地下の彼女
むせかえるような蒸気の匂い。
鋼鉄機器の射出部からは蒸気は吹き出て、
床には汚れたケーブルが乱雑に置かれていた。

証明はぼんやりと部屋を照らすが、
あまり強い光では無いらしく、奥の方は薄暗い。
こう暗くては立ち並ぶ巨大人型兵器『光武』も恐ろしく見えてしまう。

誰かが作業にあたっているのか、
ゴソゴソと鈍い音が辺りに響き渡る。

そこが地下格納庫。
錆びと油にまみれた彼女の作業場。

「……今日、最終チェックまだだったのか?」

灰色の作業服に汚れ油をつけたいで立ちで彼は
壁によりかかりながら煙立つタバコをくわえていた。

純日本人らしいの黒髪を五分五分に中分けた、古風なのか斬新なのか中途半端な男。
名前は城田貫吉。
月組に人材不足だと判断された帝国華撃団、備品整備班の男である。
加山の評価は正しかったようで、
うだつの上がらない不真面目な二十代だった。

彼ら整備班クルーは定時刻になると帝撃にやってきて、
光武の整備をし、また定時刻になると帰っていくという出勤チームだった。

彼がどれほど不真面目かと聞かれれば、
名簿管理を勤めている藤枝あやめを始め、
帝撃一の噂好きと称される榊原由里ですら彼の名を知らないほどだ。
まさに備品整備班の男Aなのである。

そんな城田は横目で作業を続ける仲間を見ていた。

仲間は光武の下腹部の修繕作業をしているらしく、
立つ光武の巨大な両足の間に、体を乗せた滑車を入れ、
深緑色ジャージズボンの足二本を突き出している。
先程から響くゴソゴソという鈍い音はどうやらこいつが鳴らせているらしい。

「城田はん、そこにおる?」

なんともいかがわしい関西弁で話す声は高く、作業しているのは女性のようだ。
しかも、機械光学をマスターしきっているにふさわしい年齢ではなく、
女の子と呼ぶにふさわしい少女の声。

