四国ツアー

平成8年12月24日〜29日
年の瀬に、コミケにも行かずに四国に行ってきました。

○12月24日
高松城と丸亀城を落すため、一人先発隊として四国へ向かう。
午前6時31分発ひかり101号にのって岡山で下車、高松行のマリンライナー
に乗り換えて高松へ。
高松城
高松城は、高松駅をおりてすぐ目の前。というより、
駅の方が城の敷地を埋め立てて建っているという感じ
である。全く文化財を何と心得ているのだろうか。
とりあえず飯も食わずに城を見る。現在残っているのは
本丸と二の丸周辺だけであり、建物は一部の櫓以外は
残っていない。ただ、石垣と海水を引き入れた水堀は
残っており、かつての名残をとどめている。しかし、
何はともあれ狭い。20分ほどですべてを見尽くして
しまう。時間も余っていたので、すぐそばのフェリー乗り場までいって
源平合戦で有名な屋島を遠く眺める。
また、堀の脇の駐車場から櫓を撮っていると、駐車場に止めてあった自動車の
中から、若い男女がこちらを伺っているのに気がつく。
昼の日中から、車の中で ※何か※ やっていたのだろうか。

とりあえず、讃岐に来たのだからとうどんを食いに行く。
駅のすぐ真前にあったうどんやに入る。入ってびっくり、
「かけうどん 200円」東京の駅そばよりも安い。とりあえず、
「ぶっかけ」という、湯で上がったうどんにたまり醤油と薬味をかけてたべる
うどんをたのむ。300円なり。結構おいしい。
さすが駅そばのうどんでもおいしい讃岐だけある。
また、駅前に出ていた店のお土産の中に「醤油豆」というものを見つける。
うまそうなので四国を出る時に買って帰ろうと硬く心に誓う。
(結局買わなかった)
丸亀城
2時前の鈍行で一路丸亀へ。駅前から南へ
徒歩20分弱。小高い山に石垣がびっしりと生えて
いる。残念にも天守閣は改装中で覆いがかけてあり
みれず。また、ここでも城の敷地内でいちゃつく
高校生カップルを発見。文化財を何と心得て
いるのだろう。1時間ほどで見つくしたので、
古本屋を探して駅前の商店街に突入。
1軒発見。値段も安く、一般漫画の品揃えも良かったが、何も欲しいものが
なかったので撤退。また商店街で、漫画の専門店を発見。まるで広島の
中央書店アニメージュスタジオのような店である。
ここで新井理恵を1冊と、えろっちいA5ものを1冊購入。
あまり荷物を増やすと大変なので、そのまま今夜の宿泊先である宇多津へむかう。
四国の玄関口だと思って、それなりの期待はしていたのだが、
駅前に何もない。道だけが立派である。駅のすぐそばのホテルにチェックイン。
豪華なホテルで一泊7千円をとられる。
部屋にはいると、6時からのテレ東ものをやっていたけれど、ビデオにとって
いるので帰ってから見ることにして夕飯を食べに外へ行く。

暦の上ではクリスマスイブ。東京ではそこら中をカップルがケーキ片手に
のし歩いているところだが、駅前にこうまで何もないと、何とも嬉しい。
が、店もない。少し歩いたところにある回転寿司「マリンポリス」に入る。
「まさかクリスマスに回転寿司を食べに来るカップルはいまい」という理由で
(なにせ、こちとら野郎一人だから)そこにしたのだが、家族連れや
女の子3人というのはまだしも、一組だけ来ていたのには驚く。
ただ、お持ち帰りだったので、これは部屋に持って帰ってから、あれやこれやと
ひと段落ついてから食べるために買っているのか。
とりあえず、150円〜200円の皿を中心に6皿ほど攻め、最後にウニと
大トロで締めくくる。2000円弱。




