能の大半は敵『黒之巣会』の思惑通り、
大崩壊したのである。

帝撃本部を中心に展開した六破星降魔陣が確認されてから
およそ四時間後の現状である。

しかし、その水面下ではしっかりと反抗の準備をしていた。
敵の最終兵器が放たれた今、帝国華撃団もただ指をくわえて
見ているだけというわけではなかったのだ。

天界のアジトが
帝撃秘蔵の蒸気機関、電気計算機によって発見できたのである。

先の戦闘による光武のダメージも花やしき支部の総力を持って回復した。
工場長によれば、『神崎重工の財力と帝撃の全開発クルーがいればこその人工的な奇跡。
ここ数時間はもう興奮しっぱなしだよ』と語る。

帝国華撃団が敵の本拠地に乗り込む直前の夜であった。

「………………」

その時、城田は
花やしき支部の地下開発室から地上に出て、
射出甲板に座っていた。

地上ニメートルのわずかな高台。

あれ程忙しそうだった開発クルーの城田がこうして
持ち場を離れてのんびり夜の空を見上げているということは、
『神武』の開発、最終チェックが一段落したということである。

人型蒸気機関、霊子甲冑『光武』の後継機、
『神武』はすでに彼らの手を離れ、後は科学者達による検測データ算出を待つばかりだ。

この時、
城田は少々、遅れ気味の昼食を食べていた。
食後のくわえタバコで、ライターの置かれた皿の横に、
日の丸弁当が無造作に置かれている。

少々、疲れていた。

カンッカンッ……

この高台への登り階段を上がってくる金物ブーツの音。
城田は大して反応を見せなかった。

こんな夜更けに、
わざわざ寒いこの高台に来る奴なんて、
大した奴では無いと思ったのである。

「なんや、城田はんか」

その言葉に城田は目を見開き、
くわえタバコがポロリと落ちた。

それでも振りかえらない城田の背後で、
紅蘭が登ってきたのである。

薄汚れた作業服で、少しほこり被った髪が揺れ、
顔にはいつものごとくススをつけていた。

「なんで…こんなとこにおるんや?」

金物ブーツを響かせながら、
歩き寄る紅蘭の手には包みに包まれた弁当が持たれている。
どうやら紅蘭も
城田と同じ目的で来たようだ。

ぶっきらぼうなふりをしているのか、
振りかえらない城田の横に紅蘭は座る。

ほんのり機械油の匂いがして、
風向きが変わり、それは消えた。

「ここはなぁ、うちがまだ花やしきにいた頃、
 仲間と食べてた場所なんよ」

紅蘭はなんだか嬉しそうに口を開き、
『その仲間はまだ賢人機関(科学者)の人につき合わされてるけどなぁ』
とつけ加えた。

そして、その言葉を最後に
しばらく、二人は黙っていた。

紅蘭は持ってきた弁当に箸をつけているし、
城田はちょっとあの時の夜を思い出していた。

二人がしっかり話したのは
あの時の夜から本日まで、ほとんど無かったのである。
その上、紅蘭は上司であったから打ち合わせなどで生半可に言葉は交わしていたために
中途半端な気遣いが心に痛い。