煙をふかす城田はうざったそうに目線を彼女からハズしたが、
先程声をかけただけに、無視するわけにもいかない。

「そこから一番近い壁に寄りかかってる」

城田は彼女にわかりやすいように説明し、
目の前にたかった煙を払う。

彼女はゴソゴソと動かしていた体を止めると、
しばらくしてからまた作業を始めた。
男がどこにいるかを考えていたらしい。

「スパナ取ってもらえます?」

彼女はそう言った。
すると、男は『ホレきたよ』言わんばかりに嫌そうな顔をして
足元の工具入れを手に取った。

薬品に気をつけるために特注した厚底ブーツのカカトを鳴らせて、
巨大な光武の下腹部の更に下で仰向けになって作業を続ける仲間の足元に歩み寄る。

彼女は体が小さいために、手もとで力のはいる作業をすると、
つられて足がヒョイッと浮き上がる。

「おおきに」

関西弁で感謝する彼女は、
城田の特殊ブーツの鳴り音から彼が近づいた事に気がついたようだ。

城田はその場に座ると、
重い工具をガチャリと置き、その中に手を突っ込んだ。

「スパナの…何番だ?」

くわえタバコで薄汚れた工具入れの中を探る城田に、
彼女は作業したまま応えた。

「21番でええです」

「あいよ」

城田は彼女のいうサイズのスパナを取りだし、
その重々しいスパナを仰向けで作業する彼女に差し出す。
すると、手を伸ばして彼女はそれを受け取る。

城田からは影の下になってよく見えないが、
彼女は受け取ったスパナで開口部を閉じてるらしい。

…と言うことは最終チェックが終わったということだ。

城田は工具入れを手にして一歩後退する。
すると、城田の予想通り、
彼女は仰向けたままで滑車に乗った自分の体を光武の下から射出した。

城田は本日の作業を終えた仲間を
くわえタバコな上に、明かに造ったニンマリ表情で迎える。

そんな城田だったが、
出てきた彼女も笑顔で親指を突き立てた。

「お仕事完了や!」

深い紫の髪に金属ほこりをつけて、
頬にかかった機械油をぬぐいもしない彼女は
親指を立てた後に満面の笑みで仰向けたまま胸をなでおろす。

彼女の名は李紅蘭。

開発担当地区花やしき支部での仕事を終え、
激戦地区銀座支部・花組にやってきた霊力多感な霊子甲冑の操縦士である。
しかし、その本当の評価点は霊力を活用した戦闘では無く、
機械への飽くなき探求心と技術だった。
急進化した霊子力学を完全にマスターしている彼女のような存在は貴重で、
彼女のように作業範囲を掛け持ちする例も少なくない。

