美濃伊勢打通作戦

平成28年10月8日〜10日




千種城の近くにあった、謎の井戸?



○10月9日

雨は上がるが、朝方まで降っていたため、足場は悪い。




伊坂城


終戦直後の航空写真(国土地理院、R1253-47)



四日市JCTと、その北西にかけての丘陵上に伊坂城があった(上の航空写真)。しかしジャンクションの工事と、その後の延伸工事によって、殆どが削られてしまった。
また延伸工事が終らない為、立入禁止になっており、近寄ることすらできなかった。





西坂部城


左:主郭部を北東から、右:同左から北東下を


左:主郭の西下の郭、右:西下の郭から主郭方向を


左:西下の郭にある土塁の残欠、右:これも土塁?



周囲は団地開発で山が消えてしまったが、三重城山緑地公園として辛うじて残されている。北西と南東と2ヶ所から登れるが、北西側は駐車場が無い上に遊歩道が崩落しており(平成28年10月現在)、駐車場もある南東からアクセスした方が便利である。

平坦地以外は、ほぼ何も残っていない。西下の郭に土塁っぽいものが残っているが、本当に土塁かは怪しい。





高岡城


左:中央部の畑、右:南東の公園入口


左:公園、右:公園の北東の藪の中


左:南西部、右:同左内にある堀切


終戦直後の航空写真(国土地理院、R470-33)



城域は広いが、中央部が畑になり、縄張図を見るに城らしい遺構は、南西と南東、北東の3隅にしか残っていないようである。

 南東部は公園になっており、駐車場もある。ただし道が狭く、写真に写っているコンクリート道の幅は1.8mしかないので大型車は注意。遺構らしい遺構は残っていない。
 南西部は林に戻ってしまっているが、遺構は比較的良く残っている。
 北東部は竹林に飲み込まれていた上に足場が悪かったので、諦めて引き返す。





金ヶ原城


左:金ヶ原城跡に建つ千種神社(ややこしい)、右:北辺の土塁の上


左:北西隅の堀、右:土塁の北西隅部


左:西辺の堀にかかる土橋、右:南辺の土塁



千種集落の南東にある千種神社が金ヶ原城である。ちなみに千種城は集落の南にある。
元々は四周が土塁と堀で囲まれていたと思われるが、神社整備の際に東辺の土塁と堀が潰されている。他の三辺の土塁と、西辺の堀は良く残っている。





千種城(千草城)


左:東下から、右:東側の郭


左:東側の郭は藪、右:郭間にある土橋と西側の郭


左:東西の郭間にある堀と土橋、右:堀の南側


左:西側の郭の南辺の土塁、右:西側の郭の西辺の土塁


左:郭間の堀を北から、右:西側の郭を北東から


終戦直後の航空写真(国土地理院、R1253-57)



千種集落の南にある。東に伸びる丘陵に2本の堀を掘り、東西に2つの郭を造っている。
西側の郭が主郭扱いされているものの、2つの郭の間にある堀の土塁との相対位置から、東側が主郭のように思われる。





杉谷城


左:郭の間に走る堀切、右:土塁


左:土塁、右:堀と土橋


左:土塁、右:その下の大堀切


終戦直後の航空写真(国土地理院、R1253-98)



登り道が判らなかったので、南東下にある寺の脇から斜面を直登した。城の西端は別荘地になっており、降りる際はそちらを通してもらった。

土塁で囲んだ郭が幾つか並び、その間に堀を造っている。
流水で郭間の堀が掘られてしまい、わかり難く、そして歩き難くなっている。





切畑城


左:南西下にある神社、右:郭を分断する林道


左:郭内部、右:西辺にある土塁



単郭で、西辺に土塁があるが、他は何も無い。
城域に入るまでは一応コンクリート舗装が続くが、そこから先はダートである。





田光城


左:南東麓にある多比鹿神社、右:東下にある土塁構造


左:石垣?、右:主郭平面


左:主郭の土塁の下部の石垣、右:主郭南西隅にある櫓台?


左:主郭西下の堀切、右:同左にかかる土橋を西から



縄張図を見ると複雑な構造をしているが、基本的に単郭である。
石垣があちこちに見られるが、崩れてしまい石垣かどうか怪しく見える





田辺城


左:遊歩道入口、右:南側の門と土橋


左:南辺の堀、西側、右:同左東側


左:東辺の堀を南から、右:南辺の堀を東から


左:北西隅から北辺の堀を、右:北西隅から西辺の堀を


左:北端にある郭を走る堀切、右:同左北辺の土塁内側にある石垣


左:北辺の堀切の西側、右:同左東側


左:終戦直後の航空写真(国土地理院、R1205-35)



哲学舎という名の美術館の北隣に国民宿舎(旅館だったかも)があり、田辺城の南にある方形の館跡はこの裏庭として遊歩道が整備されている。四周に掘られた堀が大きくて深く、凹凸が美しい。
田辺城の北側の郭群は放棄されて林に飲まれており、半分以上が藪化して入れない。藪の薄い北端には石垣のある土塁や、その北下に大きな堀切が残っていた。





西高木家陣屋


左:左が資料館で奥が西高木陣屋跡、右:元々の登城路


左:埋め門、右:同左を東下から


左:伊勢海道沿いの石垣、右:埋め門を南東から


左:陣屋の西下の石垣、右:同左



南北に走る伊勢海道を挟んで、西、東、北の3つの陣屋があったらしい。一番立派で遺構も良く残っているのが西高木陣屋である。




思ったよりも足場が良く、当初予定していた目標をほぼ攻略できた。


大垣へ戻る。今夜はホテルの部屋でスーパー飯。





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