○12月25日
窪谷さんと落ち合うために多度津へ。ここの駅前で朝飯をとるため、
何も食わずに向かうが、駅前にパン屋が1軒あるだけで後は何もない。
仕方なく菓子パンと牛乳500円ほどで腹を膨らまして窪谷さんを待つ。

落ち合ってロッカーの中に荷物を入れて、とりあえずタクシーを拾って
天霧城へ向かう。案の定、タクシーの運ちゃんは知らず。とりあえず
登り口の存在しそうな山の北側に向かってもらう。
なんでも、ここらへん出身で、20年以上運転手をしているが、
天霧城なんかへ行く客は初めてだそうだ。

天霧城
来るまで入れるところまで
入ってもらい、そこからは徒歩。
ほとんど沢登り。途中何度か
「本当にここは道なのか?」
という疑問を抱く。しかし幸いに
この山の嶺続きの山にお遍路さんの
お寺が入っているためか、山道に
お遍路さんの印が所々に結び付けてあり、
かろうじて正しい道であることがわかる。
ここ何日か晴れが続いているから良いものの、雨なんかが降っていたら
※絶対に※ 登りたくなんかない。

15分ほど沢道を悪戦苦闘すると尾根道に出る。突然に道が良くなる。
どうやら山に送電線の鉄塔が建っているせいだとわかる。
おそるべし、四国電力。

立派になった尾根道をつたって10分ほどで本丸跡に出る。
ここを中心に半径500メートル内に郭跡が散らばっているのだが、
時間がないので本丸周辺のものだけを見て回る。

下山道は、さすがにあの沢道を下りたくなかったので、お遍路さんの寺である
弥谷寺へ向けて尾根道を進む。すると途中に「天霧城下山口 こちら」という
看板があったのでそれに従う。15分ほどで麓につく。
城の紹介看板などがあるので、どうやらここが本来の登山口らしい。
しかし、どうせタクシーを使わないときつい距離なのだから、
弥谷寺までタクシーで登ってしまって、尾根づたいに行った方が
はるかに楽である。
国道まで歩き、コンビニの前の公衆電話でタクシーを呼び、多度津駅へ。
12時24分発の「しまんと5号」に乗って本山城へ向かう。

大杉駅で下車、バスで本山に向かう。それらしいバス停で下車して、
山の写真を頼りに、町の中にはいる。どうやらこの嶺あたりかと
見当をつけて寄せていると、町中に石垣を発見。
どうやら陣屋跡らしいのでとりあえず攻める。本山城に関する
情報でもないかと見てみたが、それらしいものは何もなかった。
しょうがなしに、見当をつけた嶺の麓まで寄せて現地人に聞いてみると
やはりその嶺で、登り口もあっさりとわかる。が、観光案内板にくらい
書いておけ。
本山城
登り口から5分ほどで三の丸跡へ。そこからすぐに
二の丸、本丸とがある。こじんまりとした城で、
とてもあの長宗我部氏の良きライバルであった
本山氏の(元)本拠地とは思えないほどの
大きさである。麓の屋敷跡を(あったとして)
合わせてみても、諏訪氏の上原城よりもひとまわり小さい。
単に長宗我部氏、本山氏がともに、ただの地方豪族だったといわれれば、
そうなんだろうけど。
また、こんな小規模な城にはにつかわしくない立派な石垣があった。
ここも畑化していたのか、陣屋を作る時に一緒に補強したのかはわからない。
日がくれる前に下山。大杉駅まで戻り、高知へ向かう。

夕方6時すぎに高知駅前から市電で二駅にある????橋という繁華街の、
路地裏のビジネスホテルにチェックインする。ダブルで8千円。
宇多津のホテルとは偉い違いである。
ホテルのすぐそばに、ソープランドが2、3軒あったのは、
やっぱりそういう場所なのだろうか。
いっしょにチェックインしていた一人旅のあんちゃんといっしょに
土佐名物を食べに街へ。
軽く食べるつもりが、酒を飲みーのいろいろと珍味を頼んだりしていると
結局一人頭5千円近くとられる。
しかしウツボのたたきやらアナゴの幼魚やら、いろいろと面白いものがあった。
一人旅のあんちゃんは、現在大学の3年生で東京から来たらしく(実家は京都)
暇なうちにと青春18切符で年始年末と四国・九州を渡り歩こうとしているらしい。

