蕎麦屋行脚その3。参加したのは2回目である。今回は上田・軽井沢方面を攻める事になる。


○2月9日

職場の飲みを一次会で切り上げて、急いで新幹線で名古屋へ。名古屋から普通に乗って23時過ぎに大高駅到着。ここで名古屋支部長のデミオに拾ってもらって、国道19号線を北上する。
北上する毎にどんどん気温が下がって行き、木曾福島を通過するころには−8℃の表示が出ていた。「この分だと小便でもすぐに凍ってしまうな」と、路面を注意深く見てみるが、路肩には溶け残った雪が積もっているものの路面は乾いていてホッとする。しかし、車が走るたびに吹き上がる除雪剤の白い粉が粉雪に見えて、精神衛生上良くないのは変わりない。
幾らスタッドレスタイヤを装着していようとも、デミオはデミオなので、凍結路面が突然出てきたら、そのまま帰らぬ人となってしまいそうで、気が気で無かったのであるが、当の運転手の方は一向に気にすることも無く、あまつさえ「もっと雪が残ってないと、折角スタッドレスにした意味が無いなぁ」と言いながら、時折脇の旧道に入ってカリカリの雪の上を走ったりする。手にじっとりと汗を掻く。
スキー場の入り口付近で何度か混んだ他は大きな渋滞も無く、午前4時ごろには松本市に入る。ここから上田市に行くためには、北東の山を越えていけば早いのだが、「これだけ気温が低いのだし、これで山道に雪が残っていたらいくらスタッドレスでもアウトだ。ここは慎重に長野経由で下道を走ろう。」と無理に御願いして、長野経由の大回りルートを走ってもらう。山越えの3倍の距離を走る事になったが、さすがに氷結したような場所もなく、午前6時過ぎには無事に上田駅に到着することができた。
ここで駅前のロータリーの車を停め、近くの公衆便所に入って放尿と仮眠前の歯磨きをしようとしたら、「水道管破裂のため、現在使用不可」との張り紙がしてあり、水が一滴も出てこない。仕方なく歯磨きは諦めたが、これから集合時間である午前10時までの4時間の仮眠中に凍死しないだとうかと不安になる。
ともかく猛烈に眠いので、使い捨て懐炉や着替えなど、あらん限りの防寒具を身につけて、車の中で仮眠を取る。−4℃と言う事もあってか、足元からしんしんと冷たさが上がってくる。「本当にもう一度起きれるかな」と心配になるが、睡魔に負けて寝てしまう。


○2月10日

午前8時ごろに、係の人から「ここはタクシーの待機場だから、車を動かしてくれ、云々」と注意を受け、隣にある有料駐車場に移動して、またも仮眠。この頃には日が出てきたので、断然に暖かくなっていた。
9時45分頃に起床して、隊長を迎えに新幹線口まで移動。予定よりも10分遅れで、隊長を収容。まずは今夜の宿を確保する為に、別所温泉の観光案内所まで行く事にする。
別所温泉は由緒正しい温泉場で、池波正太郎の小説「真田太平記」でも真田幸村が湯治に来りもしている(といって、本当にそうだったかはわからないけど)。
そんな由緒正しい温泉場で、しかも三連休の真っ只中に、当日に宿を確保しようなんて無茶な話ではあるが、まあ無ければ上田市内のビジネスホテルでも良いか、と駄目元で話を聞いてみる。すると、やはり旅館はどこも空いていないとのこと。やっぱり無茶だったかと諦めかけたところ、案内所のおっちゃんが、「そんなに奇麗でない宿なんだけど、6800円で泊まれる民宿みたいなところがあるので、そこでも良いか?」と聞いてきた。温泉はどうせ外湯で入れるので、とにかく屋根があって寒さが凌げれば良いかと考えていた上に、一万円以上している旅館しか無い中で、7000円で泊まれてしまうと言うのは素晴らしい。二つ返事でその民宿を取る事にする。
道を教えてもらって奥に進む。「ホテル晴天」という名前なのだが、どう見ても民宿。母親ほどの歳の女主人が息子夫婦に手伝ってもらいながら切り盛りしている。料理などに若干不安を感じたものの、これだけの温泉地に安く泊まれる事を考えて納得する。前金でお金を払っておいて、蕎麦行脚へ出発する。

茜屋
「上田周辺の蕎麦屋の蕎麦は量が多い」とのことであったが、確かにこれは量が多い。普通のもり(600円くらい?)で、都内の大盛りくらいの量がある。蕎麦の味は良い方。支部長の注文した胡桃蕎麦についてきた胡桃味噌を分けてもらって、つけ汁に溶いてみたが、香ばしくてなかなかに美味しかった。

