再希痛炎
燃える街。

崩れる建物。
草木は火の実をつけたようで、
燃えカスが宙を舞い、火種が飛び交う。
その時、北京は炎に包まれた。

とにかく熱かった。
頬に炭をつける少女の手は少しやけどしている。

何が起こったのか判らない少女は
誰もいなくなった燃え盛る街の中を歩いていた。

「………ニィプイチャオチェ(苦しい)…」

北京語でそっとつぶやく少女。
熱された地面に安物の靴が燻る。

その時、少女の近くの家が崩れた。

少女は飛び散る石を頭部に受け、
崩れ落ちる衝撃で、思わず倒れこんでしまった。

地面についた膝小僧がとても熱くて、
少女は煙に巻かれる。

その黒く澄んだ瞳には確かに炎が映えていた。
自分がなぜここにいるのか、思い出せないくらいの恐怖が
少女を呆けさせる。
しかし、それでも立ち上がり、歩く事が出来たのは
少女が絶望できるほど大人ではなかったからだと思う。

少女は頭に振りかかった小石を払おうともせず、歩く。

向かう先に両親はいない。
こんな時、最も頼るべき両親は
先程、倒れる家の中から少女を突き飛ばした。

その時、何かを叫んでいた気がするが、
それも気がふれた今では思い出せない。

その夜、北京は燃えていた。

「………あかん…久々に見てもた…」

先の柴公園での戦闘を終えた、その日の真夜中、
紅蘭は自室のベットで目を覚ます。

機械に囲まれ、乱雑された机。
至る所に何かの装置が無造作に置かれ、
最低限度の生活用品も小ダンスの隅に追いやられている。
わずかに見える机の上には何かの設計図と花札が乗せられていた。

普段はほとんど地下格納庫で光武と向き合っているために、
この部屋を使うのは就寝時くらい。
しかも、この柔らかいベットで寝たのも久々だ。

紅蘭は下着姿で、布団の中から身を起こす。
眼鏡をかけず、うつむく彼女にいつもの健気さは見る影も無い。

不意に辺りを見渡し、
まだ夜だということを悟ると、紅蘭は再び布団を被る。
寝返り、わざとらしく大きく溜め息をついて力を抜くが、
その瞳は開かれたままだった。

紅蘭の視界に乱雑に置かれた機械達が映る。

哀しげに見つめる紅蘭は
夢に見た光景を嫌がおうにも思い出す。

心の奥にへばりついた偏頭痛的存在の思い出。
『辛亥革命』である。

「…ほんまあかんわぁ…」

そうつぶやく紅蘭は小さく縮こまって、バッと布団を頭の先まで深く被る。
少しもぞもぞと動いた後、その布団の動きは止まる。

眠ったのか、泣いているのか。

その頃、黒コートを身にまとった金髪の女性が
帝撃のテラスに立ち夜の帝都を見つめていた。

「………」

彼女の名はマリア=タチバナ。
帝国華撃団花組の副隊長にして、
狙撃のプロである。

昔はロシア革命でも幼くして先導に立ち、
英雄の補佐として戦ったこともある。
李紅蘭と似て非なる育ち。
その冷静な判断力と霊力をかわれて帝撃に入団したのだが、
今はこうして帝国劇場の名男役として振舞っている。