少しふらつきつつ、ホテルに帰り、簡単に風呂にはいって寝る。
酒が入っているせいか、窪谷さんのイビキが一段とすざまじくなっていた。


○12月26日
岡豊城
午前6時52分発の鈍行で後免へ。
駅前でタクシーを拾って長宗我部氏の本城
岡豊城(おこう)へ。本山城とは対象的に、
こちらの方は比較的に良く整備され、
すぐ脇には立派な歴史民族資料館が建っている。
が、しかし規模的にはそれほどのものではない。
堀切りがやたらと残っていた。


歩いて山を降りて駅に向かい、途中にある吉田城を攻める。
城というよりも舘跡で、田んぼの中にこんもりとした一辺50メートルほどの
一重の土塁だけが残っている。
民家の裏にあるためか、土塁の上にはやたらと墓が建てられ、土塁の
内側は田んぼと畑になっていた。
しかし、これも一城。
30分ほどで駅につく。本来はここから自分一人でJRで高知市内に戻って
高知城を攻める予定だったが、窪谷さんと一緒に土佐電鉄で市内に
戻ることにする。
JRの駅から土佐電鉄の駅に向かう途中、変わったパン屋さんを発見、
直径が20センチほどもある大きなドーナツを買う。50円。
しかし揚げた油に癖があって、後味は悪かった。

土佐電鉄の車両は、狭軌の線路に幅の狭い車体が乗っかっている、
広島ものにとってはちょっと珍しいちんちん電車である。
これが、国道のすぐ脇を併走している。そして市内にはいると、ごく普通に
道路の真中に移る。
高知城
城の真南に近い駅で降り、城に突入。
が、大掃除のために天守閣には
入れず。仕方なく一通りぐるっと回って下山。
追手門から通りを東へゆき、追手門高校の
南にあるラーメン屋「ヘソマガリ」で
ミルクラーメンを食べる。スープがコーンスープで以外においしい。
700円。いっしょに蒸し寿司も買う。

窪谷さんとの待ち合わせまで、2時間弱ほどの時間が空いたので、
高知市内をぶらつく。ここで、「竜馬がゆく」を来る途中の新幹線の中で
良み終えたばかりだったせいか、「土佐に来たんだから、桂浜にいかんで
どうするなもし」と思い立ち、バスを探しに大通りに出る。
と、ここでバス停を発見したのは良かったが、ついでに古本屋も発見する。
普通なら、先にバスの時刻を確かめて、それから古本屋へ行くものだが、
何を血迷ったか古本屋へ突入。

しかし、単行本1冊100円というのは、いや安い。が、ここでの
20分が、後で大きな仇になった。

本屋を出て、バスの時刻を確かめると、次のバスまで20分近くある。
しかし、これに乗ると桂浜につくと、すぐに折り返しのバスに乗らなければ
ならなくなる。(すぐにバスがあればの場合だが)
本屋に行かなければ、もう一つ前のバスに乗れていたので、少し悔やむ。
が、しょうがない。とりあえず高知港まで寄せてみる。
ここで、潮の香りをかいでいると「やっぱり桂浜に行かんといけん」
と思い立ち、突発的に、ちょうど折良く来たバスに乗り込む。
港から桂浜まで8キロ。1時間もあれば少しくらい見物できるだろうと思ったのが、
運のつき。このバス、あっちこっちとクネクネと回り道をした挙げ句、
集合時間の40分前にやっと桂浜につく。
しかも帰りのバスは、30分後。絶対に間に合わない。

