サイパン島攻略記


大学の時のサークルの先輩、SさんとMさん、そしてわしの野郎三人で、常夏の島サイパン島へ行ってきました。
何故にまた野郎三人でサイパンなのかというと、わしの場合だと70%以上が桜玉吉の「漫玉日記1」に出てくるサイパンツアーに触発されて、「わしらも南国でなまこ踏み休暇を取るにょぉ〜」となってしまったのと、50数年前に玉砕した、35000人の英霊の御霊を鎮める為と言うか要は戦跡を見て戦車や大砲が見たいにゃぁ〜、というのが20%、残り10%はようわからん、勢いの様なものか。他2人の先輩方の胸中に何があったかは未だに良くは分からないのでカット。
ま、とにかくそう言う事なのである。

○12月1日(水) 前日移動日〜西船橋は今日も雨だった〜

本統は、わしだけ関西空港からのツアーに申し込んでいたのだが、あまりに関西発の便が高い為、東京成田から出発の先輩2人と一緒のツアーにすることにした。初日の成田空港への集合時間が午前8時とあまりに早い為、Mさんとわしは前日から、西船橋のSさんの家に泊めてもらう事となった。
とにかく仕事を早めに終わらせて、最終の新幹線に乗らないとえらい事になるなぁとか思っていたら、前々から延ばし延ばしにしてきていた仕事を今週中に仕上なければならなくなり、そう簡単には帰れなくなってしまう。…今週中ってことは今日中かい、てなことで、危うく最終の新幹線に乗り遅れそうになる。
しかし気合いで8時前に仕事を終了、神戸駅までダッシュ、ギリギリの新快速に乗車、夕食に駅弁を購入、そして何とか最終のひかりに間に合って一路東京へ向かう。
23時45分頃東京駅到着。東京駅に着いて、西船橋への行き方を知らない事に初めて気が付く。一瞬呆然とするが、すぐに動物的感で秋葉原へと向い黄色い総武線に乗車。ちなみに正解は地下から総武快速で船橋の乗り換え。おかげで30分以上余分な時間を使ってしまい、風邪でぼろぼろな体が更に酷くなる。
午前1時前にやっと西船橋の駅に着く。改札を出ると、いきなり住所不定無色のおっちゃんどもが屯っている。白タク勧誘のおっちゃんがいる。どう見てもイっちゃっているようなオヤジがいる。新長田でもここまで酷くない。西船橋というのはえらいところである。
あまり長い間、こんな場所にいたくも無かったので、早速Sさんの携帯に電話。しかし話し中(笑)。いや、笑い事じゃない、下手をするとここで夜を明かさなければならなくなる。とにかくどうしようもないのでそのまましばらく待つ事に。
次の電車が着いたのか、疲れ切ったオヤジの集団と、無目的に生きているだけの粉を吹いたような兄ちゃん、それに酔っ払ったカップルなどが次々と改札から出ては、雨で湿気た街へと消えて行く。場末の哀愁の真っ只中と言う感じで、楽園への旅行前にもかかわらず鬱な気分になる。
5分ほど待って再び電話。今度は繋がる。10分ほどで迎えに行くからと言われて、ふたたび待つ。15分ほどでSさんがやってくる。親切に傘まで持ってきてくれていた。家に向う途中のドンキホーテという深夜営業のディスカウントショップでSさんは多量のドラッグを購入(チョコラBBとか)。何でも今日まで60時間ぶっ通しで仕事をしていたそうで、口内炎で口の中が血まみれになっているらしい。わしも風邪を引いているし、このツアーは本統に大丈夫なのかと不安になる。
新S邸に到着。部屋ではMさんが、持参のノートパソコンでMP3に落とした多量のアニソンを聞きながら待っていた。夜も遅いので早く寝ようとそのまま3人床に入ったが、1時間ほどアニソンで盛りあがる。実際に寝たのは2時半頃。良い歳した大人がいったい何をやっているのだか。

