翌朝、二人は食堂で顔を合わせた。
「昨日はすまなかったね、マリア」
「いえ私も言い過ぎました、すいません」
大神も一晩悩んだのだろう。見るからに寝不足のようだ。しかし表情は決意に満ちあふれ
ている。
「マリアのおかげで目が覚めたよ」
「で、どうなさるおつもりですか」
「うん、手伝ってもらいたいことがあるんだ」
・・・・・・・・・
「え?そうなんですか!」
「う、うん、こんなことはマリアにしか頼めないからなあ・・・」
急に少年っぽく口ごもる大神にマリアは微笑んだ。
その微笑に隠された想いに大神が気づくことはない。
(マリア、しっかりするのよ!)
「わかりました、おまかせ下さい」
◇◇◇◇◇◇
朝になっても紅蘭はまだベットから出ようとしなかった。
今、食堂に行くと大神はんと顔をあわしてしまう。
(大神はんは今頃楽しくみんなと朝ご飯食べてるんやろか?)
そう思うだけで胸の奥がキーンと痛くなる。
紅蘭は枕を胸に抱いて耐えた。
大切な花組のみんな・・・
なんやかんやゆうても帝劇の看板女優にならはった、すごいで、さくらはん。
すみれはんはいつも自信持って花咲いたみたいに輝いてるなぁ、まぶしいくらいや。
アイリスみたいにうちも昔は天真爛漫やったんかなぁ。
織姫はん、知らん国に来ても堂々と胸張って最高の演技をしてはる。
いつもみんなのことを一番に考えてうちらを暖かくフォローしてくれはるマリアはん。
カンナはんは信じる道に向かって脇目もふらずに修行にはげんではる。
ここのところ、すっかりみんなに打ち解けて明るくなったレニはん
(それにくらべてうちは・・・)
もしかしたら大神はんが好きなのはうちとちゃうかもしれへん。
他にもっともっと素敵な人等がおるねんもん。
そう思うとまた胸が苦しくなって・・・
(うちどうしたらいいの?)
(コン、コン)
突然ノックの音がした。
「紅蘭、ちょっといいかな」
大神はん!紅蘭はガバッとベッドから飛び起きた。
こんな涙に濡れた情けない顔を大神に見せるわけにはいかない。
「お、大神はん、まだ着替え中やから、かんにん・・・」
「・・・わかった、じゃあこのまま聞いてくれ」
大神は一つ息をした。
「紅蘭、明日の夕方時間をくれないか」
「・・・・」
「一緒に行って欲しい所があるんだ」
「でも、明日もうち舞台の稽古が・・・」
「支配人にもマリアにも了解は取ってるよ」
(どんな顔をして行けばいいん・・・行かれへん・・・)
思わず「かんにんな」という言葉がのどから出そうになったその時、
「君じゃなきゃ駄目なんだ・・・」
大神の優しい声が聞こえた。
「明日は、5時に戻るから玄関で待っててよ」
「わかりました」
「じゃあ、また明日、おやすみ」
「おやすみ・・・大神はん・・・」
ドア越しに大神の遠ざかる靴音を聞きながら彼女は今の大神の声をかみしめるように思い
起こしていた。
(君じゃなきゃ駄目なんだ・・・)
一筋、涙が頬を伝う。
明日はっきりさせよう、このままじゃどうにもならない。
うちの気持ちをはっきり伝えよう。
(それで駄目やったら・・・)
紅蘭は窓を大きく開けた。
早春の風が渦を巻いて紅蘭を包み込んだ。
◇◇◇◇◇◇
夕方の銀座の街を二人は歩いていた。すでに夜の賑わいがあちらこちらではじまりつつある。
「大神はん」
「ん、何だい?」
「一緒に行って欲しい所って・・・どこやの?」
「行けばわかるよ」大神はそれ以上は何も言わない。
やがて大神は1軒のカフェの前で足を止めた。
「ここってマリアはんの行きつけのお店とちゃうん?」
「そうだよ、入ろうか」
中に入ると大神は一瞬店内を見渡すとすたすたと奥の席に歩み寄った。
(誰かと待ち合わせでもしてるんかな?)
紅蘭も慌てて後を追う。
和服の小柄な女性が座っていた。
「母さん、ひさしぶり、待ったかい?」
(大神はんのおかあはん?)
「紅蘭、紹介するよ、俺の母さん」
紅蘭は状況が見えずに絶句した。
(何でおかあはんが東京に?)