おお西
店、というよりも家の畳の部屋に机が置いてある、という感じの店内で、部屋の端に置いてあるパソコンや本棚が生活臭から生活臭がぷんぷんと香ってくる。蕎麦であるが、一番粉、二番粉、三番粉のそれぞれで作った三種蕎麦の盛り合わせ(1400円)というのを注文する。すると、直径25cm深さ15cmほどの巨大な漆塗りの高つき椀に、それぞれで充分に一人前の量の三種類の蕎麦が盛られてきて、一瞬目を疑ってしまう。「これは3人前か?」などと自問しながら手をつけると、これが美味い。一番粉の蕎麦は色は白く細切りで味もすっきりとしていながら、ほんのりと蕎麦の香りを含んでいる。次の二番粉のは色は緑がかっていて味は一番粉よりも蕎麦の味が濃くなっているが、味も香りも濁っていない。最後の三番粉は、よくある田舎蕎麦のように色黒く乱雑に切られており、香りも臭いも強烈になっている。以上3種類の違う打たれ方をされた蕎麦が、それぞれ異なる美味しさを出していて、量は多くても全く飽きない。
「これは良いねぇ」と三人揃ってさらっと平らげる。が、いかんせん、ここまでの2食ですっかり腹が一杯になり、早くも戦意を喪失し始める。

佐助
何か変な蕎麦があるということで行く。店の様子が普通の蕎麦屋だったので大丈夫かなと心配したが、やはりその通りでがっかりする。ただ、前2軒とくらべての話なので、この店単体での評価では、太めで色の濃い田舎蕎麦で香りも底々あり、普通の蕎麦屋よりかはよっぽど美味しい蕎麦だった。

刀屋
池波正太郎も良く通っていたという老舗の名店である。有名なのは別名「チョモランマ」と呼ばれる大盛り(800円)で、これを注文すると店員が「本当に食べ切れますか」と念を押す事になっている。大食いの隊長は、「これは行かんと駄目でしょう」と果敢にもチャレンジ。店員の問い掛けにも堂々と「大丈夫です」答える。支部長も自分も、上田方面の蕎麦の量にかなり食傷気味だったので、小もり(500円)と、席に一つ鴨焼き(700円)を注文することにする。
出てきた大もりは、確かに「チョモランマ」という感じであった。15cmくらいの高さに無理矢理盛ってある。小もりも、普通の蕎麦屋の一人前の量は充分にあった。本当に食べ切れるのかと心配になったが、誰一人リタイヤすることなく平らげることに成功する。
肝心の味の方は、満腹感でかなり割り引かれるところがあるものの、硬い太麺で田舎蕎麦に近く、蕎麦の香りも適度に含んでいて美味しいものであり、普通に食う分には充分ではないかと思われる。しかし、胃液の酸味の漂う口に、無理矢理押し込んでいる分には辛いものがあった。やはり蕎麦なんてあんまり大量に食うものでは無い。
鴨焼きの方は、鴨と葱炒めというようなもので、鴨がぷりぷりしていて美味しい筈なのだが、やはり胃液の逆流しそうな状態では余分なもの以外の何物でもなかった。

さすがにこれ以上胃に入らないので、観光でもしようと真田の里へと向う。ここは真田氏発祥の地で、館跡や詰城跡や資料館がある。しかしこのところの10年に一度の大雪で、辺り一面40cmの積雪。詰城跡は途中から車がスタックして登らなくなり、あまつさえあまりの深雪に徒歩ですら本丸跡まで辿りつくのも難しくなり、途中で諦める事になり、かろうじて館跡の土塁の一角を確認するに止まった。雪国の城跡を冬に見に行こうというのは、やはり間違っていたようだ。
その代わりに餓鬼の様に雪まみれになって色々と遊んだ為に体力を消耗し、一向に消化されない胃の内容物と相俟って、ほうほうの体で別所温泉へと引き上げる。

