大和攻城ツアー

平成11年5月2日〜4日
前回の但馬ツアーのお誘いをしている途中、
都合により但馬ツアーに参加は出来ないが、しかし最近城に行っていないのでどこかに行きたい、
というW辺さんの発案によって実現した大和城攻ツアー。
今回は薬田さん、渡壁さん、そして期待の新人S君と自分の、合わせて4人が参加することとなった。
但馬ツアーと同じく、あっしが自分の車で運転手を勤めることに。


○5月2日
前回の但馬ツアーとは打って変わって、かなり良い天気。
人数が増えて因果が薄まったからか。ともかく目出度いことだ。

9時半頃に待ち合わせの奈良のホテルに着くが誰もいなかったので、
車を停めて朝食を買いに行く。
ミスタードーナツがあったので、ここで新発売のTOHUドーナツと粥を食べる。
TOHUドーナツはもっちりとしてなかなかおいしかった。

10時過ぎて帰ると、薬田さん、渡壁さん、そして期待のルーキーS君の3人が着いていたので、
荷物をフロントに預けて、早速車で第一目標の椿尾城へと向かう。


椿尾城(上)



北椿尾町の標高529mの城山山頂。
近くまで車道が通っているので、アスファルトの続く限り寄せて登る。
土道を15分ほどで山頂に至る。
去年の台風のせいか、木が沢山倒れていて歩き難い事この上ない。
遺構にはあちこちに石垣なども残ってはいるものの(写真右)、
倒木が邪魔で確認できない部分が多い。
規模は200m四方くらいの大きさで、比高400mの城でこれほどの規模の城は珍しいのでは。
詳しくは城郭大系で。


椿尾城(下)



椿尾城(上)から南東東に1.5kmにある。
集落のすぐ上にあるものの、登り道が見つからない。
強襲して草をかき分けて本丸北に連なる郭に取り付く。
本丸までは何とかたどり着いたものの、そこから先は密生する笹の為に断念。
椿尾(上)ほど手入れがされていないが、これはこれで良さげな城であった。
それだけにほとんど見れなくて残念無念。

名阪国道へ向かう途中に自動販売機を見つけたので、自販機の側で昼食。
山登りにお弁当というのは、端から見れば真っ当な休日のすごし方なのだが…。

反対方向の渋滞を後目に、名阪国道に乗って一気に法隆寺ICへ向かい、
そして法隆寺などには見向きもせず、椿井城へ。


椿井城



清掃センター脇あたりで登り口を探すものの見つからず、
城の北側にあるゴミ処分場からの斜面を強襲したものの断念。
西側の麓にある墓場脇に登り道っぽいものを見つけたのでそこから攻めるも、
これまた途中で道が消失。断念。
付近の椿井の井戸の奥にもう一本の道を見つけ、もう一度アタックをかけるも、
これまた古墳脇あたりで道が消失、断念。
神社の奥にも道があったようだけど、時間も無くなったので結局諦める事にする。
ううむ、残念無念

余計な汗をかいてしまったものの、気を取り直して本日の最終目的地、立野城へ。


立野城



標高、位置共に、どう考えても城山台団地になっていると思われたので、
その辺りをうろついていると、丘になっている部分を発見したので登ってみる。
そこは墓になっており、周りを見渡して残りの郭を探してみるが、確定が出来なかった。
(写真は、丘の上の墓地から、法隆寺方向に向かって写す)
そこで団地の下にあった図書館に行って地元の資料を探してみるが、
断定できる資料は見つからなかった。
三郷町史に載っていた昭和48年の地図と大系の図面を参照するに、
墓地になっていた部分はDの郭(大系図面参照)の一番高い部分であると推定できた。
残りのABCの郭と思われるところは、結局見つける事は出来なかった。

後半2城の結果に落胆しながら、ホテルに帰り、車を置いて付近の王将へ。
各人定食を頼んで、それに加えて全員で2、3皿を余分に取る。
腹一杯食って4人で5000円ほど。大徳人薬田さんの徳政令がでて500円ほどの負担で済む
いや、見事。王将と薬田さん。

ホテルの部屋で、TVを見ながらそれをつまみに酒を飲む。
11時前には寝る。


○5月3日
2日目。今日は東の山岳地帯。
まずは龍王山城。
初めは藤井町の村落経由で寄せようとしたが、
途中のおばさんの話で、ダム南の別れ道から山頂まで車道が続いているという情報を入手。
急遽、道を引き返して北から大回りして山頂へ。
龍王山城北付近の駐車場に車を停めて、北城へ。


