りょーさんからリクエストがあったので、今回はNAIOS誕生前後のことについて書いてみよう。・・・っていうか、開発の詳しいことはSageさんに聞いてくれ(爆)。ちなみにNAIOSってのはSageさんの手によるゆいボットの改造版で、当サイトの楓ちゃんはこのNAIOSをベースにさらに改造が加えられているんだ。さあ、メモの用意はいいかな?ではいってみよう!
まず、当時の日記その他から正確に日時が確定できたイベントを拾い出してみよう。僕の初チャットは97年12月30日、実家に帰省中のことらしい。おそらくまるちチャットだったと思うがその辺の記述はないのではっきりしない。蛇足ながら、それに先立つこと5日、12月25日には当時話題になり始めていたICQを導入し、メールアドレスで検索してBBSでしか面識のなかった星野さんにいきなりメッセージを送り込んでいたりする(^-^; 我ながら無茶なことやってたもんだ。明けて98年1月18日、モデムを購入。これ以後自宅ネッターとしてぶいぶい言わせることになる(笑)。そして2月21日、MacOS8のWeb共有を使ってPPPでインターネットに接続されている自分のPCをサーバ化している。これはてっきりまるちチャットがらみだったと思っていたが、実は工画部がらみであったことが発覚。・・・人の記憶なんてそんなものだね。2月24日早朝に当時は裏であったBiGNETのまるちチャット、2月27日にSageさんのNAI研、3月2日にアプリさんの「制作中APPLI」ページ(そうそう、まだアプリ村ですらなかったんだった)をそれぞれブックマークに登録している。3月6日には「混沌の庭」を作成開始、3月8日にはMacPerlでゆいチャットの稼動に成功している。そして翌日には大学のMacintoshでWeb共有により固定IPアドレスのページとして密かに運営を始めるに至ったわけだ。このへんも、今考えてみると結構無茶してるな(^-^; そしてHDD内に残存する関連ファイルの作成日から推測するに3月17日頃Sageさんから量産型マルチチャットの配布を受け、4月2日にそれまで稼動させていたゆいチャットをこれに置き換えている。実際に量産型マルチを稼動させるまでに2週間の空白があるのは・・・多分めんどくさかったんでしょ(笑)。ちなみにさらにその翌日には星野さんも当時2つに分かれていたサイトを「皇帝機構infinity」として統合し、NAIOS版マルチの正式運営を開始している。一方の「混沌の庭」では4月15日に量産型マルチチャットを楓チャットに変更(しかしながら、かなりの長きに渡って辞書にはマルチのものが多数残っていたため、なかなか趣のある楓ちゃんであったということは秘密だ)している。4月22日にはアプリさんがサイトをBiGNETに移行(このとき初音ちゃんがエラー多発でてんやわんやの騒ぎだったようだ(笑))。5月15日には智波さんのLeaf's Tea Roomが3333ヒットを記録。6月1日にはついにBiGNETと契約して「混沌の庭」を移行させ、現在に至る。
残念ながら日時が正確なイベントについてはこれ以上の記述が見出されないため、さらに細部を記憶により埋めてみよう。星野さんによるとアプリさんとSageさんはほぼ同時期にマルチに漂着とのこと。これは2月半ば頃でなはいかと思う。これまた星野さんによると、アプリさんの学習させた「矢を放て」というキーワードによりボットが異常動作し始めたことをきっかけにSageさんがゆいボットの改造を開始したとのこと。この改造版が最終的にNAIOSの名を冠されることになるわけだ。この改造スクリプトのテストに、当時は裏として存在していたBiGNETのマルチ(現在はこちらのみ存続している)が使われたんだ。改造スクリプトの最初のテストの前に偶然にそのURLを入手していた僕は、テスト当日に何の前振りもなくそちらに顔を出すという強引な運びで関係を確立し、後日、第一期NAIOS運営者のひとりとなる。・・・偶然とは恐ろしいものだね(笑)。ということで、この最初のテストが行われたのはブックマークの記録から2月24日夜ではないかと推測できる。余談だが、第一期NAIOSチャットはセリオ(Sageさん)、マルチ(星野さん)、初音(アプリさん)、楓(O.C.T.)の4チャットだ。少し遅れて綾香(智波さん)がこれに加わる。しかし、楓チャットが外部に公開されたのはBiGNETに移行してから(つまり、6月以降)なので、一般的には綾香の方が先に存在していたと思われているかもしれない(笑)。
・・・というわけなんだ。だいたいの流れは掴めたかな?当時の記録がある人は、「こんなこともあった」「これは違う」等、連絡を頂けると嬉しいぞ。