満腹で何も口に出来ない状態だったので、とりあえず外湯へ行く事にする。日も落ちて、日中に溶け出した水が再び凍結し始めた路面に気をつけながら、石湯と大師湯の2ヶ所の外湯へ行く。どちらも小さな銭湯というようなところで、入場料は其々150円ほど。湯は硫黄臭を含むが透明な湯で、上がり湯をしなくてもあまり気にはならない。
7時過ぎに夕食。どうせボロ旅館だから碌な夕食が出ないだろうと高をくくっていたら、合計7皿のしっかりした料理が出されたので驚くと共に嫌になる。高級旅館のような凝った料理は一切無いが、しかし自分の母親ほどの歳のおばさんの作った料理を残すわけにも行かず、逆流臨界点を探りながら、一口一口と料理を片付けて行く。しかしさすがに3皿ほど残してギブアップ。ちょっと動くだけで吐きそうだったので、先に部屋に帰って休ませてもらう。そして、大食いで名をはせている隊長も、蕎麦屋4軒(チョモランマ含む)に大量の夕食はさすがにきつかったらしく、2皿を残していた。

暖房の効いた部屋に入ってきた直後、隊長がトイレで嘔吐。あのチョモランマが効いていたらしい。吐いた本人曰く「最後にあれだけ夕食を食べた筈なのに、出てきたのは蕎麦だけだった」。また、こちらは何とか吐かずに済んだものの、何故かが止らなくなり、5分おきくらいにトイレに入っては大音響と共に放屁を繰り返していた。もう30に近いのだし、あまり無茶はするものではない。
五月の連休の四国八十八箇所の話などをしているうちに腹も大分落ち着き、民宿の内風呂へ行く事にする。ボロ民宿なので大した事も無いだろうとこれまた高をくくっていたら、この民宿にしては立派な展望浴場がついており、またも驚かされる羽目になる。

テレビは相も変わらず潜水艦の事故とルーシーさんの遺体発見のものばかり。いいかげんに疲れてきたので11時過ぎには消灯する。
しかし、自分は夜中もずっと腹が張ってくるので、朝までに5,6回トイレに入っては放屁を繰り返していた。


○2月11日

7時過ぎには起き出して、もう一つの外湯である大湯へ行く。今朝も大分冷え込み、何℃くらいまで下がったのかわからないが、支部長が振り回していたタオルが棒のように固まってしまった。-10℃近かったのかもしれない。
露天風呂もあるとのことだったが、小さい上に中庭の殺風景な景色しか見えず、その上に掃除があまりされていないのか露天風呂の湯船には苔の破片が浮いていて気分のよいものではなかった。これだとよっぽどあの民宿の展望風呂の方がよい。
8時過ぎに朝飯。前日にあれほど食ったにもかかわらず、しっかりと消化されて腹も空いており、普通に食べる事が出来た。メニューはスクランブルエッグにハム、千切り大根の煮物に鞘豆の胡麻和え、じゃこの大根おろし和え、そして豆腐に納豆と味噌汁と、普通の旅館で出てくるそれとあまり変わらない内容で、一つ一つ皿は旅館のそれよりも美味しかった。

この民宿(もとい家)には、3匹の猫がいる。真っ黒いのが一匹と、黒白で口と脚の先だけが白いのが二匹。黒いのが本来の飼い猫で、他の二匹はどら猫なのだそうだが、どう見ても野良猫の方が戸を自分で開けてしまうほど利口で、毛のつやや色具合も顔立ちも、黒い飼い猫よりもよっぽど良い。どうして一緒に飼わないのか聞いてみたが、ここらは野良猫が多くて飼い始めたら切りがないとのこと。しかし餌はあるとしても、-10℃近い環境の中で良く生きていられるものである。

午前10時過ぎに出発。一路小諸駅前を目指す。
本日第1目標の蕎麦屋「草笛」は午前11時からなのだが、10分前ほどに着いてしまい、時間つぶしに裏にある器屋を冷やかすことに。すると無地の量産御猪口が50円であったので二つほど買っておく。安い買い物の品を包んでいる店の親父に、中々良い形の猪口が見つからないと愚痴をこぼすと、親父は「小皿で飲むのもまたいけるよ」と、店の奥から小皿と一升瓶を出して来て、その皿に酒を並々と注いで飲ませてくれた。この酒もなかなかなもので、100円ほどの買い物なのに悪いことをしてしまったと後悔する。

草笛
小諸城のど真前に位置する。場所柄、観光客相手の蕎麦屋という雰囲気を漂わせていたが、しかし普通に美味しかったのは驚きである。かき揚げ(250円)は揚げたてを出してくれ、これがパリッとしていてたまらない。また胡桃おはぎ(400円?)はうるち米の団子に粉におろした胡桃と砂糖が塗してあり、胡桃の香ばしさがこれまたたまらなかった。おかげで肝心の蕎麦の味をほとんど覚えていなかったりするが、こちらも程々に美味しかったのだけは確かである。