○12月2日(木) ツアー1日目前半〜我々の行く手を阻む、何者かの陰謀の数々〜

午前5時半起床。寝ぼけながらも黙々と準備。と、気がつくとすでに6時10分。6時26分発の総武線にぎりぎりの時間である。
大荷物を抱えて駅まで走る。何とか26分には駅に着き、慌ててホームに駆け下りるが電車は来ていない。いぶかしんでいると放送がかかる。「本日早朝、新宿駅構内で発生しました保線車両の脱線事故により、ただ今総武線は30分遅れで運行致しております…」…何者かの陰謀。そうこうしていると、乗るはずだった総武線快速成田エアポート行きが目の前を颯爽と走りぬけて行く。
「確かあの電車で集合15分前に空港到着の筈」とMさん。しかし、8時丁度くらいに空港着の成田エクスプレスがあった筈とのMさんの言葉を頼りに、とりあえず千葉駅まで行こうと、遅れてやってきた黄色い総武線に乗りこむ。
まるで嫌がらせのようにのろのろと進む総武線。「これで目の前を成田エクスプレスが走っていったら大笑いだね」などと話をしていると、目の前をこれまた颯爽と走りぬける成田エクスプレス。陰謀もここまで来ると笑うしかない。
7時過ぎにやっと千葉駅に到着する。成田方面の時刻表を調べるが、成田駅までの各停が7時34分発、次の空港行き快速が7時50分。どう見ても間に合わない事は確かである。改札で駅員に空港への別ルートを聞いてみたが、千葉駅からはJRで行くのが一番早いとの回答。確かに、地図を見ても千葉駅から成田までJRしかない。こんな事なら船橋で京成線に乗り換えておけば良かったと後悔するが、時すでに遅し。
駅から電話で旅行代理店に遅れる旨を伝えたところ、実際には9時までに来てもらえれば何とかなるとのこと。一同ホッと胸をなでおろす。締切が1時間ほど延びたとはいえ、あまりゆっくりも出来ないので、次に来た通勤通学ラッシュで混み合う各駅停車で成田駅まで向う。この混雑で、初めて今日が平日だと言うことに気が付く。これまた、嫌がらせのようにとろとろと成田駅へと走っていく。
8時過ぎに、やっと成田駅まで到着。成田空港行きの電車を調べるものの、次の快速まで30分近く空いている。もうこれはタクシーしかないと、駅員に文句を言うどさくさに210円の切符片手で改札を強行突破する。無論浮いた金はタクシー代だ(言いわけ)。
運良くすぐにタクシーを拾う事が出来た。タクシーの運転手の話だと、駅から空港まで15分ほど。またタクシーは電車と違って、入港チェックが早く済むから電車より断然早く、わざわざ成田で電車を下りてタクシーに乗りかえる人もいるとの事。これは禍転じて福となるというやつだなと、3人してほっと一息つく。雨は相変わらずしとしとと降り続いている。
しかし、これまた謀ったように渋滞に巻き込まれる。「普通は渋滞の時には交通情報が表示されるので、この道は避けるのですが、今日は出てなかったからおかしいですねぇ」と運転手。またもや陰謀か。
「こう言うときに無理に飛行機に乗ったりすると、乗った飛行機が落ちたりするもんなんだよなぁ…」とSさん。飛行機に乗るのがちょっと怖くなる。
やっとの事で8時半に空港に到着。S邸を出てからまだ2時間半ほどなのだが、えらく長く感じられた。しかし休んでいるわけにも行かず、急いでカウンターで手続きを済ませて手荷物検査、その他を済ませて待合室に。この時9時丁度。本統にぎりぎりであった。待合室で、千葉駅で買ったサンドイッチを食べていると搭乗が始まる。雨が少し酷くなった。
予定の10時から遅れる事15分、やっと飛行機が飛び立つ。幸いにして離陸直後の失速で墜落と言う事は無かった、というかあったら今ここにいない。シートベルトの着用ランプも消え、ついに窓側シート争奪バトルが始まるのかと思って身構えていたが、他の先輩御二方は早々に熟睡してしまい、眠い筈なのに軽い興奮で目がさえてしまっているわしは手持ち無沙汰になる。
しばらくすると、飲み物のサービスが始まる。昼食までの暇つぶしにビンゴカードも渡される。あまりの空腹に乗客が暴動を起こさないようにビンゴゲームをやって気を紛らわせるらしい。「素敵な賞品が当ります」と言うアナウンスがあったので、てっきりお好みのスッチーさんとやらせてくれるのか、だったらそこの網引さん(仮名)とやりたいものだが、などとつまらない妄想に耽っていたら、次々と穴が開く。ついにはリーチが6つも出来上がったのがだ、リーチばかりで肝心のビンゴが来ない。スッチーさんとの本番も、もはやこれまでかと半分諦めたところ、本当に最後の番号でやっとビンゴを引く。己が強運に惚れ惚れとするが、賞品はリゾッチャの安物ビーチサンダル。速攻でサンダルを忘れたSさんに譲渡する。
という間に飯。往きは和食。どうして南の島に行くのに和食を摂らないとならないのか、とか文句を言いながらも奇麗に平らげる。しかし機内食に米飯は絶対無理がある。
エンジン爆発とかハイジャックとか、ファルクラムに迎撃されるとか、そう言ったネタになりそうな楽しいイベントは幸いにして全く無く、無事サイパン空港に到着する。
飛行機を降りロビーに出ると、突然に蒸し暑くなる。建物もアメリカンな安っぽい造り。英語の看板。異国に来たのだなぁと感慨に浸りつつ送迎バスでホテルへと向う。
ホテルはダイイチホテルと言うところ。安い方のホテルらしいが男所帯なのであまり関係は無い。部屋にチェックインして荷物を整理してベッドに寝転び、旅の疲れを癒す。このまま夕飯まで何もしたくないなぁ等と敗北主義的思想に浸っていたら、一人元気なMさんに「海、海、海。サイパンっていったらやっぱり海でしょ。海行きましょ、海」とせっつかれる。
確かに貴重な時間をだらだら過ごすのも何なので、今にも死にそうなSさんも無理やり引っ張って、ホテルのプライベートビーチに泳ぎに出かける。
目と鼻の先の浜に向う途中で、現地の人からいきなり2回も客引きされる。いずれも怪しい日本語で話しかけられ、これまた怪しげな日本語のビラを渡される。浜に行くと店仕舞いを始めた現地ツアー会社の出店があり、そこでシュノーケルを無料で貸してもらって海へ。南の島にもかかわらず海の水は少し濁っていて、シュノーケルでもぐってみても視界が悪くて潜った気がしない。何だかなぁとか思っていると、今度はスコールがやってきた。慌てて荷物をさっきの出店のテントに置かせてもらい、再び海へ。スコールで気温が急に下がり、海水に浸かっていないと寒くて凍えそうになる。60時間勤務で疲れきっているSさんが、「意識が遠くなりそうでやばい」とか言い始めたのでホテルに引き上げる事にする。
部屋に帰りシャワーを浴びて、一段落ついた後で夕食に出かけることにする。