紅蘭と視線を合わせない城田の脳裏にはずっと、
薄暗い帝撃の中、ぶかぶかの寝巻きの紅蘭が目の前に倒れこんできた様子が映っていたのである。

途中で手付かずの弁当を尻目に、
城田のくわえタバコは凄い勢いで燻っていった。

「うちなぁ、正直こうして帝撃のみんなと一緒にいるんが楽しいんや」

実際よりも体感の方が長かった沈黙の刻に
割って入ったのは紅蘭のこの言葉であった。

「不謹慎やけどなぁ」

皮肉そうにそう笑う紅蘭は
どうやら、無言の城田に気を遣ったらしい。

そう受け取る城田も
くわえタバコを手に取って、
気だるく足を伸ばした。

「大人数の作業は嫌いかな。皆ピリピリしてやがる」

城田はそう言ってタバコの火を甲板にコスコスと押しつけて火消し、
紅蘭は笑っていた。

「そやそやぁ、皆沈んだ顔してなぁ。
 うちら帝撃花組を信用してへんみたいな感じで」

すると、
城田は内ポケットからタバコを取り出し、
火のついていないタバコを口にくわえて話した。

「そこに藤枝副指令の演説で、皆やる気を起こしたからな。
 男は現金だ」

「ほんまや、藤枝はんはすごいなぁ」

二人の論点が微妙にずれるが、そんなことを気にも止めず、
紅蘭はクスリと笑い、城田の横で大きく仰向けに寝そべった。

「うちもあないな大人の女性になれるとええんですけど」

城田の横に、
無防備に身を開く女がいた。
少女は瞳を閉じて、この空気の澄んだ夜空で大きく息を吸い込んだ。

城田はそんな紅蘭を見て、
無表情のままタバコに火をつけるのだが、
内心は焦っていた。

20代という大の大人ですら、
この作業服の少女に動揺しているのである。

城田はあくまでも無表情を突き通して、
タバコをくわえ直した。

「……なあ」

「なに?」

紅蘭が振り向く。

城田はうつむいていた。

「なんで、紅蘭は帝撃に入ったんだ?」

不意に出た質問に、紅蘭は
目を見開く。

だが、紅蘭は驚きはしたが、すぐに笑ってうなずいた。

何か心中に決めたことがあるらしい。
城田が不意に振り向く。

「帝都が……燃えるんを見たくないからやな。多分」

要するに帝都を守りたいと言いたい紅蘭の言葉に、
城田は受け取り、そしてふざけて言葉を返す。

「もう、壊滅してるじゃないか。敵の…なんだっけ」

「六破星降魔陣」

「そう、ソレ」

そう言い払って、城田はポケットに手を突っ込んで立ち上がる。
城田はやり取りを軽快にやっていたが、
紅蘭にとって、この告白はなかなかに簡単ではなかった。
『炎』という言葉を口にするだけで脳裏にアレが映るのだ。

そんな紅蘭に気付かない城田は多分普通なのだろうが、
紅蘭にとってそれは至って寂しいことだった。
しかし、こんなことももう十年以上続いている。
たった一人の寂しさには慣れたつもり。

