CAMPAIN OF GUAM


今度はグアム。


12月13日(木)

午後6時45分に成田空港Hカウンターに集合という事で、昼までは仕事に行こうと、荷造りをして適当なコインロッカーにでも荷物を預け、仕事が終わったら荷物を拾って中央図書館で本を返却し、そのまま地下鉄で新神戸まで行って新幹線で上京しようと目論んだものの、いきなり朝から雨。
こんなことなら休んでおけば良かったと後悔するが、仕方なく荷物をコインロッカーに入れて出勤したが、会社に辿りつくまでにもかなり濡れる。こんなんで図書館まで大荷物を抱えて歩いていたらずぶ濡れになるんじゃないかと、朝から鬱になる。

いつもはだらだらと食っている昼飯を10分ほどで食い、大急ぎでコインロッカーまで向かう。雨は大分収まったものの、それでも降るのは降っているという中途半端な状態で、時間も無いので大荷物に傘という難しい格好をしながら早足で歩いていく。荷物が肩に食い込み、汗が流れる。こんな事なら先週の内に本を返却しておけば良かったと後悔する。
無事に返却も終わり、大倉山の地下鉄駅に向うと、駅にロッカーがあったのでがっくりと来る。これなら朝にここまで来ておいてから、ここに本以外の荷物を置いて会社に行っておけば、少なくともあんな痛い目には遭わなかった筈である。

新神戸駅13:18発の新幹線で上京。前の方に訳のわからない20人くらいの学生の集団が乗りこんで、大騒ぎを始めたので鬱になる。
やっとのことで東京に着き、成田エクスプレス35号に乗るも、こちらは保育園状態で、更に鬱になる。

雨といい、馬鹿騒ぎといい、保育園といい、何か悪い事しましたか?
これで飛行機が霧の為に飛ばなかったら笑い話にしかならないなと考えたりもしたが、現実になりそうだったのでそれ以上考えるのは止めておく。


6時過ぎに着いて待っていると、Oさんが6時半頃、Mさんが7時過ぎに到着。ところがMさんは何故か背広姿。話を聞くと、職場からそのままやってきたとの事。ジャパニーズビジネスマンの鏡である。霧で飛行機が欠航という事も無く、まずは安心ということで、チェックインを済ませて軽い夕飯を食う。タイ風カレー。中々に面白い味がした。


左:スーツ姿のMさんとOさん、右:本当に背広


21:00離陸。遅い不味い夕飯を食い、映画を脇目に、少し話をしたり居眠りをしたりして、現地時間1:00頃にグアムへと到着。
入国手続きの際、前に並んでいた女性2人が書類の書き直しをくらっているのを笑っていたら自分も書類を鉛筆で記入していて書きなおしをさせられ、OさんMさんを5分近く待たせてしまう。荷物を受け取り、ロビーに集合。サイパン空港よりかは断然に良い設備なのには感心する。他の飛行機の人とかを待っている内に、2:00頃になってやっとバスに乗り込む。
やたらと荒い運転のバスに怯えつつ、10分ほどでホテル街へ。日本語のあまり通じないガイドの言葉に勘違いして、別のホテルで降りたりしながらも、無事に目的のホテルに到着。それほど良いホテルではなかったが、ともかく荷物を解いて風呂に入り、午前3時過ぎには就寝。




12月14日(金)

