今年の戦史研城郭班の秋季遠征は北信濃。


9月26日23時56分発の急行能登で一路高田へ。
30日の碓井峠の路線廃止へのマニアの進出を警戒し、
入車1時間前に上野駅に集合。(実際は15分遅刻)
鉄道マニアの溢れる中、何とか人数分の座席を確保することに成功したが、
人が通路に溢れるは、メリケン人ねーちゃんが騒ぐわで、
(このねーちゃんらは日本語がろくにできなかったくせに牛丼を箸で
器用にぱくつくは、午前3時半の上田駅で下車するは、不可解な事ばかりやっていた)
結局一睡もできないうちに4時22分に高田駅着。
カロリーメイトの簡単な朝飯を食って、
空が明るくなるのを待って高田城攻略に乗り出す。

高田城


高田駅から徒歩10分。外堀の半分と内堀が残る。
越後56万石の城だけあって、結構大きい。
が、石垣と土塁しか残っていない。
櫓が1つだけ復元してあった。
また本丸には付属中学校が入っていた。
・・・そんだけ

あまり見るところもないので、高田城をさっさと見て、
7時前の直江津行き始発バスに乗って春日山城へ。

春日山城


バスだと春日山城下、JRなら春日山下車。徒歩10分ほど。
小高い山丸ごと1つが城塞化されている。
さすが謙ちゃんの城だけあって、壮大な規模を誇っている。
本丸からは直江津の港と日本海が良く見えた。
無数の郭、巨大な井戸、何をとってもすばらしい。
ただやたらといるやぶ蚊には閉口した。
また、三の丸に行く途中地図を読み違えて、畑の中をさまよったりする。
結構詳しい地図と、方位磁針を持っていったにもかかわらず、この失態。
責任転嫁するわけじゃないけど、地主に一言。
「三の丸を畑にするんじゃねぇ」
帰り道、狸の死体を見つける。
犬に食い荒らされた上腐乱して、なんともかわいそうだった。

バスで高田へ。駅でコインロッカーの荷物を拾って長野へ。
ホテルに荷物を預けて、バスセンターで松代行きのバスを探す。
腹も減ったので、バスセンターの地下の蕎麦屋で蕎麦を頼む。
盛り蕎麦の中盛り(300円+)を頼んだら、たらいに山盛りの蕎麦が来た。
もちろん途中でギブアップ。おそるべし蕎麦王国長野。


バスで八幡原まで行く。


すっかり観光地化されたわりには見るべきものもろくになく、
側にある資料館もプラネタリウムとかやってる。
ここまで来てプラネタリウムを見てもしょうがないので、
武田信繁を弔っている、典厩寺というところに行く。
川中島の戦いの折、武田信繁がここから出撃したそうで、
後にここに菩提を弔うためにつくられたそうである。
(典厩は武田信繁の名前)
やけにやる気のない坊さんが出てきて色々と説明してくれるが、
分かりきったことばかり説明してくれるので、言葉も少なについてまわる。
またこの寺に伝わる品々を収めた宝物殿というのがあるので行ってみる。
もう怪しさ爆発。
秘蔵の品々を幾つかあげてみる。

信玄自画像 信玄 筆 (武将の自画像って…)
指揮鉄扇 上杉謙信 使用 (どう見てもただの鉄扇)
典厩使用の刀 (ご丁寧に折れているけど、どう見ても新刀)
典厩信繁着用の鎧 (やけに新しい)
砲弾 佐久間象山発明 (発明…って)
化石 千曲川より出土 (・・・)

幾つかは、それなりに本当っぽいものもあったけど、
あとはもう、骨董品に「典厩使用」という説明をつけただけという感じだった。
どさくさにまぎれて化石とかも飾ってあるし。


タクシーを呼んで松代大本営跡へ。
こんなマイナーな名所に、観光客がいっぱい。
入り口でヘルメットを借りて中へ。
壕の中は、ひんやりとして、そしてやたらと長く広い。
往復1キロもあった。
ここの他にもあと2個所、こういった壕がつくられたらしい。
殉職した(させられた)朝鮮人労働者に瞑目。

気を取り直して、歩いて海津城へ。残念ながら工事中。
本丸は田んぼの中に手付かずで残っていた。

海津城(松代城)


川中島で有名な海津城。後には上田より転封された真田氏がここに入って
松代城と呼ばれるようになる。
側には幕末の松代藩の藩校や、資料館などがある。
遺構は本丸のみ。あとは田んぼと化している。


バスに乗り長野駅へ行き、ホテルに帰る。
夕食は居酒屋で飲み。
蜂の子、イナゴの佃煮、馬刺しなど、郷土料理に挑戦。
食べられないことはなかったが、どれもやたらに高かった。

ホテルに帰る。疲れているのにバックトゥーザフューチャー2を見てから寝る。


7時すぎ、坂城駅着。事前情報によると、葛尾城は全部登ると1時間半、
タクシーでつけれるところまでつけると10分弱。
もちろんタクシー。
早朝でタクシーがいなかったらどうしようと思っていたが、
電話で召喚成功。もうこれで楽勝。
と・こ・ろ・が。
事前情報実はでま。
メーターが変らないうちにタクシーは登山口に。
結局1時間近く山を登る羽目に。

葛尾城


登山口から約1時間で本丸。本丸からの眺めはなかなかのものだが、
比高400mは伊達じゃない。傾斜も急。軍手があったほうがいい。
縄張りは小笠原氏の居城林城と良く似ている。
とにかく、きつかった。


↑頂上からの眺め

坂城から二駅の上田駅で下車。
タクシーを拾って本来のメインディッシュ、砥石城へ。
迎え料込で2500円弱。
さっきの葛尾に比べて何と楽なことか。
登山口から15分で分岐点に。ここから右に行くと砥石城、
左に行くと米山城。まずは砥石城へ。

砥石城


分岐点から15分で砥石城の南の端の郭に着く。
看板にはここを戸石城、本丸周辺を本城、北の外れを枡形城と呼んでいるらしいが、
とりあえずこの3つの部分を併せて砥石城としたほうがいいだろう。
眺めはなかなか良く、また縄張りも結構広い。
上田で降りることがあったら、是非とも来たいところである。

分岐まで戻って今度は米山城。

米山城


分岐から10分弱で米山城。ほとんど出城ぐらいの大きさ。
でもこれも1城。
兵糧の集積地で、落城の際米が焼けて今でも黒く炭化した米が
出てくるらしい。タクシーの運ちゃんの話でも、小学校の遠足で
ここに来た際に見たと言っていた。
(たぶん、誰かが撒きに来るのだろう)

帰りのタクシーの運ちゃんの紹介してくれた豚カツ屋で昼食。
結構美味しかった。

上田城


駅から徒歩10分ほどで、上田城。途中城門を校門に利用している
高校があるので、見ていくとおもしろい。↓


規模自体は、とても10万石の城とは思えない大きさ。
櫓が3つあって、2つが復元、1つは生き残り。
地方でよくあるように、元々天守閣が存在しないにもかかわらず
強引に作ってしまうような下品なところがなくて良い。

帰りの列車の時間も来たので、ここで切り上げる。
碓氷峠の廃止の関係で、帰りの列車にもやたらと人がいる。
が、おかげで高崎まで特急券なしで行くことができてラッキー。

帰ったらもうボロボロ。風邪はひくし筋肉痛も痛い。
しかし、いい城ばかりでなかなかにおもしろい遠征だった。