「……あ、」

誰かが声を上げ、気付いたマリアはゆっくり振りかえった。

そこにいたのは作業服の男。
大神隊長と同じ黒髪の、あまり見覚えの無い男。
どうやら備品整備班クルーの一人らしい。

城田だ。
しかし、常に表舞台で戦うマリアにとって、
彼の名前を知るよしも無い。

マリアがただ黙って見つめていると、
城田は光武の操縦士であるマリアに敬意を払い、ペコリと頭を下げた。

「すんません、…こんな時間ですから、
 誰も起きてないだろうと思って」

そう言う城田は薄汚れた作業服の胸部をつまみ、
憂うマリアに見せた。
マリアは男の言ってる意味を理解すると、
金髪を振り上げる。
そしてピンクの唇を動かした。

「格好なんて関係無いわ。…光武の整備士ですね」

城田は自嘲気味に小さくうなずく。

「屋根裏部屋の工具を取りに行くんです。
 それじゃ」

そう言って、大きな存在感を放つマリアから目線をハズし、
城田はマリアの横をひょうひょうとすり抜けて行った。

マリアも大して彼のことを気にすること無く、
何も言わない。

だが、それなのに城田の足取りは急に止まった。

マリアは再びテラスの窓から夜の帝都を見つめる。

城田は強く拳を握ると、
何かを決意して振りかえった。

「マリアさん」

不意に名前を呼ばれても、
冷静なマリアはゆっくりと振りかえる。
ただ、不思議そうな顔はしていた。

ただ単にすれ違いざまに話しただけで、初対面であるにも関わらず、
妙に緊張した顔の男はマリアからは特異に見える。

だらしなく着崩れた作業服の城田は
通路の真中で立ち止まっていた。

「俺達、整備班はあなた達霊能者のように戦うことは出来ませんが、
 全力でバックアップします。頑張ってください」

なぜ、突然こんなことを口走ったのか、城田自身にも判らない。

いつもなら整備する仲間達の手伝いをちょくちょくする程度なのに、
この時ばかりは城田はまるで整備班の代表であるかのように振舞った。

そういえば、実際に前戦で戦う操縦士を見たのは
紅蘭を除いてマリアが初めてである。

だからなのだろうか、表で戦わない者として、
危険の中で闘う少女の誰かにせめて声をかけたかったのかもしれない。

こんな夜中に、しかも突然現れた作業服の男に、
激励されたマリアは少し驚くが、すぐに微笑んだ。

「ありがとう」

マリアがそう返答すると、城田はペコリと頭を下げる。
年齢でいえば、城田の方が上なのかもしれないが、
その存在感、存在意義、そして何より帝都防衛の要因としての価値が
明かに城田を上回る。

城田は死んでも別の整備員が入るが、
マリアや霊力帯びた操縦士はかけがえがない。

そう思うと、城田は複雑だった。

立ち去ろうとする城田に、
マリアは呼びかける。
彼女も興が乗ったようだ。

「この間の戦闘、光武の破損がひどかったですよね」

日々、舞台の上に立ち、
警報が鳴り響けば、たちまち鋼の巨人に乗り込む生活を送るマリアにとって、
こういった普通の人との会話は斬新で緊張感がほぐれる。

だから、常日頃あまり口を開く事のないマリアも、
この恐らく何かの関連で世話になっているであろう整備士に話した。
こういうのは明日には命を落とすかもしれない帝撃隊員なら、
誰もが思う現状だった。

不意に、遺言のごとく誰かと話したいのである。

しばらく黙っていた城田は
その十九才の少女の心中を感じ取り、
彼も口を開いた。

「確かに破損はひどかったですが、
 …明日中には完了しますよ」

その言葉を聞いて、マリアはうなずく。
そして何かを思い出したようで、再び口を開いた。

「確か、紅蘭と一緒に作業してますよね」

「ええ、李紅蘭のサポートにまわってます」

城田がそう言うと、
マリアはしっかりと立ち直し、
直立した。
城田からは遠くてはっきりとは見えないが、
恐らくしっかりとこちらを見ているのだろう。

「紅蘭の光武は機動力重視です。
 それ故に防御面が落ちる……どうか、丁寧に調整を繰り返してください」

その言葉を、
城田は厳粛に聞き入れ、うなずいた。
そして一礼する。

マリアは安らかそうに笑うと、
再びテラスに振りかえった。

城田も歩き去ろうと、振りかえる。

その時、城田は帝都防衛の戦士マリアと話せたことに興奮していた。
マリアの先程の言葉の真意すら考えようとしない。

屋根裏部屋への階段ハシゴに手をかけ、足をかける。
そしてほこりにむせながら城田は工具を手に取った。

マリアはそれでもまだテラスから帝都の夜景を見渡していた。
彼女が言いたかったのは同じ整備班の彼に
紅蘭の力になって欲しかったということ。
同じ不安を抱えるであろう紅蘭を支えられるだけの力になって欲しいのだと
考えていたのである。

それは帝国華撃団・花組副隊長として
全身に染みついた当然の責任感であった。
マリアはこの後、一時間後に就寝する。

………

一方、城田はすでに屋根裏部屋から降りていた。

そして床に足をつけ、
手にした工具を重そうに抱える。

本当に作業員地味た光景だ。

そして、その光景を見る少女が一人。

「……あ、」

その視線に、城田は気付いてハシゴから降りる所で立ち止まった。

帝撃出撃隊員のそれぞれに用意された個人部屋錬の前で立ち尽くす、
チャイナドレスの寝巻きを着た、深い紫の髪の毛の彼女。
初めて会った時、藤枝副指令の横にチョコンと立っていた時と同じ
服装で彼女はこちらを見ている。

ただ、唯一違っていたのは
寝起きだからか、眼鏡をかけていないことだった。

「……なにしてまんの…」

ハシゴから降りようとする城田に対し、
紅蘭は声をかける。
どうやら、あの夢が気になって起きてしまったらしい。

「工具、取りに来ただけだ。
 この後、仕事も残ってるしな」

城田は降りると、工具を見せる。

すると、紅蘭は焦って城田に駆け寄る。
城田は不思議そうに顔をかしげた。
紅蘭が言う。

「それなら、それはうちの仕事や!」

取り乱している紅蘭の声はなぜか涙声が混じっている気がした。

「何言ってんだ。寝てろって」

そう言って、工具へと手を伸ばす紅蘭をかわし、
城田は工具の重みにつられてヒョイッと回転した。
紅蘭はすぐに振りかえり、
城田を見つめる。
やはり、どう見てもいつもと様子が違う。