満天の空の下、
紅蘭はうつむく。

徐々に冷えてきて、
冷たくなった甲板の上を城田は歩く。

紅蘭のもとを立ち去る城田。

しかし、彼は何かを思い立ったようにくわえタバコをポロリと落とした。

それが何かはわからない。
しかし、確実に城田はその足を止め、振りかえったのである。

「出撃時間、何時なんだよ」

それはまるで、
学校の朝礼か待ち合わせのように軽い言い方だった。

城田の特別製ブーツの音が止まったから、
少しだけ期待していた紅蘭が肩を落とす。
そしてそんな恥かしい自分を自嘲気味に笑って、
紅蘭はいつもの笑顔で返した。

「予定では三時。でも、あくまで予定や」

紅蘭がそう言うと、
城田は『おう』とうなずいた。

うなずいて、不器用にポケットに手を突っ込み、
何か言葉を選ぶ。
そして、口を開いた。

「……なぁ、敵は一夜にして帝都を破壊したんだぞ……?
 怪物と考えるのが普通だって……」

遠回しに、行かないでくれと言っている自分に
城田は気付かないらしく、
何の恥かしげも無く、そこに立っていた。

その時、二人のいる甲板への登り階段に手を伸ばした人がいる。
だが、その人は二人の声が聞こえてきて、
その手を止めた。
とても美しく、華奢な手だった。

微笑む紅蘭は城田の言葉に首を振って否定した。

「皆が頑張ってるのに、うちだけ行かへんのはあかん」

まるでひ弱い自分に言い聞かせるかのように言う紅蘭に
城田は歩み寄る。

単なる作業員である城田とて、
『黒之巣会』の本拠地に行けばどうなるかくらい、判っていたのだ。
だてに、不測の事態に投入される『神武』開発に携わっていない。

城田は紅蘭の背後に立つと、
紅蘭はビクリと反応して見せて、
うつむいた。

頬が赤かったのは寒さのせいだと城田は思う。

「お前、柴公園の時、死にかけただろ」

城田がまるで日常生活にあるかのような口ぶりで事実を聞く。
紅蘭は驚いた。
目を見開き、そして恥かしいそうに目を閉じる。

なぜに単なる作業員である城田が重要機密の帝撃戦歴を知っているのか。

確かに紅蘭は敵に囲まれ、死にかけたのである。

城田はそれを、まだ帝撃があった頃に誰もいない地下格納庫で見ていた。
当然、あの場所は米田・藤枝と風組の面々以外立ち入り禁止であった。

城田が気軽に禁を犯していたことなど知らない紅蘭が驚いていると、
城田はお構い無しに彼女を見下ろした。

「…お前の光武は限界だ。多分、俺以上に判ってると思うけど
 あの緑の光武は足の連結部の損傷が復元不能の位置にある」

おそらく、自分にしか判らないであろう光武の状況を
さらさらと口にしていく城田に紅蘭は更に驚いた。

なぜなら、緑の光武は常に自分が整備してきたし、
試乗の記録データは常に基本値を保っている。
移動に関してはテクニックで補ってきたし、
何より、自分が乗ってきた愛機だ。

城田は続ける。

「花やしきの供給力たって、限界がある。
 光武が七体もいれば何かしらのパーツが足りなくなったっておかしくない」

紅蘭は城田が何を言っているのかが判った。

驚くべきことだが、そこまで知っていれば、
おそらく紅蘭がなぜわざわざ花やしき支部に来たのか、その理由がわかってしまっても
おかしくない。

紅蘭は沸き上がる恥かしい感情に
両膝を抱えて、そこに顔をうずめた。

辺りの気温は下がりすぎて、
城田の吐く息は白くなっていた。
ちょっと、寒そうに身震いする城田は小さく溜め息をついてから続けた。
その目はすっかりしょぼくれてはいた。

「お前、パーツが無い分、
 自分の光武の整備、優先的に後回しにしたろ」

それなのに、声はあくまで強かった。

強くて、紅蘭の心の一法をついた。

自分で言うならまだしも、
人に言われては情けない話だ。
紅蘭はすっかり頬を紅くして、
この状況に耐えた。

確信をついたのに、振りかえろうともしない紅蘭に、
城田は苛立って、つい口調が強まる。
まるで罪人を攻め立てるかのように城田の言葉は強かった。

「なぁ、お前が生きて帰るように思う俺は
 自分勝手なのか?」

「………ッ!!」

紅蘭は声にならない声を上げて、
それは白い吐息になってもやもやと消えた。

その時、紅蘭は完全に城田に振り向いていたのである。

「……あ」

城田は新しいタバコをくわえていて、
その表情は気だるそうにこっちを見ていた。
ずっと、こっちを見ていたのだろうか。

城田の攻めはとりあえず、そこで止まったらしい。

「……なんや、怒られとるみたいやな…」

そうつぶやく紅蘭の言葉は、おそらく本心だったのだと思う。

「あ」

城田はそれを聞いて、ようやく気がついたらしく。

紅蘭は立ち上がった。

そして城田に歩み寄る。
いや、立ち去ろうとしているのだ。

すれ違い様、紅蘭は城田を見上げる。
城田と紅蘭の身長差がうきぼりになる。
それでも紅蘭の方が彼を威圧していた。

「うちは逃げへん。
 …城田はんはいつも逃げ腰や!
 ぎりぎりの戦況下で危険なのは当然やろ!?
 皆一緒や!!」

そう言い捨てて行った紅蘭。

城田は固まった。
何を言い返せと言うのか。
確信どころか、真実である。

立ち去る紅蘭に最後まで何も言い返せない城田。
数分間、彼は立ち尽くした。
しばらくして、燃え終えたくわえタバコに気がついて、
それを遠くに放る。

呆ける城田は高台から落ち行くタバコの紅く輝く火を見つめ、
それが地面についてジュッと消化したところで、ハッと気がついた。

普通の人なら、
ここで泣いたり、叫んだりするのだろう。
しかし、城田貫吉・お前はどうだ。

何も悲しみの感情が沸かない。

去り行く人への想いより、
タバコの火が熱くて投げ捨てるとは。

「まったくよォ……
 俺は……」

その時、初めて城田は満天の空を見上げて、手で目元を覆い、
天空へと泣いた。

何にでも、先に頭が動く自分を呪わずにはいられない。