大神は照れ隠しに頭をかいた。
「出てきてもらったんだ、東京見物がてら」
「こんなことがなかったらなかなか来れないからねえ」大神の母親の声は優しく聞こえた。
「父さんはやっぱり駄目だったんだ」
「そりゃいきなりだったからねえ、ちょっと都合がつかなかったよ」
「迷わずこれた?」
「ああ、あの何というたかな、背の高い金髪のべっぴんさんには駅ですぐ会えたよ」
ようやく紅蘭は我にかえった。
「べっぴんさんってマリアはん?」
「うん、ちょっと昨日頼んだんだ、母さんの出迎えを」
大神の母親はしっかりとした眼差しで紅蘭を見つめた。
「大神一枝いいます、あんたが紅蘭さんですか?」
「あ、はい、うち・・・いえ、私が李紅蘭いいます。大神はんにはいつもお世話になって
ます」
一枝は目を細めて紅蘭の手を取った。
「おうおう可愛い子やないですか、一郎にはもったいない、よう話は聞いとるよ」
「そんな・・・可愛いやなんて」
「眼鏡がよく似合っとる」
「そうですか、おかあはん、おおきに」
大神の母親の気さくな人柄のおかげか、紅蘭はリラックスして受け答えをすることができた。
ひとしきり話が済んで、一枝は大神の方を向いた。
「こりゃ、一郎!」
「え、母さん・・・」
「お前こんなええ子泣かしてどういうつもりや!」
「え?」
「あんたが仕事なんかすっぽかして紅蘭さんとゆっくり里帰りしとったら何も問題ありゃ
しませんがな」
「母さん〜無茶言うなよ〜」
「何が無茶なもんか、外国に行く前に何を真っ先にせにゃならんかわからんか?」
一枝は紅蘭を見て片目をつぶった。
「紅蘭さん、あんたがしっかり手綱握らんとこの子はいつまで立ってもぼーっとしとるよ、
はよ子種もろうて孫の顔あたしに見せたって」
「こ、子種」
大神と紅蘭の顔が真っ赤になった。
「他のお客に聞こえるじゃないか、恥ずかしいこと言うなよ」
実際、周りのお客やウエイトレスは笑いをかみ殺している。
「一郎、何気取っとる、そのつもりで紅蘭さんとあたしを引き合わしたんでしょう」構わ
ず一枝は大声を張り上げる。
「どうしても巴里に行く前に会わせたい人がおるからすぐ上京してくれと頼みこんだんは
どこの誰でしたかいな?」
「お、大神はん、そうなん?」
「いや、あの、巴里に行ってしまうと、その、あの、またずいぶん先になってしまうし
・・・、うん、会わせるのが・・・」
「何やろね、この子は、はっきりせんね」
(大神はん、うちのためにわざわざ・・・)
忙しい中、おかあはんにわざわざ上京してもうてうちに会わせてくれはった。
(大神はん・・・)
かたくなだった心がほぐれていく。
一枝は紅蘭の手をしっとりと握った。
「紅蘭はん、一郎はお国の仕事で遠くに行ってしまうけど、もしこんな子でもよかったら
待っといてくれんかな?」
紅蘭は一枝の瞳を見た。その瞳には大神への、そしてもしかしたら紅蘭に対する母親の愛
情が優しく見えたような気がして、
「はい、お母さん!うち待ってます!」
紅蘭はごく素直に背筋を伸ばして答えることができた。それはとても嬉しいことだった。
横を見ると大神も恥ずかしげに微笑んでくれた。
◇◇◇◇◇◇
「ほな、紅蘭さん、明日頼みますわね〜」
明日大神の代わりに帝劇を案内することを約束して、今日の宿である帝国ホテルのロビー
で一枝と別れた。
「楽しいお母さんやなあ」
「田舎者だろ、参っちゃうよ」
二人は夜の街をゆっくりと歩いた。
「あのな、大神はん」
紅蘭は大きく息を吸った。
「紅豚号つぶれてもうてほんと迷惑かけたなあ」
やっと、屈託なく言えた、いつものように。
「ううん、おかげで母さんに東京見物もさせてやれるし、良かったよ、かえって」
大神は紅蘭の頭に手を乗せた。
「紅豚号は紅蘭の夢へ向かって飛ぶつばさだったのにね、壊れちゃったけど」
「気にせんといて!また作り直すさかい!」
「その意気だよ」
信号が赤になり二人は立ち止まった。すっかり暗くなった夜の銀座をヘッドライトが左右
に流れていく。
大神は紅蘭の方に向き直ると肩に手をやった。
「どうしたん?大神はん?」
「紅蘭・・・」
「こんなこと言ったら笑われるかもしれないけど」