○12月2日(木)夜 〜椰子蟹に屠られる
ヤシガニを食おうとSさんが言った。で、何故かロストユニバースの「ヤシガニ屠る」の話が出た。自分は知らなかったが、「あの想像を絶する動画がすばらしい。あんなアニメは他に類をみないから、君も是非見給へ」と薦められる。
それから、怪しげな街の怪しげな客引きと話しながら、ヤシガニの安い店を探す。2、30分ほどうろうろして、やっとの事で「ヤシガニ26$」と書かれた中華料理屋、龍馬飯店と言う店に入る事にする。なかなかまともな中華料理屋で、突き出しのうち剥き落花生は塩辛すぎて閉口したが、もう一品のキャベツの漬物のようなものはなかなか美味であった。
とりあえずヤシガニ一皿と、それと20$だった地物の魚(パロフィッシュ)の煮付一皿、それから各自二皿ほどの料理に青島ビールを一本ずつ注文する。店には客は我々3人だけで、店の奥に置かれたテレビでは怪しげな中国の歴史物ドラマが映し出されていた。
しばらくすると、ヤシガニが出てきた。中華料理に良くある、蟹をぶつ切りにして揚げたものを生姜を効かせて炒めたもので、当然の事ながら美味い。甲羅から染み出たエキスを、手が汚れるのも忘れて必死で吸いまくる。ただ、ヤシガニだから美味しいと言うわけではなく、渡り蟹でも同じような味は出たのかもしれない。
次にパロフィッシュの煮付が出てくる。しかし、こちらの方は魚が臭い。雑食なのか身に嫌な臭いが染み付いていて、付け合せの韮や煮汁と一緒に食べて、味を誤魔化しながらでないと、食べるのが辛い。これは失敗であった。
それから、四川風冷麺、牛モツ炒め、豚の空揚げ(フライ?)、餡無し饅頭、小籠包、重慶風団子、蟹肉焼売などが出てくるが、量が多過ぎて食うのが辛くなってきた。
それでも何とかすべての料理を腹に納めて、会計を頼む。大体の所、概算で150$ほど。一人辺り50$だから、ちょっと馬鹿みたいに注文し過ぎたかな、などと考えていると会計のメモがまわってきた。いくらかなと見てみると、そこには264$の文字が。3人して固まってしまう。さすがにここまで計算間違いはしない。まさかボッタクリかと、念のため詳しい詳細を頼んだ。すると出てきた詳細に「椰子蟹 3,643x28=100,80$」「蒸魚 2,853x18=50,40$」とあったのである。そうである、あの店の前の「ヤシガニ26$」と出ていたのは、あくまでも100gだか1ポンドだかの単位当たりの値段だったのである。
こうして、思いもよらない一人当たり88$の出費にやられて帰路につく。途中、コンピニで翌日の朝食などを購入。パパイヤネクターとかいう怪しげなドリンクがあったので買ってみる。やたらと濃くて臭くてうまいとは言えなかった。
部屋に帰って、くつろぐ。引き続き、Mさんの持ってきたノートパソコンのアニソンMP3を聞く。大分遅くなってからSさんが深夜の街に出ていった。午前3時頃帰ってきたらしいが、寝惚けていたので良く覚えていない。


