ヨーロッパ 物欲の旅 その1 〜低地諸国〜

平成16年7月17日〜25日



○7月17日 関空→香港


消失点のある香港空港の通路

1800に関空のカウンターに集合してから香港に到着するまで約5時間。今回は数万円をケチってキャセイパシフィック航空(安売りの代名詞)にしたのだが、この片道5時間の価値を良く良く考えると、素直にKLMで直行(もしくはフランクフルトでルフトハンザ)しておけば良かったと後悔する。とにかく香港に着いた時点で、すでにかなりやられていた。

香港空港の待合室で、どこの国の人だか判らない人々(失礼な話だが、本当にどこらへんかも判らない人が多かった)を見回しながら、これから更に12時間も飛行機に乗るのかと、うんざりしていた。

気付き事項:
・関空→香港までは客が少な過ぎ。本当にやばいよ、関空。
・夜に飛んだので星が綺麗だった。
・香港国際空港は初めてだったのだが、乗換え口が判らずに迷う。英語もまともに喋れず困惑する。結局、秘密クラブの入り口みたいな所を経由して行く。そんな所わかるか。
・香港国際空港内は、HKドルなので何も買えなかった。いや、カードを使えば良いのだが、コーヒー1杯を飲むのにカードは使うのは嫌だ。せめてドルかユーロくらいは使えるようにしていて欲しいものだ。
・機内食が一食出た。肉と魚と出ているが、明らかに中華とそれ以外。スキポールまでは注意を要する。中華な機内食は、へんてこなメニュー(蒸した白身魚の餡かけ、インゲン豆のニンニク炒め、ジャスミンライス)だったが、それなりに美味かった。



○7月18日 香港→スキポール(オランダ)

満員。関空→香港の、人が数えられる程の余裕が懐かしく思える。
とにかく、時間が経たない。時計のネジが切れてるんじゃないかと言うくらいに、時計の針が進まない。もう、ヨーロッパに着く前から駄目になっていた。

機内食その1(夜食?):
鶏肉と胡瓜のソテー、インゲン豆のニンニク炒め、ジャスミンライス、サラダ、プリン、パン、バター。
キャセイパシフィックは予めメニューを置いていてくれるので、中華とオランダ飯 肉と魚の選択が可能で助かる。間違っても向こうに着くまでに向こうの飯は食いたくない。

機内食その2(朝食):
袋茸入り焼きそば、鶏の粽、フルーツヨーグルト、クロワッサン、バター、ジャム、梨、西瓜。
クロワッサンというのは初めてだが、あまり美味いとは思えなかった。普通の機内食の丸パンの方が余程美味しい。



○7月18日 スキポール

0650着陸。ようやくヨーロッパ。入国手続きもあっさり終了。
取敢えず、ブリュッセルまでと、ブリュッセルからベルリンまでの切符を買わなければならない。貴重品の入ったウエストポーチに鍵まで付けて、用心しながら切符売り場へ。
予めメモ帳に書いてきた行き先と切符の種類を見せると、すんなりと購入できた。150ユーロ。
ブリュッセルまでの切符は、いわゆる自由特急券で、今日一日好きなときに乗れるらしいのだが、ベルリンまでの夜行寝台の切符が判り辛い。「KL.2」というのは二等車という所までは理解できるのだが、その次にある電車のマーク下の「93」というのがわからない。車両番号なのか、それにしては93両目というのはおかしい。またその右にある「BOVEN:66」というのも意味不明。座席番号?。とにかく、まあ、その時に考える事にする。


判り辛い寝台車の切符



切符も購入できて、ブリュッセルまでの列車の時刻とホームも確認したので、朝食。オランダではかなり美味しい部類に入るというバーガーキングでハンバーガーでもと思ったが、胃が悪いのと(当時は胃が痛かった)、値段が高い(ハンバーガーセットで7ユーロくらいした)ので、コンビニみたいな所でチョコレートと牛乳を買って済ませる。



左:ICの車内の様子、右:オランダの地平線と牛

0740発のICでブリュッセルへ。
以前に上海から蘇州へ電車移動した際に、見る風景が地平線上の田んぼと集落しか無くてカルチャーショックを受けた事があったが、今回も地平線上の牧草地と麦畑と街しかなくて、いい加減に嫌になる。森はあっても山は欠片も無い。

ロッテルダム駅のホームで、おばちゃん(一応金髪)を送りに来ていたおっちゃんが、窓越しに話をしながら紙袋をもって何かしている。よく見ていると紙巻煙草を作っている。器用なもので、用紙に曲げ跡を付けて、刻み煙草を載せ、葉の量を調節して、丸めて、巻紙の端を舌で舐めてくっつける。昔に「トムとジェリー」でやっていたまんまである。しかもひょうきんな身振り手振りをしながらで、駅員に見られて肩をすくめたりと、見ていて飽きなかった。動画で撮ろうかとも考えたが途中からになるのと、さすがに外人相手でも失礼なのとで諦めた。

また、どこかの駅で、大量にボーイスカウトが乗ってきて、肩身の狭い思いをする。ここにもいじめ、というか付き合いがあるようで、自分の右に座ったとっぽい少年は、30分間誰とも話してもらえていなかった。がんばれ。


