伊豆征伐

平成13年7月20日〜22日


○7月20日
今年の戦史研の夏合宿が伊東で行なわれ、ついでに城も幾つか攻めようかと言う事になった。この所ボードゲームもしていないし、北条氏の城はあまり行った事も無いから、だったら久しぶりだし参加しようということ神戸から夜通し車を走らせる。
午前1時すぎに出発して午前5時頃に名古屋を通過。この時にひどい集中豪雨に遭い、伊豆までたどり着けないのではと心配になるがすぐに止む。
午前8時頃に富士市に入り、広見インターで降りて、国道1号線を西に向かう。三島市に入った辺りで渋滞し始めて心配になるが、混んでいたのは海岸方向だったので箱根へはスムーズに進む。
戦史研のメンバーとは午後1時に小田原城で集合だったので、時間もある事なので念願だった山中城を攻める事にする。



山中城



左:障子堀、右:だだっ広い郭

北条氏の城で最も有名なものの一つであり、日本でも有数の規模と遺構を誇るものではなかろうか。6年間も東京に住みながら、一度も来ていなかった事を後悔する。
有名なので説明は省略するが、たまたま散歩に来ていた地元の婆さんに話かけると逆に捕まってしまい、1時間近くかけて同じ話を5回も6回も繰り返される。毎朝来ているそうなので、間違って話かけないように。


箱根新道経由で小田原に入り、車を置ける場所を探すも、高いか遠いかで良い場所が見つからず、競輪場の臨時駐車場に車を置いて仮眠。時間を潰して、午後1時前に小田原城に入る。


小田原城



2度目なのであまり感動もない。Kさん、Yさんを始め歴代の戦史研のメンバーと再会して、危ない話をしながら城をまわる。とにかく暑くて喉が乾いた事しか記憶に無いのも情けない。


3台の車に分乗して、石垣山へと向かう。
三連休初日ということもあって、渋滞。とっとと脇道に逸れて石垣山には無事に着くも、山から見下ろす熱海へ向かう県道には、米粒のように車がびっしりと連なっており、今日中に伊東に着けるのか不安になるものの、とりあえずは目の前の城の方が先である。



石垣山城



左:渦巻井戸、右:その脇の高石垣



石だらけ。いや、ようもここまで石を積んだね、というくらい石だらけだった。ただし関東地方比。瀬戸内だと石が結構出るので、これくらいだとあまり驚きもしない。
ここも有名なので説明省略。


弁理士見習い中のOのアイデアで、箱根ターンパイクから伊豆スカイライン経由で伊東まで南下。混む事は無くて良かったが、軽自動車に4人乗りでスカイラインのアップダウンはかなりきついものがあった。
無事に時間までに旅館に到着し、車を止めて飯、風呂、ゲーム。ただし自分は疲れていたので先に寝る。


○7月21日

昼間はフンタ、夜はパックスとカタン。久しぶりにゲームを楽しめた。


○7月22日

そのまま帰る人と別れて、城をまわるKさん、I、Nの4人だけで山を越えて韮山へ。



韮山城



左:本丸から箱根方向、右:南郭の門跡?




韮山高校の裏山と化していて、三の丸などはテニスコートにされている。以前の東北遠征の時のようなムフフな事も期待するが、生憎誰も居なかった。
遺構の状態は比較的良く、手軽さの割りには得るものも多かった。ただ、時間が無くて詰めの城、その他を見れなかったのは残念な事である。


国道136号線を北上し三島市に入り昼を食った後に更に北上し、納米里へ入る。三島手前で渋滞に巻き込まれて切れそうになったり、飯屋がなかなか見つからなくって切れそうになったり、納米里への曲がり道を行き過ぎて切れそうになったりした事は秘密である。


長久保城



左:三の丸のインチキ櫓、右:二の丸付近



ジャスコか何かの大きなスーパーが城の東半分を削り、三の丸の北は国道246号線のバイパスとなり、また肝心の本丸も削られて交差点となっていた。破壊も甚だしいが、二の丸と三の丸の一部、それに八幡曲輪と南曲輪が公園と神社としてどうにか残っている。
いつ築城されたかは不明であるが、室町中期頃にはすでにあったらしい。北条-今川、北条-武田の争いの舞台となり、武田氏の領有となってから大改修が行なわれた。武田氏が滅んだ後には徳川氏のものとなり、関ヶ原以降に廃城になったらしいが詳しい事はわからない。


国道246号線を北上して県道24号線に入り、東名自動車道を潜った辺りで西へ入る。



葛山城(葛山館)



左:葛山城本丸、右:本丸南下の帯曲輪




左:館跡と土塁、右:館の門跡




館跡と詰の城がセットになっている。詳しい事は手元に資料が無いので省略。
天気が怪しくなって雨もチラホラ降ってきたが、本格的な雨にはならず。山も麓も遺構は良く残っており、手入れも良くなされているので歩き易い。他に書く事もないのでここらへんで。


更に北上して御殿場に入る。


深沢城



左:三日月堀、右:二の丸




三の丸は民家、二の丸と本丸は其々田んぼになっているが、遺構をそのまま使っている為に破壊は少ない。あまりにも見事に遺構と生活の場が融合しているので、ここに住んでみたくなった。
城の歴史については資料が無いので省略。


足柄街道をそのまま進んで足柄峠へ。



足柄城



左:二の郭から三の郭にかけて

山道に多少の不安を覚えながらも、何とか無事に山頂に到着。日も大分傾いていたので、急いで見て回る。
下草が苅られていたので、本城から五の郭までの独特な曲輪を一通り見る事が出来た。見晴らしも良く、それを狙ってカップルも大勢来ていたが、そんな不埓な人間にはお構い無しに写真を撮る。


そのまま松田町へ降りて、駅で三人を降ろし解散。自分はそのまま大井松田から東名高速道路に入る。足柄SAで温泉に入ったり、途中のPAで休みながら、翌日の午前5時頃に神戸着。



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