○12月3日(金) ツアー2日目〜サイパン島攻略

昨日買ってきた、厚焼きクッキー、ブラウニーケーキ、牛乳などで朝食をとる。午前中に何をしようかと作戦を練った結果、無料の半日島内観光ツアーに参加する。
観光バスに乗って、島の北端にあるバンザイクリフへ向かう。行く途中、ガイドさんから島の原住民であるチャモロ人の食や言葉の話を聞く。
バンザイクリフに到着。その奇麗な景色とは裏腹に、今から50数年前にこの岬から、何千人という非戦闘員が海へと身を投げたのである。しばらくおセンチな気分で海を眺めた後、資料の為に写真を撮りまくる。Mさんも写真撮影に勤しんでいた。そして再びバスに乗り込み、すぐ側にあるラストコマンドポストへと向かう。



ラストコマンドポストはその名の通りの最後の司令部跡で、岩質の崖をくり抜いて作られたトーチカのようなものであり、事前調査をしていないので実際には何だったかは良くわからない。今では司令部前の空き地に、島内各所に残っていた旧日本軍の大砲や戦車などが展示されている。(41年式12cm海岸砲、10年式12cm高角砲、37mm速射砲、95式軽戦車辺り。ちなみに右の95式の写真を撮っていて、バスの出発を遅らせてしまった)


左:41年式(3年式?)12cm海岸砲、中:不明、12cm短高角砲?、右:10年式12cm高角砲


その後、バードランドとかいう海鳥の宝庫を見た後、街まで戻って免税店でツアーは解散。昼飯にホテル側のココナツ亭という定食屋で焼肉定食を食べる。他に安そうな店が無かったものの、サイパンくんだりまで来たのに焼肉定食を食うだけと言うのもなんだったので、さっきのバスツアーのガイドさんから聞いた「チャモロ飯」を試してみる。このチャモロ飯、ご飯に醤油とタバスコをかけて混ぜて食うというもので、想像したほどまずくは無かったが、いかんせんメチャメチャ辛かった。
昼飯の後、残った島の観光をしようということとなり、一旦ホテルまで戻りレンタカーを借りる。


左:レンタルしたポンコツフォード 、右:レンタカーを待つ間、ホテル前でいちゃつくカップル


出てきたレンタカーはひどいものだった。見た目は普通のフォードの乗用車だったが、鍵が壊れていて助手席のドアは内から開かず、右後ろの席は外から開かず、事故でも起こしたらどうするのか見物みたいな車だった。ともかくこの車でタポチョ山を目指した。
途中から砂利道になった。しかも道を間違えて、どこかの採掘場のような場所に出てしまう。車を切り返していると、猛禽類の雛が道に落ちて動けないでいるのを見つけた。Sさんが車から降りて、雛を助けようとしたものの、雛のクチバシでの反撃に遭い、手に全治3日の怪我を負った為、雛を見捨てて撤退。撤退途中、車が来ても逃げない猫がいて礫きそうになったり、4、5匹の飼犬に突然襲われたりと、島に住む動物達から敵対行為を示される。更にはさらに砂利道が、南アルプス林道も真っ青の悪路になって危うく今シーズンの篠塚選手になりかけたりする。サイパン島とは本当に恐ろしい島である。