帰りはタクシーでいいやと覚悟を決め、10分近くで桂浜を見て回る。
竜馬の銅像も見て、浜を走って、塩水飲んで。高濃度圧縮された10分であった。
走ってタクシー乗り場に行き、高知駅まで行ってもらう。10分前に着く。
20分ほどで3500円。こちらも高濃度圧縮された20分であった。

桂浜
高知駅から鈍行で朝倉駅へ。ここで窪谷さんと落ち合い、
本山氏の第二の本拠地朝倉城へと向かう。
朝倉城
駅から徒歩10分ほどで山の麓につく。
麓から10分ほどで本丸。
規模的には岡豊城クラスで、城跡は
残っているものの、手入れが悪い。
ただ、本丸付近だけはかやが苅ってあった。
また、やけに立派な石垣がそこら中に、しかもきちんと残っている。

「また畑跡か?」という疑念が
フツフツと湧き起こる。
立派な井戸跡も発見。
その回りの石垣の残留度から、
さらに畑跡の疑いが深まる。

帰りがけ、子猫の干からびた死体を発見。冥福を祈る。

一度高知駅に戻り、そこから南風9号に乗って窪川へ、そこで鈍行に乗り換えて
宇和島に向かう。宇和島着午後9時15分。つかれはてて眠る。


○12月27日
宇和島城
一人で起き出して宇和島城へ。駅前から15分。
築城時は海に接していたらしいが
現在ではすっかり住宅地に埋もれている。
当然早朝なため、櫓の中には入れず。
20分ほどで一通り見て歩く。
ホテルへの帰りがけに、食品店の店先で、
高知で食べたウツボのたたきのような
魚の切り身と、オカラを小魚の開きで
くるんだ得体の知れない寿司を発見する。
が、荷物になるので買わず。
(切り身の方は後に鮫の湯どうしだと判明するが、鮫は臭みがあるというので
結局買わなかった。また、オカラのほうは、買ったものの、酢のはいった
オカラが何ともいえず、いやいやながら食べることになった)

宇和島駅のコインロッカーに荷物を預けて行こうとすると、
ロッカーが壊れていて、8時45分に遅れそうになる。
結局、窪谷さんが投入した400円を粘って、1本列車を遅らすことにする。
一つ遅れの列車で宇和島を出て、伊予吉田駅下車。石城へ向かう。
しかし、見当が外れたため20分ほど歩く。
石城
麓にあった陣屋跡は寺みたいな図書館になり、
かろうじて脇に石碑が立っているに過ぎず、
また石城もすっかりと蜜柑山と化していた。
肝心の登山口だが、すぐ麓の住人でさえ、
「あそこには登れない」といわれたが、
蜜柑畑の脇を縫って、本丸と思しき場所のすぐ麓まで行くが、
そこから上が雑木林となっているためにとても登れるようには見えない。
が、強行突破。山菜とりに来てるようだった。
どうにか本丸跡と思しき場所にくるも、図面とかなり合わない。
文句をいいつつも、歩くことの可能な場所を一通り潰し、
下山。登ってきた登り道は道ではないので、元登り道だったとおもわれる
道跡をつたって反対側へと降りる。
もう、完全に蜜柑畑である。

麓のバス停から法華津を通るバスに乗って法華津へ向かう。
法華津湾
この法華津湾ぞいには、水軍の小さな
城がいくつか散らばっている。
が、どれも完全に蜜柑山と化していた。
まず一番西にある吉乃岡城を攻める。



吉乃岡城
みかん、みかん、みかん。
みかんだけ。
本丸付近に野良(?)犬2匹が
うろついていた。
襲われるかと思ったが、
しばらく吠えた後どこかへいってしまう。
本丸跡は眺めが良く、ここから法華津湾全体が見渡せた。
つぎに一応本城である法華津城へ向かう。
吉乃岡城から徒歩10分弱。
ここも蜜柑&墓。道なき道を進み、かろうじて本丸跡についたが、
ここの眺めは悪かった。
腹も減ってきたので、麓の町の中心部に行くが、ある店は農協のスーパーだけで
当然に弁当なんていう洒落たものはない。
仕方なく菓子、ジュース等で誤魔化し、タクシーを呼んで卯の町へ。