グアム旅行の中の楽しみの一つに、「デデドの朝市」があった。所謂フリーマーケットで、週末の土日の朝6時から10時くらいまで、地元民が色々なものを持ち寄って市を立てるらしい。衣類から食料まで色々なものが揃うので、是非行って見ようと思っていたので、午前3時に就寝したばかりだと言うのに、午前6時にはきっかりと目を覚ます。
OさんMさんは眠いのと興味の無さも手伝ってか、明日で良いから今日は寝ると起きようともしない。折角のグアム旅行なのにもったいないと、ともかく自分一人だけで行く事にする。
地図で大体の位置の見当をつけると、大体3,4キロの道のり。だったらタクシーなんかに乗らずに、朝の散歩がてら徒歩で行くのも面白いかと歩く。さすがに午前7時の街には車や人の影も少なく、まだ気温も高くなっていないので気分も良い。途中のセブンイレブンで水を購入し、坂道を更に登っていく。マイクロネシアショッピングモールの横を曲がり、近道の為に住宅地に入り、ひたすらに歩くのだが、目的地周辺に着いても、人だかりや車の列といった前兆というものが全く感じられない。
おかしいな、近道をして道を間違ったのかと思いながらも更に進む。が、そうこうしている内にスコールが降ってきた。雨宿りできるような場所も無く、ずぶぬれになりながら歩く。素足にホーチミンサンダル(かかと付サンダル)なので、靴擦れが出来て痛み始める。ホテルを出て1時間を過ぎた辺りで、さすがに諦めて帰る事にする。
足が痛いので、タクシーでも拾えればと考えても、早朝なので流しのタクシーすら滅多に走っていない。突っ立っていても何なので歩いていると、進行方向へ空のタクシーが走って行く。10分ほど歩いてマイクロネシアモール前の交差点まで辿りつき、ここでもタクシーを探すが、開店時間の10時までにはまだ1時間もあるのに、タクシーが来ている筈もない。
がっくりしながら来た道を帰っていると、向かいから空のタクシーがやってきた。大急ぎで停めて乗せてもらう。
タクシーの運ちゃんも、さすがに旅行客があんな場所をあんな時間に歩いているのを不審に思ったらしく、何をしていたのかと尋ねられたので、デデドのフリーマーケットを探している旨を答えたところ、「フリーマーケットは明日ね」と片言の日本語で答えられて、はっと気が付く。そうである、今日は金曜日。マーケットは土日の早朝であり、今日行ってもやっている筈が無いのである。「今日が土曜日だと勘違いしていた」と片言の英語で答えて、二人で大笑いする。
9時過ぎにホテルに帰りつく。遅くなったから二人とも起きて待っているのかと思ったら、2人ともまだ寝ていた。起しても起きないので、足を洗って自分も休む事にする。まだ初日が始まったばかりだというのに、足には豆や擦り傷が数カ所も出来ていた。


左:歩道が無い(白い所も車道)、右:放し飼いの鶏


9時半頃に起床。とりあえず飯を食いに行こうと外に出るが、朝食をやっているところが少ない上に10時頃で一旦店を閉めてしまうところが多くて適当なところが見つからず、一度ホテルに帰ってから泳ぎの準備をして、DFS付近までバスで移動して、バーみたいな所でハンバーガーを食う。
トレディショナル・チーズバーガー9$とアイスティー2$。ハンバーガーは肉が焦げていて、それほどの感動も何も無かったどころか不味かった。そうこうしている内に、付けていたコンタクトレンズが上手く嵌っていないので付けなおしていると、上手く付けられず予備の2個を駄目にして、ぶち切れそうになる。目が小さい上に奥目で二重、更に恐れてすぐに瞬きしてしまうので、大きなソフトレンズだと中々上手く嵌められないのである。こんなことなら作るんじゃなかったと思うが、シュノーケリングの為だからと我慢する。

ホテル・ニッコーまで更にバスで移動して、プライベートビーチ脇から、ガンビーチへ移動。適当な場所にベースキャンプを張って、早速泳ぐ。
風が強いのと丁度引潮の時間だったのとで、思うように動けない。波の高い環礁端まで行くと、それなりに綺麗な珊瑚が見えて良かったとの事だったが、救命胴衣も無く泳ぎにも自信が無かったので行くのは止めておく。そうこうしている内に強い陽射にもやられて戦意喪失し、2時間も居ない内に撤退する。


左:ガンビーチ、右:出撃するMさんとOさん



ハコフグ


一度ホテルまで戻り、シャワーを浴びて砂を落す。午後5時前に再度出発。マイクロネシアモールへ買い物をしに行く。一通り回っていると、靴が安くなっていたので購入。それまで履いていたホーキンズ(これも八十八箇所の時に購入)はボロボロになっていたので、そのまま履き替えてゴミ箱に捨ててしまう。
モール2階のフードモールで、軽い食事を摂る。3人とも別々の店でランチを購入。Mさんは中華料理、Oさんは中華風チャモロ料理、自分はタコベルのタコス。程々の値段で量だけは多く、4$のタコスセットで、タコスが3つとサイズL(500ml)のドリンクが付いていた。