山頂付近で、さすがに普通乗用車では走れないような道になった為、邪魔にならないように車を停めて、後は歩いて登る。タポチョ山はサイパン島攻防戦での第2の激戦地区である。岩がちな山頂には、熱帯とは思えないような日本のそれに近い植物が群生していた。強風の中、しばらく眺めていると風が湿度を帯びてきたので、引き上げる事にする。山から降りて島の南側をまわる。ここでも道を間違える。本当にわかり難い地図である。
折角レンタカーを借りたのだから、と島の北の方にあるミリタリーショップに行く。よっぽど元町のイカリヤの方が品揃えが多いようなチンケな店だった。とりあえず帽子とパチンコを購入。
夕方前にホテルに着く。時間がちょっと余ったので、ホテル側にあった戦車広場と言う所に行く。ここには2台の97式といくつかの遺棄兵器が展示してあった。ただ、余りにも暗かったので写真撮影は出来なかった。

ホテルに車を置いて、夕飯に出かける。今晩はアメリカなステーキを食おう、ということでステーキハウスへといくと、待たなければならないということで向かいにある姉妹店のシーフードレストランへと入る。自分がクラムチャウダーに根魚の香草トマトソースにシーフードラザニア、Mさんが同じくクラムチャウダーにハンバーグ、Sさんが300gステーキにロブスターグラタンを注文する。まるで日本のファミリーレストランでするような注文をしたわけだが、この時にここがアメリカの信託統治領であったということをすっかり忘れていた。
まずサービスとか言いながら、パンが出てきた。これが結構うまくて、ついつい3人で食べてしまった。しかしこれが罠だった。次にクラムチャウダーが出てきた。これもうまかった。量も結構あり、これを平らげるとそれだけで腹が一杯になった。この時嫌な予感が頭をかすめた。そしてメインディッシュが運ばれてきた。自分の魚のフライとMさんのハンバーグは、直径30cmほどの大きな皿の3分の1ほどに料理が、残り3分の2にはサヤインゲンのバター炒めとフライドポテト、そしてトウモロコシのバター炒めが山と乗っかっていた。Sさんのステーキはこの前食ったビックリドンキー並の大きな肉が鉄板にずでんと鎮座していた。これに更にこれまた大きな器に入ったラザニアとグラタンがやって来た。…またも敗北した。昨日の経済封鎖に続いて今晩は物量作戦で攻められた。明日こそはと店を後にした。
店を出た後、Sさんに「こういう旅先で、地元民しか行かないようなバーに行くってのも面白いもんだよ」と誘われて、Bud's Barというバーに行く。本当に地元民しかいない様なバーで、ナッツをつまみにカクテルを飲みながらも、背後で酔っ払った外人が陽気に騒いでいるのはどうも落ち着かなかった。
コンビニでジュースなどを買った後、ホテルに帰る。帰った後、釣りに行こうということで、夕方行った戦車広場の北にあったヨットハーバーの辺りに行く。釣り道具を持ってきていたのはSさんだけで、Mさんと自分は見物である。闇の中、懐中電灯も持たずに歩いて行く。まるで日本の夏の夜のような暑さと湿度で、歩くと汗が出る。吠える犬におびえながら、ヨットハーバーまで行くと、そこには「釣り禁止(No Fishing)」の文字が。諦めて海岸沿いにホテルへと向かう。
しかしこのままでは余りに悔しいと、初日に泳いだ辺りにポイントを設定して釣りを開始。さっきのシーフードレストランで残したシーフードラザニアから抜きとってきたイカを餌にして投げ釣りを始める。
静かである。波の音だけが聞こえる。遠くで人の声がしたかと思うと、ホテルの方から二人組の若い女性が歩いてきた。恐らく目がさえて眠れなくなって散歩にでも来たのだろうが、夜のビーチで釣りをしている野郎3人組をいぶかしみながら通り過ぎていった。それからしばらくすると、海岸を車が走ってくる。馬鹿若人はサイパンにもいたのかと、厄介事に巻き込まれないように砂浜の端の方に道を開けると、何と直前でライトをこっちに向けて止まるではないか。しかも車からは警官が2人ほど降りてくる。「やべ、ここも禁漁区だったか」と慌てたが、話を聞くとただのパトロールとの事。何とも心臓に悪い場所である。
結局1時間ほどだろうか、全然アタリも無かったので、そのまま引き上げる事に。部屋に帰ってシャワーを浴びて寝る。Sさんは今夜も飲みに出かける。それから深夜にスコールらしき音で目を覚ますと、しばらくしてびしょ濡れになったSさんが帰ってきていた。

