対馬・北九州・中国ツアー その1

平成8年3月18日〜23日


今まで(平成10年9月現在)行った中で、もっとも金のかかった国内ツアー。(笑)
交通費に、食費に、乱費の雨嵐。

○3月18日
他のメンバーより一足早く、広島入り。
22日の安芸北部ツアーのための自動車での下見。
地元の強みを活かして、自動車化部隊の導入…のつもりが、
「あんたぁ危ないけぇ、運転しちゃぁ駄目」(byうちのかあさん)と待ったがかかり、
実際に下見で運転した結果、あまりの危なっかしい運転に、
結局、高校の時の同期に運転を頼む事に。

ちょっとしょぼくれ気味で、広島駅からひかりに乗って一路小倉へ向かう。

小倉駅に午後9時半頃到着。
トン骨ラーメンで軽く腹ごなしをしてから、10時40分発の比田勝行きのフェリーに乗り込む。(4200円)
(そもそも、ここでラーメンで腹ごなしをしている辺りから、
今回の乱費の前兆が現れていたように思える。
普段の遠征だったら、こんなことは絶対に無い。(笑)
ちなみに、この時のラーメン、油ギットリの白濁スープに細めの麺に
焼いた豚バラが乗っていた。博多ラーメンに近いもので、400円だった。)

○3月19日
比田勝に午前4時過ぎに着。
とりあえず暇なので港辺りをぶらついていたら、警官に職務質問されてしまう。
どうやら6時ごろまでは船の中で寝ておくのが普通らしい。

職質の後も比田勝の町をぶらつく。
もちろん、コンビニなんていうものは無い。
タクシー会社を求めて、重い荷物を担いで辺りをひたすら歩く。
至る所にハングル文字が溢れている。
竹島のみならず、対馬にも侵略の魔の手が…

午前6時前に、奇跡的に開いていた立花食堂というところで朝食。600円なり。
食堂のメニューに、「○ョンライス」と書いてあるのを見て驚く。
キムチチャーハンの様な物かと勝手に想像してしまったが、
良く見ると「チキンライス」だった。

朝一のタクシーで、第一目標の豊砲台へ。タクシー代2000円なり。

豊砲台


対馬海峡の北を守る、第二次世界大戦の要塞跡。
ここには、ワシントン条約(だったっけ?)で廃艦になった戦艦土佐の40cm連装砲が
備え付けられていたそうである。
ベトンで固められた崖の中には、砲塔の基部や弾薬庫、
砲台を動かすための発電所などの跡が残っている。
要塞の北側からは、自衛隊のレーダー基地と対馬海峡が望まれた。


もう一度タクシーで比田勝へ戻り、今度はバスで金田城へ。(一人3000円)
対馬空港付近でバスを下車して、またもやタクシー。(2000円)

金田城


タクシーを降りた登り口辺りから、かなり立派な石垣らしきものがあったので、
かなり期待して登っていたら、実は日清戦争当時の要塞跡の遺跡だった事が判明。
要塞の舗道を、朝鮮式山城と間違えるようじゃちょっとやばい。
結局、本家本元の金田城は、上記の写真の部分しか見つからなかった。

金田要塞



麓から20分ほどで要塞跡へ。こっちの方が圧倒的に立派だった。(笑)
まあ、時代が新しいだけにしょうがないわね。
この要塞は日清戦争の賠償金で建てたもの、だったような気がするけど
本当の事は良く覚えていない。大久野島で見たものと酷似しているので、
それと同時代のものには間違いないだろう。
28cm砲(旅順で有名なやつ)の砲座らしきもの(写真右)なども存在した。

登り口まで降りて、タクシーでバスを降りた辺りまで戻り、(2000円)
バスで厳原へ向かう。(1500円)

金石城


厳原の港のすぐそば。
対馬藩の本拠。門と石垣が多数残っている。
この真裏に清水山城が存在する。

清水山城


金石城の裏手の登り口から15分ほど。
やけに長細い縄張りの奥まった辺りに本丸が存在する。(写真左)
特に本丸の石垣は、日本では珍しく、平らな石を丸く囲ってある。
清水山城は秀吉が朝鮮征伐の前進基地として築いたもので、遠征失敗後廃城となる。
本丸からの眺めはなかなかのもので(写真右)、山登りの苦労も忘れさせてくれる美しさである。


午後3時半発のフェリーで壱岐の郷ノ浦へ向かう。(1800円)

郷ノ浦のホテルに荷物だけをとりあえず置いて、亀山城跡へ。

亀山城


本丸、二の丸、三の丸の順に、公園、観光会館、病院と化していた。(笑)
一部に石垣も残っているが、あまりに新しすぎるので本物か良く分からない。

ホテルは飯無しなので、帰り道に飯屋を物色。
壱岐名物のウニの食えそうな、それっぽい飯屋を見つけて入る。
本来なら、夕方のスーパーで値引きされた食品を買いあさって
ホテルの一室で食う、というのがデフォルト(笑)なのだが、
今回は初参加の保科さんがいらしたせいか、それともご乱心か、
リーダーの窪谷さんが率先してグルメモードに突入していった。

この飯屋で、ウニ飯定食(ウニ飯(炊き込み。生ウニは5月から)、
サザエの壷焼き、えびチリ、もずく、ひじき、吸い物)とオプションで
トコブシの含め煮、酒に熟成焼酎をいただく。
とくにトコブシがおいしかった。