結構とられるかと思ったが、2000円ほどで西園寺氏の1つ目の本拠地
松葉城の麓へ。
松葉城(尾根筋の、真中あたり)
麓からは徒歩で20分ほどで本丸へ。
道はかなりいい。この城の本丸跡には、
葦張りの変な庵と国旗掲揚台がある。
タクシーの運ちゃんによると、
朝早くにここまで登ってきて国旗を揚げ、
夕方になるとまたここまで登って国旗を下ろしていくもの好きな
じじいがいるそうである。
いやいや、なんとも忠義の硬い国民ではないか。
日あたりも見晴らしもかなり良い城である。

さて、麓へ降りて、そのまま卯の町駅の裏にある黒瀬城を目指す。
途中、町の規模には似つかわしくない立派な公会堂や役所の建物が
あちこちに建っており、現在の行政の「地方中心」をみせつけられた。

黒瀬城(正面の山の、左側の尾根筋)
駅の裏の川向こうにある運動公園のグランドの脇に登山道がある。
グランドの脇で少し灰色のかかった白猫を見つける。
人になれているせいか、触っても逃げない。「天の使わしたる
白猫さまじゃ。天佑のあらわれだ」とか阿呆なことをいいつつ、
麓から登って10分ほど。展望台のある三の丸につく。
が、手入れが良いのはここまでで、これから先の二の丸、本丸は道以外
薮が生い茂っている。また、図面には載っている石垣マークも、
どこ一つ確認することができなかった。

日が落ちる前に山を降り、荷物をとりに宇和島へ。
列車の窓から、さっきの白い猫が小さく見えた。

宇和島から特急で八幡浜へ。駅前のホテルにチェックインしたあと、
そばのスーパーで夕飯を買う。
ここ2日ほど暖かい飯を食べていないので少々不服だったけど、
おもっきし豪盛なものを買って気を紛らわせる。
ハマチの刺身が多かった。ここも養殖ハマチの圏内なのか。


○12月28日
夜も明け切らぬうちから列車に乗って大洲へ。
駅から徒歩20分ほどで川沿いに大洲城が見えてくる。
筈だったが、霧のために視界がほとんどない。川沿いについても、
何やらこんもりとあるなぐらいにしか見えてこない。

とにかく進む。城の中心部は小高い丘になっていて、そこからの
眺めがいい筈だが、かろうじて川の水面がみえるぐらいである。
一通り辺りを回って町中にある櫓を見に行く。
ちょうど堀跡に高校のグランドができていて、
その堀の脇にかなり立派な櫓が残っていた。
その他、二の丸部分にまで民家が迫っていたり、





また、町のあちこちには城の石垣をうまく使った
住宅が何軒もありと、大洲は城跡と町とが
融合し切ったところである。


駅に帰る途中、古道具屋に古い酒瓶のいいものを見つけるが、
2万円だったのであきらめる。

大洲から松山まで宇和海6号で行き、荷物をコインロッカーに入れた後
今治までまた特急に乗る。今治駅から市街へ20分ほど。
今治城
堀に囲まれた二の丸と本丸部分が
きれいに残っている。(作ってある?)
しかし、一見天守閣に見えるのは作り物で、
本来この城には天守閣のようなものはなく、
櫓ばかりである。
ここまで来てやっと城の建物の中にはいることができた。
(高松 何もなし  丸亀 改装中  高知 大掃除  宇和島 朝早過ぎ)
中には鎧に刀、焼物や書状や絵など、一通りのものがある。
ここも一通りぐるっと回って、昼飯を食うために駅へ向かう。
が、次の電車まであまり時間がなかったので、悲しいかな、
四国まで来て牛丼を食う羽目になる。