龍王山城(北)



石碑脇の道から、虎口を経て本丸まで5分ほど。
本丸からは奈良盆地が一望に出来る。
遺構も400m四方に広がり、比高400mクラスの山城でこれだけ広大な城も珍しいだろう。
が、昨年の台風の倒木で、道が塞がれている上に郭の一部が破壊されている。
西の大手丸へは倒木の間を縫って行ってみたが、ここの構造はなかなか面白かった。
他にも行ってみた部分はあったものの、非常に残念である。
こうならない為にも、眺めの為にも、余計な樹木は一切伐採してもらいたいのだが如何に?

もう一度車に乗り直して南城へ。


龍王山城(南)



北城から南に300mほど行くと南城にでる。
標高はこちらの方が60mほど高い。
また、整備も良くされていて、北城のように倒木のせいで行けない部分はほとんど無かった。
本丸からは周囲が見渡せ、北城も望む事が出来る。
規模は北よりも小さいが、それでも300m四方の範囲に郭が存在する。
また本丸北西にある柳本竜王社の馬冷やし(井戸)には、比高400m近い高所ながら水が湧いている。(写真右)
南北合わせるとかなりの規模になるものの、一度も戦わずに廃却されてしまったとは、
もったいない限りである。

一度ダムを抜けて旧国道25号線まで北上し、北回りで小夫城へ。


小夫城



小夫村落の南側に位置する村の城。
ミノルタの工場脇からどこぞの神社に抜ける道の、途中から別れた小道を登って行く。
図面だと北側が大手になっているが、こちらからの方が道が大きくて登りやすい。
規模は小さいが、高低がはっきりして、かつ遺構も良く残っている。
去年の台風で倒れた木を伐採して、新たに植樹をやり直した直後だったので、
本丸付近の様子が良く分かった良かった。
(写真。植樹後の土地に入り込むのは良くない事だが)
しかし、狭い道を小夫村落まで来る手間を考えると、
この城だけをわざわざ見に来る価値があるかどうかは良く分からない。
龍王山城と抱き合わせで来るのが丁度いいだろう。

国道165から国道370へ出て、大宇陀町春日の秋山城へ。


秋山城



春日神社脇から登り道が出ている。徒歩15分ほどで山頂。比高100mほど。
秋山氏の本城に織豊期の改修が入っている為、あちらこちらにかなり立派な石垣が残る。
現在大宇陀町教育委員会の発掘及び修復作業が進んでおり、
崩れた石垣のまに合わせに土のうを積んで形を復元しているのは面白いアイデアである。
石垣は部分的にしか顔を除かせていないが(写真右)、現在発掘中の二の丸-大御殿間の遺構を見るに、
かなりの部分が石垣に覆われている可能性が強い(といっても勝手な推測だけど)。
石垣マニアの方には、高取城と、ここ秋山城、そして椿尾城(北)はお勧めスポットであると言えよう。
また山頂の城部分から麓に至るまでも段々畑のような地形が残っているが、
ここも当時は屋敷か何かが存在していたのかもしれない。

下山後春日神社で参拝した後、仏隆寺付近にある赤埴城へ。


赤埴城(上下)



仏隆寺の駐車場の裏山が赤埴下城。(写真左)
遺構は長さ100mほどの一列の郭跡があるだけだが、遺構そのものはしっかりと残っている。
駐車場からすこし車道を上俵方向へ登ると右脇に出てくる平地が一番西端の郭になる。
たったこれだけか、と言われるほどしかないものの、これでも一城である。

また、ここからさらに上俵方向へ車で1km弱ほど走ると、赤埴上城に出る(写真右)。
道は狭くて分かり難いものの、城の麓に看板が出ているので分かりやすい。
遺構自体は30m四方の郭を中心とした小規模なものであるが、
この地方独特の正方形の郭を持つ山城である。
大系に出ている鹿垣であるが、土塁と考えるには地形に対して不自然で、
やはり鹿垣と考えるのが普通だろうとは山岳地方出身者のY田さんの言である。
道はひどいし遺構は小さいし、普通に考えるととんでもないカス城の部類に入るのだろうが、
東山内地方の城の特色を良く表し、かつ当時の雰囲気(零細豪族乱立)を伝える
良い城の一つであるといえる。