左:ホテル前のバス停、右奥がホテル、右:タコベルのドクターペッパー(L)


1時間ほどぶらついて、またバスに乗ってDFS方面に戻る。
DFSやその周辺の店々をぶらぶらと見て歩く。
ゲーセンがあったので入ると、どう見ても日本製でないゲーム機が色々と入っていた。変なものが多く、実際にパンチやキックをすることによってキャラを操る鉄拳もどきに、ハンググライダーのシミュレーションゲーム、モーター付スケボーでコースを走るゲームなど派手で荒い物が多かったが、中でも極め付きは気球ゲームで、高さ5mほどの高さを上下する座席に座って敵の気球を撃って進むゲームで、やってみたかったが手持ちが無かったので見るだけしかできなかった。中国製だか韓国製だかわからないけど、出来は荒いけど着眼点の面白いゲームがこうして色々と出て来ていると言うことは、後5年もしたらゲーム産業もこうした国々に取って変わられてしまうのではないかと心配になったりする。


左:鉄拳もどき、右:気球ゲーム



グアムのバイクのナンバープレート。信じられない場所についている。


8時過ぎにフライデーというファミレスっぽい所で酒を飲む事に。17$のつまみセットに各自アルコールを注文したが、頼んだ生ビールは泡が少なくビールと言う感じが無く、セットの中にあったフライが実は青唐辛子のピクルスのフライだと言う事が後から分かり、辛さにヒィヒィ言いながら追加の飲み物を注文する。ともかく、対応も良く、味も普通の良い店だった。


ホテルに帰って風呂に入り、だらだらとして12時頃には就寝。




12月15日(土)

今日こそデデドのフリーマーケットへ、と気合を入れて午前6時半には起きたが、MさんOさんは何度起しても起きてくれず、仕方なく自分一人だけでデデドへ向う事になる。
ホテル前でタクシーの運ちゃんと話をして、往復30$で手を打つ。昨日苦労して歩いた道を苦も無く走り、あっという間に到着。1時間半ほどで迎えに来てもらうようにして、早速マーケットへ。



このマーケットに来た目的としては、
(1)地元屋台料理を食う
(2)米軍基地からの放出品
(3)地元の怪しい民芸品
の3点を主なものとし、とにかくさくさくと見て回る。
本当にフリーマーケットという感じだった。飛んでも無いガラクタからガラクタに近い日用雑貨品、新鮮な野菜に果物に魚、植木から車のパーツまで何でもありだった。
胡蝶蘭が10$で売られていたのを写真に撮ろうとした時、借り物のカメラのパーツが落ちてしまい、その植木屋の前で15分近くパーツ探しをする羽目になる。冷や汗と普通の汗で、Tシャツが汗まみれになってしまったが、何とか無事に見つけ出し、ホッと一息つく。
かなりの広い範囲に店があったものの1時間ほどで回り切り、残りの時間は近くのスーパーマーケットで買い物などをして時間を過ごす。そうしている内に迎えのタクシーが来て、ホテルへと帰る。
戦果としては、アーミーナイフ:25$、ガスマスクカバー:8$を始め、食品は粽、春巻、細い春巻、揚げ大福、揚げ肉パイ、掻揚で5$ほど。粽は日本で見るような素の粽で、ほんのりとココナツミルクの甘さと油分が入っていた。細い春巻は出来たてで香ばしく、揚げ大福の餡は小豆でなく緑豆が使われていて味が変わっており、掻揚がそのもの日本の掻揚と変わらず食うのに苦労した他はそれなりに美味かった。