今治駅から2駅、伊予桜井で下車。霊仙城を目指す。が、地元民に聞いても
聞いたこともないといわれ、悪い予感がする。
地図で確認しようとするが、国道沿いに出ても一軒のコンビニも見つからず。
見当をつけて探すが、結局見つからずこのままでは国分城の方もやばくなるので
断念する。

家に帰って地図を見ると、駅から見えた山のもう一つ向うの山だった。
国分城
国道まで出てバスに乗り、なにかのレジャーランドの前で下車。
レジャーランドとは国道をはさんで反対側に登り口がある。
が、一つ前のバス停で降りてしまったため、この登り口がわからず、
山の形と地図を見比べて、それらしきものを探して地元民に聞いてみると、
もうそこは登れないとのこと。かわりに前出の登り道を教えてもらう。
この道はしっかりと整備してあるが、階段ばかりで結構辛い。
本丸跡につくと、藤棚やベンチの跡があり、ひと時はそれなりに
公園化されていたようである。

この本丸跡から、霊仙城らしき山が見える。何とも悔しい。

山を降りて今治行のバスに乗り、特急で松山へ。
最後の夜なので道後温泉に入っておいしいもんでも食べようと
ホテルにチェックインしたあと市電で道後へ。
いわゆる道後温泉にはいるが、入浴料金が東京の銭湯よりも安いのは
いったいどういうことなのだろうか。
湯ぶねで泳ぎたかったが、人が多かったのであきらめる。

もう一度市電にのって、町の中心部へ。何軒か魚のおいしそうな店を探して
入る。
広島ではかわはぎは煮つけで良く食べていたが、ここではじめて刺身を食べる。
白身魚である。一部ではブグの刺身よりもおいしいといわれているが、
どこがどうカワハギなのかわからなかった。
そのほかにもカワハギの煮つけ、烏賊の生き作りにてんぷら、…あと何皿か
あったのに記憶がない。
いきなり日本酒でがんがんいったせいか。

酔いが回ったころ、店を出てホテルへ帰ろうとすると、
ポン引きのにいちゃんに捕まる。酔ってて抵抗力がなかったので
ピンサロに行く。
すっきりして店を出る。ホテルへかえる。思わぬ出費。(笑)

○12月29日
朝、窪谷さんとわかれて、道後の湯築城へ。
明治時代に公園化されていたため、かなりきれいに残っている。
いった時には三の丸の発掘をやっていた。
市電で折り返して松山城へ。朝飯を食べようとするが、
喫茶店のモーニングぐらいしかなかったので、しかたなく
吉野屋で鮭定食を食べる。
松山城
登り口からロープウエーで登る。
石垣から建物まできれいに残っている。(
空襲で焼けたから、部分部分は再建された
のだろうけど)が、しかしここも大掃除で
建物には入れなかった。
仕方なく辺りをぶらついて下山。

時間が余ったので、市駅前の商店街をぶらつく。
かなり大きな古本屋を発見。蘭宮涼と小林源文を買う。
また駅前のそごうで一六タルトとワッフルを買い、電車で松山観光港へ。
ここから水中翼船(SSTH)で宇品へ。
片道5千7百円だが、千円を奮発すると、二階席に行けるので、
どうせ3万円も余計な出費をしているのだからと千円払う。
その便には二階に2人しかいなかった。
コーヒーもつき、また液晶テレビもあるうえ、座席もゴージャスで、
1時間あまりだったけど、なかなかに良いものだった。

宇品から市電で紙屋町まで行き、そこからバスで三篠町まで。
後は歩いて帰省。



あいも変わらず、あわただしい年末だった。


戦果
	攻撃対象	20城

	うち 棄権	  1城

			19城	攻略