北東北の旅

(2007年8月 青森県〜岩手県)

恐山、湯坂温泉
大間岬

尻屋崎

薬研温泉

道の駅横浜

十和田市田代平

八甲田

十和田湖

道の駅新郷

稲庭高原

田代平高原−高森高原−奥中山高原

寺沢高原

室根山

青森県

岩手県

8月10日(金) 東京を夜8時頃出発。渋滞覚悟で東北自動車道に入ったものの普段より車の量は多いがとくに渋滞もなく
スムーズに流れている。ラッキー!!。深夜2時半頃前沢SA到着仮眠をとることにした。
8月11日(土) 早朝八戸道に入り三沢IC手前下田百石ICで高速を降り一般道338号線に入り尻屋崎を目指した。


尻屋崎灯台

寒立馬

寒立馬

どことなく物悲しい風景。冬は厳しい大地なんだろうな〜。観光客も少なくお土産屋さんも閉まっていました。
次はいよいよ本州最北端大間崎です。尻屋崎から県道6号で戻り蒲野沢から266号線に入ります。
この県道は大間へ向かうショートカットですが舗装とダートが繰り返し有り非常に走りにくい。なんでこんなことするの?
国道279号に出て右折一路大間崎へ。


最北端の碑

正面に北海道が・・・見えない

やっと着いたぞ!!本州最北端!
残念ながら北海道が見えません。ガク。
丁度昼時なので大間と言えばマグロ!
というわけで旅雑誌で紹介されている
お店に行ってみました。

大間産の鮪をのせた鮪丼1700円。

お腹も満足したところで温泉へGO!279号線(むつはまなすライン)を戻り
大畑で薬研温泉方面に右折。山奥深く入ると奥薬研温泉に到着です。無料の露天風呂「かっぱの湯」に入ることにしましたが
激熱い!足を入れるのがやっと(−_−メ)。以前訪れたときは川の水が引き込まれ丁度よかったのですが、それが止まっている。
これは無理というわけで斜向かいにある「夫婦かっぱの湯」に入りました。入浴料200円。こちらは混浴ではないので女性の方は
こっちの方がよいかも。。。

無料の露天混浴風呂「かっぱの湯」

夫婦かっぱの湯

奥薬研温泉近くトンネルを抜けると奥薬研渓流。左画像のような景色を楽しむことができ、
無名の露天風呂が川沿いにあります。よーく注意していないと見落とすこと必死。
奥薬研の付近には無料駐車場がありここで野営するキャンパーも多いです。
渓流沿いには遊歩道があり森林浴には最適。
温泉に入りさっぱりしたところで「釜臥山」に向かうことにしました。奥薬研から少し戻った
ところからT路地を右折し恐山方面に抜けるルートです。深い森林の中を抜ける見通しの
悪いカーブが続きます。

森林を抜けると硫黄の香が漂ってきます。正面には宇曾利山湖。右手に恐山。今回は寄らずに左折し釜臥山へ。と、左折
したところになにやら怪しい建物が・・・・「イタコ」とか「温泉」とかいう看板が目に飛び込んできました。店先はお土産屋ですが、
「湯坂温泉」と看板には書いてあり温泉であることが発覚。

店に入ってみると老夫婦が二人・・・・・。声をかけてもよいのやら・・・・ちょっと不安。
店内は薄暗く超マニアック。入浴料200円。お風呂は店を抜けたおくの離れにあります。
ドアを開けるといきなりトイレ!!マジ!!!??。トイレからもう1枚のドアを開けるとようやくお風呂。これはないよ〜、おばちゃん。
湯は間違いなく完全源泉掛け流し。酸性度がかなりきつい硫黄泉。しかしこれぞ温泉、温泉に
入っているなぁと思わせてくれる力強い湯でした。帰り際に世間話してみると、とても話好きな
優しい老夫婦でした(^_^)

湯坂温泉から20分程度で釜臥山山頂に到着です。山頂までの途中には恐山展望台やむつ湾展望台などのビュースポットが
あります。山頂付近は自衛隊のレーダー基地があり警戒が厳重。ここでのアマチュア無線はとてもじゃないけど無理かな?

山 頂

山頂下駐車場からのむつ湾

この日のPキャンは上北郡横浜町にある道の駅「横浜」に決定。むつ市街からむつ湾沿いに通る279号線で南下しました。
日が暮れた頃、野辺地に住む友人が差し入れを持って遊びに来てくれました。

むかつく!道の駅で深夜にもかかわらずエンジンをかけっぱなしの車!迷惑だぞ。

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【備考:寒立馬(かんだちめ)について】
東通村の海岸地帯には、藩政時代より田名部(たなぶ)馬と呼ばれる小柄で耐寒性と持久力に富み、粗食に耐える馬が飼育されてきました。田名部馬は南部馬を祖とし、明治・大正・昭和と、軍国主義を歩んだ日本の歴史の中で、軍用馬として改良されてきました。なかでも、この田名部馬とブルトン種(フランス産の大型肉用馬)を交配して、独自の農用馬(肉用馬)に改良したのが尻屋の寒立馬です。寒立馬は日本在来種として認定されているわけではありませんが、その形質に今は消失した南部馬の姿を見ることができます。

【「寒立馬」名称の由来】

以前、地元の人達は「野放し馬」と呼んで特定の呼び名はなかった。
その後、昭和45年、当時の尻屋小中学校々長の岩佐勉氏が尻屋の人達の前で

「東雲に 勇みいななく 寒立馬
筑紫ヶ原の 嵐もののか」

と言う歌を詠んだ。
それから、「野放し馬」は「寒立馬」と呼ばれるようになったと言う。

「かんだち」と言うのはマタギ(狩人)の間で、カモシカが厳寒の中
身じろぎもせずにたたずむ姿をそう呼んでいた。
「野放し馬」の厳寒の風雪の中、じっとたたずむ姿から
「寒立馬」の言葉が詠まれたのかも知れない。

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