○12月4日(土) ツアー3日目〜マニャガハ島はよいとこ一度は来んしゃい〜

昨日の残りのクッキーと牛乳で朝食をとる。いい加減に飽きてくる。
今日はマニャガハ島へ行く事にする。マニャガハ島は、サイパン島の環礁内にある小さな島で、外洋に近い分だけ海も奇麗らしい。ただ、島に渡るにはボートに乗って行くしかなく、この通船に乗るのに結構な料金を取られてしまう。ともかく、通船の交渉に、初日にお世話になったレジャー会社の主張所に向かう。
2、3人の現地人と、いかにも日本のヤクザみたいな兄ちゃんが仕切っていた。貰ったパンフレットには島への往復とパラセイリングで55$と書いてあるにも関わらず、60$になっていた。怪しい事この上なかったが、今更別の所に行くのも時間がかかる為、仕方なくここのデスクで申し込みを行なう。
ひたすら待たされる。船の便の関係だか知らないが、1時間ほど待たされていたような気がする。おまけにサービスで無料で貸してくれるはずのシュノーケルセットも「丁度数が足りなくなった」とか言って貸してもらえなかった。不満だらけだがヤクザが相手では何も言えなくなってしまう辺りが小市民である。
11時頃になって、やっとボートに乗船する。ボートの前の方に乗せられたが、今日は風が強くて波頭が白く立っていて、波にボートがぶつかる度に打ち付けられるようなショックと波しぶきとに襲われ、島に着く頃には体はがくがくのびしょびしょになっていた。入島税の5$を払って上陸。
早速島のサービスセンターに行って、シュノーケルセットを借りる。15$。余計な出費である。人の少ない北東のビーチにベースを張って、早速海に入る。
初日に潜った海とは比べものにならないような奇麗な海。魚も多い。初めは「ダイビングなんてどこが面白いんじゃろ」なんて思っていたが、これは面白い。ただ強風で波が強く、珊瑚にぶつけられて危ない事この上ない。それならと波の影響の少ない海底まで潜って珊瑚につかまり熱帯魚を観察していたら、Mさんに「素手で珊瑚を掴むと手が切れるよ」と注意されてしまう。どうもうまくいかないものだ。
腹も空いてきたので、昼飯にする。Sさんはボートを待つ間に、買っておいたSABWAYのサンドイッチをとっとと平らげており、Mさんも捕まらないので一人で行く事に。
…高い。べらぼうに高い。観光地レートである。バーベキューランチで20$も払う気になれず、8$のチーズバーガーセットを頼む。しばらく待たされて取りにいくが、マクドナルドよりもちょっとマシくらいのひなびたハンバーガーが出てくる。一人でモソモソと飯を食っていると、野良猫が餌をたかりに来ていたので、フライドポテトの中身だけをやる。猫は万国共通で可愛いものである。
海に潜っている時に、魚に餌を与えている人がいて、これに魚が山とたかっていたので、面白そうだと餌を買いにいく。4$でソーセージの缶詰が出てくる。本土では1$ほどだったはず。高い缶詰だ。ただ、効果は的面で、ソーセージを潰して海中に漂わせると、無数の魚がやってきて餌を漁っていく。指まで食われそうな勢いである。しばらく楽しんでいたが、どう見ても自然環境を汚しているような感じがしてきて止めてしまう。
そのうちに疲れてきたので、2時すぎには海から上がってしまう。3人して島を一周してみる。10分ほどで一周してしまう。船着き場の側に旧海軍の海岸砲が2門ほど転がっていた。砲に書かれていた文字を読むと、呉工廠製のアームストロング式海岸砲らしい。盗難を恐れてカメラを置いて来たので写真は撮れず。
船着き場の裏手でさっきの魚の餌でSさんが釣りを始める。さすがにこれで釣れない事はないだろうと言っていると、早速一匹かかる。カワハギ系の熱帯魚である。「これなら入れ食いだ」とSさんは喜んだが、しかしそれか最後で後はゴンズイ一匹かからなかった。