しかも、飯屋のそばの土産屋で、さらに酒と肴を購入。
城郭班遠征には珍しい、ホテルでの二次会が開かれる事になった。

結局、交通費だけでもこの日一日で一人頭12500円もかかってしまう。
レンタカーでも借りれば、大分安く済んだだろうけど、
後々考えると、あの狭い道を運転するのは、かなりの苦労だったように思える。
その上、何を血迷ったかの豪勢な夕食。
壱岐に来るまでで、3万円近い出費を記録する事になった。



○3月20日
予定より半日も早い船で、九州上陸。
西鉄福岡から西鉄二日市、乗り換えて西鉄太宰府下車、そこからタクシー。
時間もあるという事で、大野城も見ようという事になる。

大野城


こんな感じの土塁が、延々と山を囲っている。
さすがに全部回る事はできなかったので、南側の遺構の一部分だけを見る事に。
土塁から、すこしばかり山を下った辺りには、大石垣と呼ばれる石垣跡が残っていた。

大野城の大石垣

遊歩道のために、一部分が削って
あったものの、当時の朝鮮式山城の
雰囲気を残していて、なかなか見ごたえの
ある物だった。
ただ、麓でもらった大野城の遺構の地図を見ると、
土塁は一周ぐるっと回っているものの、
石垣は所々にしか残っていない。
しかもその残りかたから、石垣は関所みたいな
局部的な防衛拠点に利用されていたのかなと
思われた。



そのまま遊歩道を降りていって、本来の目的地、岩屋城へ。

岩屋城


高橋紹運、玉砕の地。
大野城へ登る車道によって切られた、峰の一角が本丸で、
その下に、少し広めの二の丸がある。高橋紹運の墓がここにあった。
それ以外の遺構は、地図が無かったので確認が取れなかったが、
とりたてて、堅城というふうにも見えなかった。
良くこんな狭い城で島津の大軍を防いだものだと感心させられる。

そのまま車道を歩いて降りて、太宰府で昼食。何を食ったかは記憶に無い。
西鉄太宰府から西鉄二日市まで電車、そこからJR二日市まで歩く。
途中、たいやき屋ならぬ、「むつごろう焼き屋」を発見。
要は、むつごろうの形をしたたいやきで、底々おいしかった。

JR二日市で、一人別れて渡壁さんと合流、そのまま南九州ツアーに参加する白井君を
見送って、残りの3人で一路下関へと向かう。
いくらケチるといっても、博多から下関まで、鈍行で行くものじゃない(笑)。

新下関からタクシーで勝谷まで寄せて、勝山城へ。

勝山城


地図無し、大たいの辺りしかつけていなかったので、
場所が分からず地元民を探して聞いてみるが、地元民でさえ良く知らないという。
とりあえず、大たいのところは分かっているので、その方向に向かって砂利道を歩く。
ところどころに、登山道の入り口らしき物があるものの、何の表示も無い。
と、ついに二股に道が分かれてしまって、どっちに行くかわからなくて困っていると、
犬を散歩しに来ていたお姉さんに出会う。
そこですかさず聞いてみると、向かって東の山が、むかしから城山とか言われていた、
という貴重な情報をいただく。
そこで進路を右にして、えっこらと山を登っていった。

途中にも、それらしい、石垣の残骸のようなものがあったりし、
さすが地元民、と喜びながら登っていき、頂上で神社に出る。
が、そこに表記してあった山の名前は「四王司山」。
んん?何か違うと城郭大系のコピーを確認してみると、
真向かいの山の頂が、大系に載っていた勝山城の遠景とそっくりな事に気がつく。
どうやら、一つ横の山に登ってしまったようだ。
だまされたぁ!
犬好きに悪い人はいない、という世間の常識を信じた我々が馬鹿であった。
が、もう日暮れも近く、さすがに山もう一つは無理で、
あきらめて帰る事に。
一つだけ幸いな事は、この四王司山にも砦か何かが築かれていたらしいということ。
ちなみに、写真の左側の峰が勝山城、谷向かいの右の峰が四王司山である。

麓に降りて、もう一つの勝山城跡を見る。

勝山御殿


幕末、尊王攘夷を行っていた長州藩が、幕府や外国軍相手に戦うために築いた館跡。
ここら辺に篭って戦うつもりだったらしい。

タクシーを呼んで新下関まで行き、鈍行で小郡まで。
ホテルに入って荷物を置いて、飯を食いに行く。
その日も豪遊モードで、小郡駅周辺のそれらしい居酒屋を求めてさまよう。
…が、何も無い。(笑)
山口県民には悪いが、駅周辺にもかかわらず、店がほとんど無い。
一軒見つけたコンビニは、エロビデオのレンタルをやっていたり、
大人のおもちゃを売っていたりする、とんでもない店だった。
何とか一見の居酒屋を見つけてそこに入る。
しかし、ここでも我々はだまされ続けた。
山口に来たのだから、フグでも食おう、というリーダーのお言葉に、
フグちり、フグのから揚げ、などを頼むも、出てきたのはすべて箱フグ。
(豆知識:箱フグはフグじゃなく、カワハギに近いものである)
珍しい、というので頼んだ、カエルの足のから揚げや鯨の龍田揚げも、
値段の割にはかなり量が少ないものだった。

敗北感に打ちひしがれながら、床に就く。


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