続いて駅北口から徒歩5分ほどのそば七へ。

そば七
普段はプラスティック工場を経営している社長が、道楽で土日にだけ開いている店。席に座ると揚げ蕎麦とお茶が出、蕎麦の前に突出しとして大根の茎の酒粕和えが出てきた。蕎麦にも、蒸した新じゃがに梅肉の入った胡桃味噌がかかったものと大根の茎の漬物が小鉢に付いてきた。肝心の蕎麦は細切りの薄色で、香りもしっかりとして美味しい。これに焼き味噌を付けて、隊長と二人で浅間嶽の冷酒を傾けた。また面白いことに、使われている器には全て「山上」の店の印が入れられており、後で聞くとすべて小諸市天地に住む陶芸家に頼んで作ってもらっているとのことである。まったく、趣味とは言え粋な事をするものである。
勘定を支払って店を出る時に、この印入りの器を売っていたので見ていると、一輪刺しか、それとも一合も入らない小さな徳利かわからない丸い小さな壷が置かれており、すっかり気に入ってしまう。値札が付いていなかったので店のおばさんに聞いて見ると、実際に店で使っているもので非売品とのこと。そこでその陶芸家の名刺を貰い、その窯へ直接に行ってみる事にする。

道すがら、「そば七」傍の大塚酒店で濁り酒を買ったり、マンズワインの小諸ワイナリーで雪上パフォーマンスとワインの試飲を楽しんだ後、住所を頼りに天地地区をさ迷う。しかし、目印の発電用風車は一向に見つからず、仕方なく電話をかけてみたがこちらも留守電。連休でどこかに行っているのだろうと、泣く泣く諦める事にする。

腹も落ち着いてきたので、第三目標である○○へ向うも、カーナビに騙されて道に迷った挙句に、やっとのことで辿りついたら、店主が肩を壊して臨時休業。しようが無いので第四目標の丁子屋へと向う。

丁子屋
トーマスの「T」マークに似た店印の暖簾がかかっていて、心の中で地球環境保護を叫んでしまう。それはともかく、前二軒ですっかり満腹になっていたので、自分一人ひよって蕎麦を頼まず、鴨焼き(700円)なるものと濁り酒を注文する。てっきり調理済のものが出てくるのだろうと思っていたら、固形燃料コンロと鉄板と生の鴨肉が出てくる。鴨自体はそれなりに旨かったが、しかし高々5切れほどの鴨肉を食うのに、ここまでしなくても良いのではないだろうか。
蕎麦の方も、二人に少しずつ分けてもらい味見をしたが、こちらも至って普通に美味しい。また、この店でも屋号入りの器を使っているので聞いてみたところ、先ほどの「そば七」と同じ陶芸家に頼んでいるらしい。ここまで地元で人気があるなら、もしかするとその陶芸家が将来有名になるかも知れず、そうなるとさっきの小さな徳利が諦め切れなくなってしまう。
そこで先ほどの「そば七」へ車を回してもらい、その陶芸家の作品が売られている店を聞く事にする。決して「しつこく付きまとって、根負けさせてその徳利を安く買い叩こう」としていたわけではない。丁度、店の親父がいたので聞いたところ、「ああ、さっきの客ね」と明らかに根負けしたような表情をして、「しょうがないから1000円で持って行きな」と売ってもらえる事になる。一度目の交渉の時に1000円などという人を馬鹿にした値段で交渉していたのでそんな値段になったのだが、こうなるとあまりにも悪いので、「いや、さすがにあれなのでやはり2000円で…」と言うだけ言って見たものの、「使ったものだし」ということで、結局1000円で売ってもらえる事になった。この後連れの二人から散々に悪徳商人呼ばりされて、挙句にはこんな写真まで撮られてしまう。

小諸での全行程を終わらせ、今夜の宿であるヴィラ軽井沢へと向う。なんと、隊長の祖母が穴○工務店の株主で、優待で貰った無料宿泊券を使わせてもらえる事になっていたのである。つまりは無料、只。隊長、どこまでもついて行かさせてもらいます。
さすがに浅間山の麓まで上がると、車道にも溶け残った雪がせり出してくる。さらに幹線から脇道に入ると、道すら一面真っ白。ドライバーの支部長が面白がってブレーキを連打すると、車はつつつーっと滑って行く。恐ろしいところに来たものだと恐怖する。
とっとと部屋に荷物を入れて、最上階の展望浴場で疲れを取り、部屋でごろごろしながら腹が空くのを待って、8時過ぎに夕食に降りる。これまで散々蕎麦ばかりだったので、洋食の店へ行こうとするが満席。仕方なく空いている和食の店に入ったが、居酒屋という感じのメニューで、結局酒を飲む事になる。
部屋に帰ってからも一人だけ持ってきたブランデーをちびちびとやり、酔いが回って自沈。11時過ぎには記憶を無くしてしまう。