(ドキン)
「俺もなれないかな、君のつばさに」
「え?」
「君を乗せて飛ぶつばさに・・・」
「大神はん・・・」
「たとえ遠く離れてしまっても・・・俺は必ず帰ってくる、君の元へ」
「そして紅蘭、帰ってきた時、その時には・・・」
(あっ・・・)
紅蘭は大神の腕の中にいた。
街の喧噪が一瞬の内に消え失せる。
そして耳元でささやかれた言葉。
大神のぬくもり、鼓動、全てを・・・。
心に刻み込んでおこう、命ある限り・・・。
「うちでいいの、本当にうちでいいの」
大神は紅蘭の瞳をまっすぐに見た。
「君じゃなきゃ駄目なんだ・・・」
紅蘭の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うん、うち待ってる、ずっとずっと待ってるからな」
うちの新しいつばさ・・・
大神はんとやったらどこへにも飛んでいける。
しっかりと大神の体を抱き直すと大神も応えてくれた。
(いつまでも一緒やで、大神はん・・・)
◇◇◇◇◇◇
「マリア、寝れねえのか?」
テラスで夜の街を眺めているマリアの背にカンナは声をかけた。
「カンナ・・・」
「まだ帰って来ねえのか〜、どこほっつき歩いてるんだ」
マリアは答えずに街の光を見つめている。
カンナは瞳に心配そうな色を宿した。
「マリア・・・、お前、まだ隊長のこと・・・」
「たとえ隊長が私を見てくれなくても・・・」
ロケットを握りしめる。
「私の隊長はあの人だけ・・・」
「マリア・・・」
「心配しないで、カンナ、私は大丈夫よ」
マリアはカンナを安心させるために微笑んだ。
(私は隊長への想いを忘れない、忘れずに強く生きていきます)
目を上げるとカンナがじっと見つめていた。その瞳には自分と同じ想いが秘められてるよう
な気もして・・・、マリアはそっと微笑んだ。
「ここで二人が帰ってくるのを待ってる姿はマリアには似合わねえよ」
「ええ、そうね、そうよね」
瞬間、カンナの拳が唸りを上げて虚空に走った。その先に大神がいたならきっとよけきれ
なかったに違いない、そんなするどい突きだった。
「こんな美女二人をほっとくなんてボンクラな隊長だぜっ!」
ボンクラというおかしな言葉に二人は思わず吹き出してしまう。
「カンナ、たまには一緒にお風呂に入りましょうか?」
「お、珍しいねぇ〜、マリアがそんなこと言うの」
カンナはとても気持ちのいい笑顔をくれた。
「どうせなら他のみんなも誘って景気良く入るか!」
「いいわね、そうしましょう」
「そうと決まったら、さあ行こうぜ、マリア!」
先にみんなを呼びに行くぜ!駆けだしたカンナの後をゆっくり追いながらマリアは思った。
この想いは大切に心の奥に閉まっておこう。
そしていつの日か伝えよう、私はあなたを愛していましたと・・・。
−了ー
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あとがき |
う〜ん、紅蘭誕生日記念というのに誕生日が全然出てきませんでしたね〜(^^;
当初とまったく話が変わってしまい苦労しました。
実は「新たなつばさ」という題名は、日本初のヘリコプターと紅蘭との出会いを誕生日にからませて書くつもりでした。ヘリコプターの資料や当時の航空事情の資料をそろえて書き出したはいいのですが、話が暴走してしまいヘリコプターどころじゃなくなったので結局はしょった次第です。
日本初のヘリコプターの話はまた形を変えて書きたいと思います。
私の書く紅蘭はどうもジメジメしてしまい、自分でもいかんなあと思ってるんですが、女の子らしい紅蘭が見てみたいというorchidの深層心理のなせるワザということでお許し下さい(^^;
マリアとカンナの比率がでかくなってしまったのも計算違いです。
他のキャラのからみをおかずに入れようと思い登場させたのですが、紅蘭を食ってしまっているかも(^^;
思いの他長くなりましたが、お楽しみいただければ幸いです。
2000.3.9 orchid
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