能勢・豊能日帰り遠征(2000.9.15)

平成12年9月15日


窪谷さんがこっちのほうに来られるということで、運転手を勤めることに。

午前8時20分に神戸着ということだったが、いきなり5分遅刻。 いきなり朝っぱらから謝る羽目に。
にもかかわらず、お土産に岡山の醸造所でもらったという試飲用の日本酒4合と、 以前から頼んでいたブツを頂く。ちょっとほくほく。

ともかく、窪谷さんを乗せて、国道428号を一路北上。 一昨日まで悪かった天気も、昨日から晴れ、足場も良さそうな雰囲気。行いが良い者二人が揃うと、こんなものなのである。 それとも、怒らせると後何をされるか分からない者二人、天候をも曲げたのかも知れない。

今回の目標は、能勢町、豊能町周辺の城。 現地はど田舎なので大丈夫だが、そこへ行くまでに渋滞に巻き込まれる可能性があったので、 三田経由で行くことにする。 で、三田を回って行くのならということで、道場城と三田陣屋を行きがけの駄賃に落すことになった。



道場城


完全にジャングル



他にも蒲公英城、松原城とも呼ばれている。南北朝時代、赤松氏範が三田城の支城として築かれたのが初めらしい。氏範は一人南朝方につき奮戦するも、1386年に自刃。道場城はしばらく無主となる。
赤松氏は嘉吉の乱で一度衰退するが、後に赤松政則の代に復活した折、道場城には一族の松原氏が入り、以後100年以上松原氏の元で栄えた。しかし三木城攻防の時に秀吉方に攻められて落城。それから秀吉の後方基地となった後、有馬氏の領有となるが、そのとき廃城となる。
以前に来た時には、冬だったせいかもしれないが、城跡にある住居の廃虚を見ることができたが、今回は一面草に覆われてしまい、あちこち見て回ることすらできなかった。 神戸市も金が余ってるんだったら、こうした場所を公園にするくらいやって欲しい。 使いもしない空港を作っている場合じゃない。まったく。
もしも自分に金があればここに家でも建てたいものである。駅の真前で便利も良いし。




三田陣屋



復元図面、大池、本丸脇の堀



赤松一族の有馬氏が、ここに車瀬城を築いたのが始めとされている。
有馬氏は関ヶ原の戦いで東軍につき、三田の地を支配するものの、1620年には転封、 次に松平氏が入るがこれまた6年で転封、そして1633年に九鬼氏が入り、 三田陣屋として明治維新まで続くのである。

現在では三田小学校と有馬高校になっているが、地形はしっかりと残っている。 横にある池は、もと水軍の九鬼氏が水錬を行なっていたとされているが、 本当かどうかは良く分からない。

それから県道沿いに東へ。
ダイオキシンで一躍全国に名を馳せた能勢町に入る。




地黄陣屋





関ヶ原の戦いで復帰した能勢氏が、それまでの本城だった丸山城の向い側に 1615年に築いたのが地黄陣屋である。
現在は東中学の下グラウンドになっているが、大手虎口の石垣と、周辺の石垣はしっかりと残っている。 グラウンドの隅には、やけに立派な社跡のようなものあるが、城の遺構は不明である。




丸山城








地黄陣屋の向い側の小山が丸山城である。 南側の民家(?)の西側には五輪の塔があり、その脇に登り口がある。この規模にしては登山道はしっかりと整備してあった。
源頼光の子頼国がこの地に入り、能勢氏を称してこの丸山城を築いたのが始めとされている。 それ以来代々能勢氏の本城として栄えたものの、 天正年間に塩川氏の攻撃を受けて落城している。 関ヶ原の後、東向かいに新城として地黄陣屋を築き、そちらに移ったために廃城となった。




野間城、野間氏居館、野間屋敷





国道477号野間中交差点の南東、円珠寺東に野間屋敷、その南の山の麓に野間氏居館、 さらにその南の尾根の上に野間城が控える。 能勢氏、余野氏と共に能勢三惣領と呼ばれた野間氏の本拠。 野間屋敷は現在野間氏の子孫の住居があり、庭には「野間氏発祥の地」の石碑が建っている。
土塁と石垣があるとのことだったが、宅地化で土塁は跡方もなくなっており、また石垣の方もあるにはあるが、当時の石垣かは不明である。
野間氏居館跡は川の南、山の裾野にある。果樹園として使われていた為に遺構そのものは割と残っているが、現在は荒廃して雑草に生えるに任せている。
野間城は野間氏居館の奥にある道(鳥居のある方)を登れば良いのだが、 登り道は雑草だらけになっていたので諦める。 恐らく、まともに登るには鎌となたが必要である。


野間峠を東に越えて豊能町へ。



余野城





現在は城山高校になっている。こうなってしまうと、 遺構もへったくれもない。大まかな地形だけしか残っていない。
余野城は、能勢三惣領のひとつ余野氏の本城である。 道を挟んで西側には余野本城があるが、時間もないの諦める。








左保城





茨木市に入って左保へ。庄の本から小道を北に入る。 山の中腹に民家が建っており、どう見てもその山はそこの持ち物っぽかったので、 一声かけて山に入る。 山は一面矢竹で覆われていて、登るのに苦労する。 汗をかきながらやっと頂上に登りついたが、肝心の頂上平坦部も矢竹だらけで、写真すら撮ることができなかった。諦めてそのまま下山する。

帰る時にも一声かけようとしたら、その家のおばあさんからスイカでも食っていけと言われるので、甘えることに。 スイカを食う間、延々とおばあさんの昔話から家族の話から聞かされる。 そういった話を聞くのは好きな方なのであるが、同じ事を5回くらいひたすら繰り返し話されると、さすがにこたえる。 それでも30分ほどで解放され、福井城へと向かう。



福井へ向かう途中、車の後ろを真っさらなマツダのオート三輪が走っているのに気がつく。 あまりにピカピかだったので、写真の一枚も撮りたかったのだが、 真後ろだったため車を止めて撮影というわけにもかない。そうこうするうちに目的地に到着し、結局何も撮れず。残念なことである。



福井城





茨木川とその東を流れる小川に挟まれた、北から南に伸びる舌状の台地上に築かれている。
ひたすらに田圃。本丸の南から東側に石垣があるが、いつの時代のものだか不明である。



一応これで切り上げて東京に帰る窪谷さんを茨木駅に送っていこうとしたら、急に土砂降り。 行ないが良いと、タイミングまでばっちりなのか。
ともかく、半年ぶりの城攻めも何とか無事に終了する。


戦果
	攻撃対象	10城

	うち 棄権	 1城

			 9城	攻略



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