本来は以上で本日の予定は終了だったが、4時前で時間が余り、
さらに天気予報では翌日から雨の予報で、かつ
このまま北上して桜井市に出ても道が来んでいるだけだろうと、
南を迂回して高取城へ行く事に。
途中で国道169で渋滞に巻き込まれてしまったものの、
不可抗力でやってしまったヤクザ走行で時間を稼ぎ、5時過ぎには城裏の駐車場へ。


高取城



日本三大山城の一つ。(らしい。ちなみに岡城、岩村城、高取城の3つ)
確かにその規模、構造の複雑さ、石垣の多さ高さ、そして何よりも比高の高さは驚愕すべきものである。
しかし、ここも昨年の台風のせいで倒木が多く、遺構の一部を破壊している上に
通行不能になっている部分が多い。
吉野口郭を廻って駐車場に抜けようとして、途中で通行不能になって諦めざるを得なくなり、
日没直前に、もう一度元来た道を戻るはめになり、
余計な汗をかくことになった。

帰り道、西名阪自動車道まで15km近い渋滞に巻き込まれ、
ホテルに着いたのは9時前。
ホテル側の蕎麦屋で遅い夕飯を取り、ホテルに帰っても酒盛りもなく早々に寝てしまう。


○5月4日
やはり、最終日は雨。
ホテルをチェックアウトして荷物を積んで多聞城へ。


多聞城



聖武天皇陵とそれに続く丘陵を利用した城。
現在では聖武天皇陵と仁正皇后陵、そして若草中学校になっている。
天皇陵にはもちろん入れないので、中学校へ突入。
門脇の石碑で記念撮影をしていたら、休日ながらクラブ活動で登校中の女子中学生に
「記念撮影なんかしてるよ(笑)」と指さされ、非常に恥ずかしい思いをする。
よく、中学校の校門が閉まっていて入れなかったという記述を目にするが、
天皇陵裏手(北)に寄せて、仁正皇后陵と中学校の境目の柵際の階段を登れば、
簡単に中学校の敷地の端に出ることが出来る。
中学校の敷地は遺構らしいものは全く残っておらず、
天皇陵側には手着かずで残っているように思えども立ち入り禁止で柵に囲まれている。
何とも歯がゆい思いをさせられる城であった。

次に大和郡山城


大和郡山城



奈良盆地の数々の寺・墳墓の存在にその存在が霞んでしまっているものの、
その実かなり立派な近世城郭である。
霞んでしまった分、ぞんざいに扱われており、本丸以外の敷地は、
高校などの公共施設に占拠されてしまっており、その間にかろうじて堀・石垣などが残っている。
多聞城のように高校の敷地内にも入ろうかとも考えたが、
さすがに高校生相手ではかなわないので止めておく。
本丸には何故か柳沢吉保を祭った神社がある。
賄賂と出世のご利益を期待して皆で参っておく。
鷺池の南側は筒井氏時代の本丸跡になっており(写真右)、
桜花グランドから近鉄奈良線にかけてそれらしい高台になっている。
今回は市役所横の三の丸駐車場に車を停めたが、ここは有料で遠いので、
市民会舘横あたりに停めておくのが良いかもしれない。

本来はラストの大和郡山城も10時過ぎには終ってしまったので、
予備だった大和田城に向かう。


大和田城



大和郡山城の北西西2kmの、富雄川西岸にでた台地の東の外れにある。
城の南側には警察犬の訓練所がある。
ここも一辺50mの正方形をした郭だけで構成された丘城である。
人の手が入っていないので遺構は奇麗に残っている。


昼前にはすべての日程を終了して、中華料理屋で飯を食って金銭の清算をし、
東京組の人をそれぞれ近鉄奈良駅、JR奈良駅に送り、
自分は第二阪奈有料道路、大阪高速道路、第二神明道路を経て帰る。
途中事故渋滞に引っかかった他はスムーズに帰る。

しかし、今回運転手をしていて思うのは、
「奈良の山道は恐い」
ということだろうか。
どうして、3桁ナンバーとは言え国道が車幅ぎりぎりの道になるのだろうか。
といって、車無しで攻めるには、あまりに辛い城が多かった。
今度車を買う時には、四駆の軽自動車を買うことにしよう。


戦果
	攻撃対象	13城

	うち 棄権	1城

			12城	攻略



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