パラセイリングでエンドルフィン大放出中のSさんとMさん(嘘)

そうこうしている間に迎えの船の時間になる。セットで付けたパラセイリングは帰る途中でやるらしい。が、ここで約一人がビビリ始める…もちろん自分だ。自分は高所恐怖症である。昨日までは何とも思わなかったのだが、島に来る途中のボートで急に恐くなってしまった。とりあえず乗れ、ということでやむなくパラセイリング用のごっついボートに乗り込む。
これを付けろとばかりにハーネスが投げ出される。駄目だ、これを付けたら最後だ。はるか空中に投げ出されて…そしてすべてが終りだ。緊張が走る。完全に拒否の体制に入る。「楽しいよ」というような感じで説得しようとする現地兄ちゃんの説得を振りきりだだをこねる事5分、何とかハーネス装着を振り切る。同乗しているカップルに笑われようと、そんな事は大した事じゃない。
現場海域に到着。まずSさんとMさんが上がる。予想していたよりも高く上がる。それを見て本当にやらなくて良かったとほっとする。5分ほど飛んだ後スルスルと降りてくる。二人ともエンドルフィン大解放中のような顔をして、しきりに「何故○○くんも上らなかったの、あれめちゃめちゃ楽しいよ本当」等と言われる。ちょっと悔しいが仕方が無い。もう一組のカップルも上って降りて、島の船着き場に到着。バンでホテルまで送って貰う。
夕飯。最後の夜なので豪勢に行こうと、島の北のショッピングセンターにある「トニーロマーニ」というリブの店に行く。客の入りも良く、雰囲気も良い。後は昨日、一昨日の失敗を繰り返さないだけである。慎重にメニューを選択する。まず本日のスープ各一つ、玉葱リングフライ…これはハーフにしておく。それから前菜の盛合わせ、リブ盛合わせ、そしてリブの丸焼き。それだけ注文して、とりあえずビールで乾杯する。
まず玉葱フライが来る。食パンの塊のようなゴッツイのが出てくる。ハーフでこれである。恐るべし、アメリカ。横の日本人のテーブルは丸ごとを頼んだらしく、コンクリートブロック大の玉葱フライを前に目を白黒させていた。油物なので速攻で頂く。なかなかにおいしいが、いかんせん量が多い。そのうちにスープも出てきたので、これで流し込みながら平らげる。また、この時点で「サービス」としてパンが出されたが、自分は昨日の悪夢を繰り返したくなかったので手を付けず。
次に前菜が来る。直径40cmほどの大きな皿に盛られた前菜が出てくる。焼いた鳥のドラムにジャガイモのチーズ焼き、そしてモッツァレラチーズのフライが4つづつ乗っている。9.8$なのにこのボリュームで少々ひるむものの、時間を置いて腹が膨らむ暇を与えるわけにも行かず一斉に突撃。そうしているとリブの盛合わせとリブの丸焼きの皿が出てくる。これもそれぞれ直径40cmの皿に盛られている。余りの量に失禁してしまいそうになるが、ひるんでもいられず同じく突撃。リブの盛合わせも分ける事もなく一塊一人と言う具合に食べていたら、後からMさんに「折角の盛合わせなのに」と怒られる。結局、見た目よりも脇腹の骨の分だけ食う量は少なくて済み、腹は張ったものの奇麗に平らげる事ができた。肝心の肉の味はなかなかに美味しかった。こんな事なら少なめに頼んでゆっくりと味わうようにしておけば良かった。
観光連絡バスでホテルのある町まで帰る。最後に射撃をしようとその手の店を回る。とある店で口径が8mmののベレッタM1934を持たせてもらい、理性をふっ飛ばしそうになったりする。結局、50$ほどで.22ショート30発、.22マグナム7発、.40ショットガン1発というのを撃たせて貰うことに。
まず.22ショートから。これなら大した事はないだろうと思っていたら、結構反動が来る。セミオートで撃っているが、それでもなかなか当たらない。次にマグナムをボルトアクションのライフルで撃つ。反動が大きくなって、ますます当たり難くなる。排莢する時の感覚に酔ってちびりそうになる。最後にショットガンを撃つ。40口径の小さなショットガンだったにも関わらず、かなりの反動。50$もしたけど、かなり満足。店の兄ちゃんを銃床で殴って弾をかっぱらって撃ちまくりたい衝動に駆られるも我慢。お土産にそれぞれの薬莢をもらって帰る。
ホテルに帰り、Mさんと寝る準備をしているとSさんが、またも夜の町に飲みに出る。3日連続である。前夜も「あれは絶対にボッタクりだよ」とか言っていたのに、懲りないようである。残った二人は早々に就寝。
朝方、突然ドアが激しく叩かれる。「そもやKGB!?」と慌てて起き出してドアに駆け寄り、のぞき窓で外を除くとホテルの警備員が立っている。何でもSさんが酔っ払ってホテルのロビーの椅子で寝込んでいたので部屋まで送ってきたとの事。さすがSさんである。