9時過ぎにOさんMさんも起床して、ホテル2Fにある中華料理屋で朝食を摂る。バイキングで外国人向けにトーストやスクランブルエッグ、ベーコンなどが置かれていてがっくり来るが、良く探すと中華粥に塩卵があったので早速持っていって食べる。塩卵は丘○○の「食は広州に有り」に出て来て存在だけは知っていたが、実物を見るのは始めてだった。家鴨の生卵を塩や泥、籾殻に漬け込んだ物で、これを茹でて粥に添えたりするらしい。言わばピータンの親戚みたいなものである。ただ、ピータンよりもアンモニア臭く、失敗かなという感じであった。ただ、粥そのものや支那竹や湯葉の他の付け合わせは美味しかった。また2週目としてホットケーキに炒飯、炒菜を食べて終了。


10時半頃、ホテルに近いビーチへと行く。昨日の風と砂と陽射にやられた反省から、ビーチパラソルとチェアーを借りる。強い風でパラソルが度々お猪口になったり、砂も飛んでは来たものの、それでも日陰でゆっくりと休めた分、昨日よりかかなり益しになった。
潮の引く時間帯で浅く、また潮の流れが強いので泳ぎ難いのには変わらなかったが、それでも大分沖まで出ると珊瑚が綺麗で、魚も熱帯魚から鯵まで色々な魚を見ることが出来た。


左:凶暴なカラフルかわはぎ、右:珊瑚の中の魚

また日陰でゆっくりと休めたので、午後3時ごろまでだらだらと泳いでは寝てを繰り返した。途中、コンタクトが外れて嵌めなおすのに四苦八苦したが、十分に楽しめたと言って良いかもしれない。


ビーチ。人がほとんどいない


ホテルで砂を落して少し休み、午後5時ごろにグアム・プレミアムアウトレットへと向う。アウトレットと言いながら、普通のショッピングモールで、昨日のマイクロネシアモールと変わり映えがせずにがっくりくるが、一応一通り見て回る。また昨日と同じくショッピングモールで軽い夕食。MさんOさんはピザ、自分はフィリピン料理のディッシュを取る。中華料理かと思っていたらフィリピン料理で、豚足煮込み、豚耳炒め、豚モツ煮込みの3種類のおかずにチャモロ風飯で7$、これにフィリピン風善哉3$に烏龍茶2$で12$もかかったが、美味かった。


フィリピン料理

フィリピン料理特有の酢の利いた味付けで、豚耳はそうでもなかったが豚モツと豚足の煮込みは美味しく、特に豚足の方はかなり美味かったといっても良いくらいの味だった。善哉も変わっていて、白玉にバナナに芋、それにタピオカまでが、何かの餡とココナツミルクのどろりとした汁に入っていた。甘ったるいけど面白い味で、わざわざ3$も出して良かったと満足する。

夕焼などを写真に撮りながら、またバスに乗って移動。日が暮れるとあちこちに飾られている電飾イルミネーションが映え、別世界にいるような感覚になる。



DFSまで戻って買い物をして、昨日と同じようにフライデーで夕食を摂る。

あまり腹も空いてないと言うことで、大皿2皿に各自ドリンクという事で注文をするが、その時に昨日貰ったサービス券の存在を思い出し、慌てて渡したところ、一皿サービスしてくれるとのこと。量が多くなるので心配もあったものの、サービスなのだからと高をくくっていたら、30cmの大皿が3つも出てきて驚かされる。
モッツァレラチーズのフライ、チーズ載せベイクドポテト、手羽先の焼鳥、そして付け合せのセロリの載った19$の皿に、シュリンプフライ数匹と大量のフライドポテト、そして茹でたブロッコリーの皿、それにサービスだという山盛りのタコス・チップスにミートソースやチーズをかけまわした皿と、テーブル一杯に揃いも揃って味の濃そうな料理が3皿も並ぶと、すでに満腹に近かった自分は特に恐怖を覚えた。
「こんなきつい食事は、上海での新羅飯店以来ですね」と軽口を叩いたりするものの、料理に手が伸びない。「おら、食えよ」と脅されながら無理矢理食うのだが、ことごとく油にチーズにと濃い料理で、特にタコスチップスは「吐きそうな時に一番食べたくない料理No.1」なだけあって、一口でも食えば吐いてしまうのではと中々手がつけられない。それでも「残すんじゃねぇよ」と脅されながら、何口かは食べてみたが、矢張り来るものがある。何とか流し込もうとペプシを注文するも、大きなコップの割りに氷がほとんどを占めているのですぐに無くなり、といってあまり食っても無いのに飲物だけ注文するというのも気が引け、溶けた氷で水分補給しながら、もくもくと食べる。大食いチャンピオンのクライマックスの様な食事は、1時間以上も続いた。