ここだけの話、城田も難しい霊子力学を勉強した身だからこそ
この最前線である帝撃銀座支部の備品整備班に配属されたわけだった。

「お疲れさん」

しかし、花やしき支部のエキスパート整備士・李紅蘭が来た今では、
その見る影も無かった。

「他の帝撃隊員はもう寝てる頃だってのにご苦労だな」

仰向けのままで、しばらく横になったままの紅蘭の隣に
城田は座り込み、声をかける。

紅蘭はスパナを握る手の甲を額に乗せて、まぶしい天上を見上げていた。

「うち、戦闘じゃいつも後方支援やし前線でも非力や。
 そやからこうして皆の光武、整備せなあかん」

目をパッチリ開いて、紅蘭は強く言った。
作業に集中し過ぎて、まだ興奮が離れ切っていないらしい。

そんな一生懸命な紅蘭を横目に、
城田はくわえタバコで工具入れのふたをバタンと閉じる。

「そうかねェ。俺にはそうは思えんけど」

気だるく言い放つ城田は
工具を手にフラリと立ち上がる。

城田の作業用ズボンの内ポケットに入れられた小さな工具がガチャリとなり、
それは紅蘭の頭の上を横切って行った。

紅蘭は結局手伝おうともしなかった城田に全く構うこと無く、
目を閉じ、仰向けに乗った滑車に全体重を任せる。
滑車は冷たくて硬かったが、結構心地良い。

もしかしたら心地良過ぎて、寝てしまうかもしれない。

城田貫吉は
この横たわった少女・李紅蘭を残して行ってしまったのだろうか。

答えは否。

「スパナ」

城田は瞳を閉じる紅蘭の顔の上で言った。

「……ッ!!」

寝ぼけていた紅蘭は
城田の呼びかけに驚いてすぐに起き上がる。

城田は急に上昇してきた紅蘭の頭部をきれいにかわした。

「あかん、眠ってまうわ」

声の主が城田だったことに安堵した紅蘭は寝ぼけ混じりで、
目元をこする。
滑車の上で座る紅蘭に城田は手を差し出した。

紅蘭は『ん』とよくわからない声で手にしていたスパナを
城田に渡す。

相当、疲れているようだ。

「……おいおい、大丈夫なのかよ」

心配する城田に
紅蘭は『大丈夫や』と半開きの目で言い、その場から立ち上がろうとしない。

「ま、紅蘭がそう言うなら大丈夫なんだろうけど…
 さすがにここで寝たら風邪引くからな」

城田は受け取ったスパナを工具入れに投げ入れると、
出入り口へと歩いて行った。

城田のブーツの音が響く。

だが、紅蘭は起きない。
座っていた姿勢からグテンと横たわり、
滑車の上でうなだれる紅蘭。

階段への通路を歩く城田はその光景を窓ガラス越しに見ていた。
くわえタバコの煙が今日は妙に目にかかる。

しばらく無表情で紅蘭のことを見ていた城田だったが、
工具入れを担ぎ直し、ツカツカと足早に歩く。

一人、気温の低い格納庫に残された紅蘭は
滑車の上に作業服一枚という軽装で寝入っていた。
もしかしたらもう仮眠どころか本格的に眠っているかもしれない。

そんな状況をわざと見ないように歩き去る城田は
煙をふかしながら登り階段に足をかけた。

「…………」

帝撃作業員・終了定刻である。

十分後。

毛布を持って走る城田の姿が
この地下格納庫にあった。

「あったくよッ!!」

そう言い捨てて、くわえタバコの城田は両手一杯に茶色毛布を抱えて
格納庫の扉を開ける。

「………」

案の定、紅蘭は滑車の上で眠っていた。

背中に当たる冷たい滑車が相当に痛いらしく、
紅蘭にとって大きめの作業服も着崩れている。

そんな紅蘭の寝姿の横に立った城田は
両手に持った毛布を抱え、くわえタバコで表情を曇らせる。

電気もつけっぱなしな部屋の中に紅蘭の寝息が静かに響く。
髪はぼさぼさで、顔は油だらけ、年齢に不釣合いな作業服といった様子は
年頃の女の子の姿とはとても言えないが
こうして寝てる時の寝顔はなんとも子供っぽいではないか。

そんな事もお構いなしに、
城田は毛布の端を持って横たわる紅蘭の上にブワサッと広げた。

そんな乱暴に扱っては
せっかく寝ている紅蘭も起きてしまうかもしれないというのに、
城田の行動には、それに関して一切の心遣いは無いようだ。

毛布のかかった紅蘭の乗る滑車のすぐ横に城田はドカッと座り込む。
そしてしたり顔で紅蘭の寝顔を覗きこんだ。

「……たくよォ、花やしきのエリートだか何だか知ねえが…」

城田の脳裏に、
紅蘭がこの銀座支部・花組に来た初日の光景が映る。

彼女はペコリとクルー達に挨拶すると、変な関西弁で自己紹介を始めた。

『李紅蘭です。よろしゅう』

深い紫を結わいた彼女は真っ赤なチャイナ服で、この地下格納庫に現れ、
副指令の藤枝氏によって連れてこられたのである。
城田はこの時もくわえタバコで、紅蘭からそっぽ向いていた。

しかし、数時間後に作業場に現れた彼女はおそらく自前であろう深緑の作業服を
身にまとって現れる。
その神懸かりな手さばきを見つめ、
その時ばかりは城田は目を見張った。

こんなにも小さな少女が手にあまる大きさの工具を振るい、
光武の複雑な回路に手を加えて行く。

彼女は設計図のままの原型で造られた霊子水晶の回路にすら手を加えて
調整を行っていた。
焦る備品整備班の班員に『マリアはんの光武は足の踏み具合が重要や』と論じて
見せていたが、誰も理解はしていなかったと思う。
しかし、城田だけは目を見開いて驚いた。
全く持ってその通りだったのである。

「………」

寝入る紅蘭の横で腕を組んであぐらをかく城田。

紅蘭の手が毛布からはみ出ていたので、しまおうとそれを掴む。

彼女の手は冷たくなっていた。
それもそうであろう。
この寒い部屋で、冷たい工具を握っていればこうなる。

すでにクルー達のいなくなった地下格納庫の中で、
城田はその冷たい手を見つめ、
そしてそれを毛布の中に押し入れた。

「………」

うざったそうに周りを見つめ、
おもむろに立ち上がる。

そして立ち並ぶ鋼鉄の巨人光武の脚部にある蒸気射出用のフォンの電源スイッチの元に
歩き寄りそれをONにした。

「……まったくよぉ、厳罰モン何だぞ」

最後にそうつぶやく城田の目の前で、
光武が静かに振動していく。
そして内蔵されたフォンが回転し始めて、熱風を噴出し始めた。
光武の持つエンジン振動を利用した即席温暖器。

その温風が部屋に行き渡る前に、
城田の姿は地下格納庫から消えていた。
あれほどふかしていた煙も緩やかな温風に
かき消されていく。