○12月5日(日) ツアー最終日〜神戸は遠かった〜


8時に一人で起き出して、戦車広場に戦車を撮りに行く。97式中戦車2両、航空魚雷一本、25ミリ連装対空機関砲一基、47ミリ対戦車砲一門、それから37ミリ車載榴弾砲に車輪と防盾を後付けした怪しげな大砲一門。こんな感じ。
97式中戦車の中身は初めてだったが、かなりちゃちい作りをしていて驚く。板厚は普通で10ミリ程度。その鉄板をアングル材にリベット止めしてあるだけであり、これは鉄のか棺桶というにふさわしいものであった。ゴミや土で半分埋まっているものの、機銃やエンジン、変速機などが錆つつも残っている。いつかは完全なものをみてみたいものである。


部屋に戻って、出発までの時間をどう過ごすか考える。Sさんは宿酔いで苦しいらしいので、Mさんとカヤックに乗りに行く事にする。
浜に出て、ジェットスキーなどをレンタルしている所に行き、2時間10$で貸してもらう。自分が前、Mさんが後ろで、環礁内に漕ぎ行出す。自衛隊研修でカッターをやった身として結構自信を持っていたが、パドルの操作に難渋する。あまつさえ、「後ろに水が散るから、もうちょっと跳ねないように漕いでよ」とMさんに怒られる。それでも二人で休み休み1時間ほど漕ぎまわる。風で波は高いものの内海は静かで、晴れた空の元、弁当とか持ってのんびり半日くらい海面に漂うというのも面白いかも知れない。指に豆も出来てきたので、切り上げてホテルに帰る。
チェックアウトを先に済ませて、荷物を預けて免税店へ。だいたい何でお土産何か買わなきゃならねぇんだよとか文句をいいながら、職場と実家とに夫々土産物を購入。それから免税店後ろの「ムーミン谷」というふざけた名前の焼肉屋で昼飯。その後戦車広場に行って、記念撮影をする。

長いような短かった3泊4日のサイパンツアーもついに終りを迎える。1時半の空港行きのバスに乗ってホテルを後にする。空港で出国手続きを済ませ、ロビーで飛行機を待つ。と、ある売店のメニューに、とんでもない物を発見。ヤンキーはもう一度戦争をやってみないと分からないのだろうか。

午後6時頃、成田空港着。Sさん、Mさんと別れて、一人神戸へ。時間が無いので奮発して成田エクスプレスに乗り、東京駅で最終に近い新幹線に乗る。ヘロヘロで、乗り際に買った駅弁を食べると、後は寝込んでいた。寮には12時前に到着。翌日からまた会社なので速攻で寝る。

○戦い済んで…

旅行を通じて14万円くらい使っていた。初めの予定は8万円くらいだったのに。よくよく見てみると、何やかやで一日当たり1〜2万円位使っている。観光地という所は結局金を落さざるを得ないように出来ているらしい。出版社の金で行くのならともかく、自腹で行くにはちょっと高価な旅行になってしまった。早く取材で旅行できる身分になりたいものである。




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