李紅蘭
本日も帝都の空は晴れ。

帝国歌劇団としての劇場は本日も多謝御礼。
害悪の目を欺くため、劇場に偽装された帝国華撃団・花組の本拠地は
防衛兵器は地下に格納され、舞台の上では乙女達が舞っていた。
先日現れた『黒之巣会』も最近は大きな活動も無く、
霊子甲冑光武の活躍も無い。

そんな平和の中でもしっかりと帝都防衛としての機能を保持する
指令室では総司令・米田が机の前に座り、
上層部との打ち合わせに余念が無かった。

しかし、仕事とはいえ、上層部とのやり取りは相変わらず気長な作業だ。
上層部の腰は本当に重い。

ほとんど日課になりつつある副指令・藤枝の報告を、
晴天の今日は窓の外に広がる銀座の街並みを見据えながらに
米田は聞いていた。

「……と言う事なので、賢人機関の報告は以上です」

片手一杯に資料の束を持った藤枝の報告をBGMのように聞きながら、
劇場支配人の格好をした米田はうなずく。

常日頃は支配人役に甘んじている彼も
一度帝都防衛ともなれば帝撃を指揮する総司令の男に成り代わる。

その手には帝撃諜報担当部である月組の隊長、
加山雄一からの報告書が握られていた。

まだこの本拠地に来てから日が浅いため、
軍服を着用する藤枝は報告を終えたのに反応を見せない米田に首をかしげる。

その米田は藤枝の報告が続かないので、
とりあえず顔を上げた。

「もう、報告は終わりかい?」

けして怒りの無いひょうひょうとしたしゃがれ声。
すると、藤枝は自分の手もとにある資料の束をもう一度見直して、
少し焦りながら口を開いた。

「終わり…のようですが……何か?」

米田はその言葉を聞くなり、大きく溜め息をついて
回転式の椅子をクルリと回し、藤枝の顔をにやけて見つめた。

「ここに月組からの報告書があるんだが…
 あやめ君から詳しい内容を聞けってあるんだが」

そう言いながら、米田は手にしていた手紙を
不思議そうな表情の藤枝に手渡す。

藤枝はその全文に目を通すと、何かを思い出したように
うなずき、笑みをこぼす口元に手の甲を添えた。

「ええ、確かに李紅蘭に関しての報告を頼まれてます。
 伝達が遅れたので私を通さずに直接、指令の方に渡されたのでしょう」

そう言うと、彼女は加山雄一に報告を頼まれていたことを
すっかり忘れていたのを米田に伝え、苦笑いで頭を下げた。

「確かに、この報告書はかすみ君から渡されたものだよ」

そう言って、米田は苦笑いの藤枝にニヤけて見せた。

なにしろ手紙が加山の手を離れてもうニヶ月が経過していたのである。
敵の調査の為に常に、危険な場所に潜伏しなくてはならない
諜報担当部・月組には
よほど重要な情報で無い限り、伝達の遅れなどはよくある事だった。

米田もその事をわかっていたためにニヤけながら、
藤枝の差し出す手紙を受け取る。
そして少しうつむきながらに言う。

「地下の降魔集中地帯…無事に調査を終えてるといいんだがなぁ」

さすがに心配である。
藤枝はうなずき、手紙を封筒にしまう米田に言った。

「大丈夫ですよ。月組の隊長・加山君は指令がお選びになったのではないですか」

米田の度重なる心配ごとを軽くするような藤枝の言葉に、
米田は『違ェねえ』と自嘲気味にうなずいた。

藤枝は資料の中から何かを探し出し、それを資料束の一番上に乗せた。
先ほどの加山から頼まれていた報告をするようだ。

彼女の取り出した資料には、
眼鏡をかけ、ほんのりそばかすのあるアジア系少女の証明写真が添付してあった。
どうやら彼女が李紅蘭本人であるらしい。

「1906年明治39年に李策杏と香燕の一子として誕生。
 出身地は中国北京です」

そこで、緩んでいた米田の表情がピクリと反応する。

「明治39年の北京といやぁ……」

察する米田の言葉に、
藤枝はうなずき、口を開いた。

「そうです。翌年、太正元年の辛亥革命勃発により、両親は死去。
 登録では趙家の里子とされています」

藤枝は少々興奮気味に報告し、けして気軽く言うことは無かった。
この文明開化の時代に中々に悲劇な話である。
米田は加山がなぜ報告を彼女に委ねたかを悟った。
けしてこの話をしたくないという分けではないだろう。
彼は李紅蘭に直接会ったことがないからだ。

だから、この複雑な事情を
帝撃入団スカウトですでに李紅蘭と会っている藤枝を適任と考えたのだろう。

米田は目を細め、回転椅子をクルリと回し、
指令室の窓から再び外を眺めた。

藤枝は報告を続ける。

「李紅蘭はその後、日本に渡来。
 英国技師ホワード氏の家にて霊子光学を学び、
 花やしき支部にて帝撃入団を果たしています」

藤枝の報告はそこで止まった。
すると、米田は長く腰を据えていた椅子から立ち上がり、
振りかえった。

「…そして花組に転属か。中々に難しい経緯だな」

そうもらす米田に、
藤枝はゆっくり首を振って否定する。
不思議そうな顔をする米田に藤枝は言った。

「確かに複雑な人生を送ってる彼女ですが…けして難しくはありません」

「ほお…、そいつはどうしてだい?」

そう聞き返した米田に、
藤枝はき然とした態度で口を開いた。

「紅蘭はけして不幸を口にしません。
 それ故に普通の人以上に負けない健気な女の子に成長しています」

直立し、しっかりと報告する藤枝の言葉を聞き入れた米田。
こんな時の彼女は一切の嘘偽り、下手な同情などしたりしない。
その彼女が太鼓判を押すのだからと李紅蘭への考え方は一変した。

「それが李紅蘭を帝撃に入団させた理由か?」

「その通りです」

言い払う藤枝に、米田はうなずき、
本日の報告を終えた。
日々のくだらない賢人機関の報告より
何倍も重要な報告が最後になされた。
李紅蘭が帝国華撃団・花組に配属されてからニヶ月の過ぎた午後だった。

その頃、李紅蘭は帝国歌劇団劇場の地下にて
光武の整備に取りかかり、顔を機械油で黒くしていた頃だった。

スパナを握る手の甲で額の汗をぬぐう彼女は
光武の背中部から頭を振り上げる。
まだ額に汗する彼女は息を切らして作業にあたっていた。

自分の事を総司令と副指令が話しているとは露知らず、
大好きな機械いじりに精を出していたのである。