結局、自分ではほとんど食べなかったが皿は空になった


食い過ぎでフラフラになりながらホテルへ帰る。さすがに土曜日の夜ということで、街にはごつい体の米兵で溢れていた。小川みたいな体格した兵隊ばかりのアメリカに、喧嘩を売る奴の気が知れない。


午後11時には就寝するものの、午前1時頃までうだうだと話をする。その内に疲れて寝入る。




12月16日(日)

午前3時にモーニングコール。午後4時に迎えのバスが来ると言うことで、慌てて準備。
10分ほど遅れてバスが到着。来た時と同じ運転手。運転もいいかげんだが時間にもいいかげんだ。
搭乗手続きを終わらせて、出国手続きの後の手荷物検査で、鞄に入っていた小さなナイフが引っかかる。いつも鞄に入れっぱなしにしてあるナイフを、念の為に別のバッグに移しておいた筈だったのに、どうやら移し忘れていたようだった。回りには拳銃を横に下げた米兵も何人か居り、日本とは違った緊張の中、別途管理してもらうよう手続きを御願いする。入国手続きの鉛筆記入に続いてのチョンボだ。
5時半には暇になり、7時の出発までうだうだ。胃がもたれるので、Oさんに胃腸薬を貰う。


6時半を過ぎた頃に日が昇り始め、やっと朝だという実感が湧いて来る。その内に搭乗が始まり、飛行機の中へ。
寝入ってしまい、ふと気がつくとすでに離陸していた。不味い朝食を食べた後も睡魔が襲い、居眠りしたり映画を見たりしている内に成田着。
京成線で日暮里まで出て、JRに乗り換えて秋葉原へ。ここでOさんと別れる。秋葉原駅前のコンビニで大部分の荷物を宅急便で送付して、Mさんと秋葉原巡り。何軒か回った後、台湾ラーメンの店でラーメンと水餃子を食う。値段さえもう少し安ければなかなか、という味だった。
ジャンクを漁る為、Mさんと別れて更にグルグル。先週のThinkPad365はすでに無く、他にこれと言った物も無かったので、60GBのHDDとノート用の1.3Gのノート用HDDを買って、秋葉原を後にする。


新幹線で新大阪まで。寝ていた為にほとんど記憶が無い。それから新快速に乗り、さらに普通で最寄駅へ。夕食を買ったりして午後8時ごろにやっと帰宅。



総括

2年前に行ったサイパンよりかは、グアムのほうがスマートである。が、全体には似たようなもので、怪しげな日本語があちこちに溢れていたのには変わりが無い。海はサイパンよりも綺麗だったのは気のせいか?単に客がテロの影響で少なくて、それで綺麗だっただけかもしれない。

今回は丸2日しか滞在できなかったので、とにかくシュノーケルをする事にのみ目的を絞ったので、それに関しては十分に楽しめた。ただ、お決まりの拳銃ツアーや史跡巡り、夜の遊びと言った物は一切無かったので、それはそれで寂しいものもあるが、やればやるだけ金も食うわけであり、おかげで土産物を除くと、1万円くらい出費だけで済んだ。


それから思うのは、ああ言うところはカップルで行くのがベストである。ひと気の無い海、夜の綺麗な電飾、豊富なショッピングモール、等。まあ、本来そう言うところなのだから当たり前なのだが、居ないと寄り一層身にしみる。


結果から見ると、総額7万円弱であれだけ楽しめれば、良かったんじゃないでしょうか。
次回は台湾か。






目次へ