○2月12日

1400円という値段の割に大したメニューの無いという、とんでもない朝食バイキングを食べさせられた後、最終目的地である軽井沢駅前へと向う。途中工事渋滞などで時間を食われたものの、混雑の予想された軽井沢駅周辺は閑散としていた。

源庵
12時前というのに客が一人もおらず、本当に大丈夫か心配になる。蕎麦はせいろと田舎蕎麦の二品しか無く(各々800円)、せいろを頼んでみたところ、しっかりと美味しい。量が都心並というのが欠点であるが、蕎麦行脚3日目で多少食傷気味の3人の腹には丁度良い量であった。

駅前の店
名前は失念。隊長の仕入れたWebの情報に、「蕎麦はぱらぱらで漬物がバリバリで掻揚がパリパリだった」という素人丸出しのこの店の批評が入っていて多少の心配はあったが、店は客で一杯。その為に、まるで刑務所の会見所みたいなけったいな席に座らされる。と、後から男二人女一人の、見かけがいかにもあっぱらぱーな若人が入ってきて、向かい合わせに座る事になる。もちろんこちらの役どころは会見に来た弁護士だ。
この馬鹿3人を正面から眺めるだけでも気分が悪いのに、いきなり人の前で煙草はふかし始め、さらに不愉快にさせる。早く蕎麦が出ないかといらいらしていると、メニューを見ていた女が横の男に「これって山菜って読むんでしょ?」とアホな事を聞き始めるので、本当に馬鹿だなと思っていたら、それに続けて「ところでさ、山菜って何?」と聞き始めたので、瞬間冷凍されてしまう。蕎麦を食っている最中だったら噴いていたところだ。その後も「あー、山菜って、あの辛いやつ?」などととんでもない勘違いを続けているところを見ると、「やはり人間見かけなんだなぁ」と納得せざるを得なかった。
出てきた蕎麦は、普通の田舎蕎麦(750円)。確かに素人批評にあったようにぱらぱらしているが、良く噛まないと蕎麦の味がしない上に量だけは多い。益々不機嫌になったので、一気に掻き込んでさっさと店を出る。

腹は膨れたが、不愉快なままで終わらせるのも何だったので、近所のもう一軒も回る事にする。

風林茶屋
もり(700円?)、馬刺し(700円)、蕎麦蒸パン(300円)、冷酒などを注文。自分はさすがにもう一枚は食えないので蕎麦蒸パンにしたのだが、肉マンくらいの蒸パンが2個も出てきて撃沈させられてしまう。しかもこれが混ぜてある蕎麦の量が少ないのか、どう味わっても玄米パンとの区別がつかない。胡麻味噌をつけて食べると底々食えるのだが、しかしわざわざ頭に蕎麦を付けなくても良いのではないだろうか。
馬刺しはそれなりのもの。もちろん量も少ない。蕎麦はきしめんのような平麺で、蕎麦の味は底々。とにかく二軒目の不愉快な出来事が尾を引いていたので、あまり良い印象が残っていない。
ともかくこれで撃ち止め。一人関東方面に帰還する隊長を軽井沢駅前まで送り、支部長と二人で名古屋方面へと向う。もちろん高速道路は使わず、全部下道(笑)。
途中、一面氷結した諏訪湖でわかさぎ釣りを楽しむ地元民を冷やかしたり、雪の高遠城を見物したり、峠道で頭文字Dモードに入ったりしながら、8時間半ほどで名古屋に到着。この間ずっと同じCDを繰り返しかけたままだったので、すっかりとメロディーと歌詞が頭の中に刻み込まれてしまう。「偶然が〜幾つも〜重なり合って〜」
そんな恥ずかしい歌をリフレインさせながら一人新幹線で大阪に向い、ちょうど日が変わるころに部屋へと着いた。


総括
信州の冬はスキーというイメージの為か、どんな有名な蕎麦屋でも行列を見ることは無く、またそれに加え、本格的に新蕎麦が出まわるのは冬からということで蕎麦の香りも高く、その分お徳間感があるツアーだった。ただ、例年にない寒波と積雪で、移動が難儀したのは辛かった。
これで大体一通り回ったので、今度からは本当に美味しい蕎麦屋に絞って、多くても一日2軒ほどで回るように御願いします>>隊長。もう蕎麦の大食いで放屁が止らなくなるのは嫌だ。





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