この油で汚れた作業服が紅蘭のチャイナドレスも汚すのが嫌で、
来る紅蘭をかわした城田は
紅蘭の表情に気がついたようだ。
ただ事では無いとだけは感じ取る城田に、
紅蘭は言う。

「城田はん、光武はうちが整備する」

工具を取ろうとする紅蘭は
持っている城田へと走り寄る。
城田はかわそうとしたが、自分の背後が壁であることに気付く。
そしてその上、紅蘭のしていた悲痛な表情がほんの一瞬見えて、
見とれて、刹那の判断を見誤った。

「うおッ……」

小さく、そして低い、地味な声を上げて
城田は倒れる。
その上にバランスを崩した紅蘭がかぶさる。

辺りに工具がガチャリと音を立てて、四方に広がり、
静かだった帝撃の空間に広がった。
誰かが起きてきそうなほどの音が響き、
二人は止まる。
城田は倒れた拍子に頭を打ったらしく、頭を抑え、
紅蘭は固まっていた。

仲間を傷つけたことと、
工具の衝撃音が彼女に自分がどうかしていたことを気付かせたようだ。

そして、自分が殿方に覆い被さっていることにも気がつき、
申し訳なさそうにゆっくりと身を起こす。

城田はイチチと痛みをこぼしながらも、
立ち上がった紅蘭を見上げた。

「……ったく、どうしたんだよ」

目の前の少女は悲しげにうつむいているというのに、
城田は面倒くさそうな口調で言った。

紅蘭は城田が口を開いたのと同時くらいに
顔を上げ、笑っていた。

「ゴメン、うち、どうかしてたみたいや…ッ!」

恥かしそうに苦しい笑いを無理して見せる紅蘭は
一生懸命に笑ってふんぞり返っていた。

城田はそんな彼女に溜め息をもらし、
辺りに散らばった工具を拾い始める。

無言でスパナやらドライバーやらを手に取る城田に、
紅蘭も手伝い、細かい釘やらを手に取る。

「…何があったか知らねえが、
 不安になるなや」

城田の手に最後のドライバーがつかまれ、
紅蘭はスパナを手にした。
紅蘭は城田の言葉を聞いて、伸ばした手を止めた。

城田はそんな紅蘭にも気付かず、
ドライバーを工具入れに投げ入れる。
そして、大して気を遣う様子も無く、言った。

「お前に出来ない事は多分誰にもできないんだからよ」

おそらくそれは紅蘭の霊子技術力のことを言っているのだと思う。
しかし、紅蘭はその言葉を心良く受け取る事は出来なかった。

まだ工具入れに入れていないスパナを手に、
紅蘭はうつむき。

「……紅蘭?」

城田はスパナを受け取るために手を差し出す。
紅蘭は多分、それに気付いているのだろうが、
ただ、スパナを手にしたままだった。

「そなこと無い…」

ぼそりと言う。

「そなこと無い……ッ」

ニ度目は首を左右に振って、
拒絶するかのようにペタリと座り込む。

城田は言葉を失った。

「うちは非力や……」

悲痛し、うつむく彼女はそう訴えるように声を出し、
瞳はその前髪に隠されて見えなかった。

城田はそんな紅蘭に声をかけようと
手を伸ばしたが、その手はピクリと止まり、
言うのも止めた。

紅蘭はスパナを抱いて、
小さく振るえている。

城田はそんな紅蘭に投げかける言葉が頭に浮かぶほど、
器用な男ではなかった。

「ごめんなぁ…」

彼女は最初、そう言った。

そう言って、なぜか目元をこすってから真っ赤な顔を
上げて立ち上がる。

城田が何か言おうとした時、
紅蘭はそんな城田の虚をついて、
その手の工具を手に取る。

そして再び立ち上がり、
結局倒れたままの城田に振りかえるなり、
微笑んで口を開いた。

「やっぱり光武の整備はうちがせなあかん」

そう言い残し、紅蘭は階段を降りて行った。

「………」

残された城田はまだ目を丸くしている。
紅蘭に何も言えなかった城田は
マリアの言葉を何一つ守る事が出来なかったのである。

辺りは静けさを取り戻し、
消灯時間を終えた帝撃はぼんやりと肌色のライトが点灯するだけで、
紅蘭の降りて行った地下格納庫への階段までは照らしてはくれなかった。