伊賀上野、他

平成12年10月20日〜21日


今年の10月20日辺りが、丁度関ヶ原400周年らしい。
その記念すべき日の開戦時間である午前6時に、笹山から霧に包まれた関ヶ原を望むのも風流かと思い立ち、とりあえず行ってみることにする。


○10月20日

とりあえず午後10時すぎに寮を出発。眠たい目をこすりつつ、長距離トラックだらけの山陽、中国、名神自動車道を走っていると、すーっと闇に引きずり込まれそうになる。週末のこの眠いのに何をしているんだろうと思いながらも、反射神経だけで車を運転して行く。


○10月21日

栗東まで上で走って、そこから国道8号線に降りる。時折目に入ってくるまぶしい看板で眠気を覚ましながら走っていると、ふと視界の端に何かが入った。慌てて車をUターンする。郊外型の古本屋。入らざるを得ない。
値札無しは200円という張り紙を素直に信用して、値札の無いゴルゴ13を4冊ほどレジに持っていったら、1260円を請求されて暴れそうになる。どうやら自分の関ヶ原行きを阻止する為に置かれたトラップらしい。貴重な30分と虎の子の1260円を失う。
元の8号線に戻って2、3分ほど走っていると、またも「古本」の大きな看板が視界に飛び込む。行ってはならない、と思いながらも引き寄せられる。かなりの在庫量で、1年近く探していたF書院文庫が見つかったりする。その膨大な在庫を端から端まで見ていたので、1時間近く時間を浪費する。
また元の8号線に戻って走っていると、5分後にまたも古本屋を発見する。が、さすがに睡魔に負けて、それ以降の古本屋は諦める。

米原から国道21号線に入り、20分ほどで関ヶ原。あまり迷う事もなく無事に笹山の駐車場までたどり着く。貴重なトイレ設備と、以前来た時には見たことのなかった自動販売機とがある。これほど頼もしいことはない。時間は午前3時。雨はすっかり止んで空は晴れ、霧が出る様子もない。しかしとりあえず眠いので、午前5時まで車内で仮眠を取ることに。
午前5時、悪夢と目覚しのベルの同時攻撃で、心臓が止まりそうになる。外を見るとまだ暗い。目覚しを6時にかけ直してもう一度寝る。
午前6時。空はすっかり明るくなっている。良い天気で、霧もない。霧のかかっていない夜明けの関ヶ原なんて、飛行機の無い航空母艦のようで、ふがい無い。おまけに開戦時間の6時だというのに、他に誰もおらず、これまたふがいない。てっきり、旧暦の400周年である今日こそ、地元自治体の行なう400周年イベントなぞに見向きもしない真の関ヶ原マニア達が全国から集まって、夜明け前から関ヶ原はコミケのごとく人で溢れ返っているだろうと思ったのに、どうも見当違いだったようである。
仕方が無いのでとりあえず笹山に登る。金色の空のもと、関ヶ原を眺めながら朝飯に買ってきたサンドイッチを、朝露でベンチが濡れていて座れない為、立ったまま食べる。
せっかく来たのだから、西軍陣地と松尾山くらいは回ろうかと考えたものの、何かすべてが面倒になり、そのまま帰ることにする。


帰り道は名阪国道経由にして、ついでに伊賀上野城でも見に行くことにする。
国道365号から306号をひたすら南下。亀山から名阪国道に入って上野まで。初めて上野の街に降りたが、篠山並の小じんまりした街だった。
城のすぐ側の駐車場に車を停める。と、城の登り口の案内所に、



↑こんなポスターが張ってあった。ゴルゴ顔の忍者って、あんた。

ともかく、城に登る。
藤堂高虎の築いた伊賀上野城は、筒井氏の築いていた城を利用したものらしく、現在でも筒井氏の城跡が残っているらしい。もちろんそんなんでも1城は1城なのである。便利な世の中だ。


筒井氏古城



伝天守跡には左写真のような石碑が立っている。謂われなどは良く分からない。



伊賀上野城



えらく立派な天守(左写真)だが、オリジナルは建てた直後に台風で崩壊。それ以来再建されないまま明治維新を迎えたらしい。現在の天守は、大正時代に復元されたもので、珍しく木造。復元のいきさつも、地元出身の国会議員がある功績で地元民から銅像を寄進したいとの申し入れを受けた時に、「自分の銅像なんぞ作るくらいだったら、その金を使って念願の上野城天守を復元したほうがええじゃん」ということで、自らも資産を寄付して復元されたものらしい。
大した事もしていないのに銅像を作って良い気になっている数多の政治家に、上野城の石垣を煎じて飲ませてやりたい。まったく。

飯を食おうと、上野駅の方向に行こうとしたら、城のすぐ側にまたも古本屋を発見。もちろん突っ込む。すぐ目の前に中学高校がある為、えらく若い品揃えの店だった。

飯屋をさがすも、上野駅前はえらく寂れていて、唯一まともそうだったうどん屋も行列ができていたので、結局ラーメン屋でラーメンを食う。それなりに自負のあるラーメン屋で、スープも鰹出汁、麺も自家製と気合いは入っていたものの、出汁がきつ過ぎて後味が悪いラーメンだった。道理で昼時の店に客がいない筈である。


そのまま名阪国道に戻って、西名阪から近畿、中国、山陽経由で帰る。土曜日の昼過ぎの逆向きだったので、ほとんど車がいなかったので、上野から2時間半ほどで寮に着く。普段からこれなら高速料金も素直に払うのだが。


しかし、一人で城を攻めるのは、やっぱりつまらない。同行者大募集。

戦果
	攻撃対象	2城

	うち 棄権	0城

			2城	攻略



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