1030頃にブリュッセルの南駅に到着。

早速、コインロッカーに荷物を入れようとするのだが、両替機が無い。トイレに入って小銭を崩して(こっちは有料)再チャレンジするのだが、入れたコインが戻ってくる。故障?
同じように困っている日本の老人集団と話をするも判らない。別の安いロッカーが空いていたのでやってみるが駄目。その内、2ユーロ硬貨を先に入れると上手く行く事が判明する。基本的操作は英語表記もあるのに、肝心なところで判り難い。また、こちらのロッカーは鍵式でなくて、暗証番号が小さな紙辺に印刷されて出てくる。さすが盗難大陸だけあって、鍵穴だとこじ開けられてしまうからだそうだ。


荷物も軽くなったので、蚤の市の行われているジュ・ドゥ・バル広場へと徒歩で移動。
近いからと思ったので駅から歩いたのだが、殆どアラブ系住人ばかりで怖かった。見た目で人を判断するのは悪い事だと教えられていても、実際に周りを囲まれたら日本ででも怖い。とにかく無事に広場へ到着した。


左:蚤の市、右:骨董市

蚤の市。
こればかりは日本とあまり変わらないが、基本的にガラクタばかりで骨董的なものは少なく、フリーマーケットといった方が良い。
腕時計は2店ほど扱っていた他は無し。迷ったが、錆びてない方を購入するのだが、10ユーロにしては悪い物を買ってしまう。錆びた方にしておけば良かった。
他に、1m四方くらいの狭い板の上に旧ドイツ軍関連(主に親衛隊)の品を売っているじじいが居た。徽章が殆どで物が判らなかったが、親衛隊の短剣(黒)は一目で判った。値段を聞いてみると150ユーロ。そのものの価値としては安い方なのだろうが、刃が鋭すぎて偽物の匂いがしたのと、鞘がついてなかったので止めて置く。(が、後で猛烈に後悔する。)

30分ほどで切り上げて、今度はグラン・サブロン広場の骨董市へと向かう。こちらも徒歩だ。


出発前に、Iから現地の気候を聞いておいたところ、「日本の10月並。ただ、偶に夏日が来るからTシャツも持っておいた方が良い」と言われたのだが、この日は30度近い気温まで上がる。Tシャツだけなのだが、歩いていると汗が出てくる程に暑い。

やっと広場に着くが、内容的には蚤の市の方が面白かった。形式的な店が多く、掘り出し物とかそういうのとは遠い雰囲気だった。

1日券を買って、地下鉄でMERODE駅へ移動。本日の最後の目玉である、軍事博物館だ。



MERODE駅を出ると、西にデデーンとドデカイ公園が控えている。博物館の場所も抑えたので、12時も回った事だし、あまり腹は空いていなかったが昼飯にする。
駅前には何軒かのカフェが並んでおり、本場ベルギービールを飲みながら(欧州では比較的まともな味がすると言われている)ベルギー料理でも堪能しようと、店の前に出されているメニューを覗き込むのだが、ベルギー語(フランス語?)の為に殆ど読めない。5分くらい固まってしまう。

どうにか「ステーキ」とか「スパゲティ・ボロネーズ」、「フィッシュアンドチップス」という文字は解読出来たが、昼間からステーキのような高級品(15ユーロ)を食べるのも気が引けるし、スパゲティもいいけど「ボロネーズ」というのが気にかかる。こんなのは普通場末の喫茶店にしか出てこないメニューだ。フィッシュアンドチップスは論外。「これは、食う物が無いんじゃないか…」と心配になって来る。
と、そこに飛び込んできたのは「ナゲット」と「バーガー」という文字。それまでの言語的ギャップからナーバスになっていたからか、「ああ、もうハンバーガーでいいや。ナゲットもつけたらつまみにもなる」と、値段も5ユーロ、7ユーロとお手軽だったので、つい注文をしてしまう。金髪の若いウェイトレスが「これで本当にいいの?」てなニュアンスで聞き返して来る。本人が良いって言っているんだから良いんだよと、にこやかにOKと答える。
ただビールを飲みながら冷静に考えると、ハンバーガー食べるんだったらマクドナルドを探して入っていたほうが、余程安く食べられる筈だ、と気が付く。ステーキでも良かったか、と後悔するが仕方が無い。


左:ベルギー語のメニュー、右:バーガー&ナゲット

と、出て来たのがこれ。
そうか。バーガーってハンバーグの事か。しかも同じセクションにあったから、付け合せも全く一緒。注文をした時にウェイトレスが聞き返した理由が漸く判る。
しかも、ハンバーグが不味い。肉汁が抜けてパサパサなのに、生焼け。どうやったらここまで不味く調理できるのだろうか。もしかしてベルギーは料理が美味いと言うのは偽情報だったのか?(後日、「オランダと比較して美味い」というだけで、ベルギー自体は飯の不味い国である事が判明する)。そして目の前に広がるフライドポテトの野原。堪らなくなってビールをもう一杯注文する。引き下がるわけにはいかない。徹底抗戦だ。
付け合せのマヨネーズで誤魔化しながら、どうにか全部平らげる。胃の調子も悪いのに、こんな見慣れた不味い料理を詰め込んで、しかもビールを2杯も飲んでしまった為に全部で17ユーロくらいかけてしまった。これなら本当にマクドナルドを探した方が良かった。



○ベルギー王立軍事博物館
写真多数。
広い敷地の中に、20機以上の飛行機、10台以上の戦車、無数の大砲、その他多数を展示している。19世紀からの軍装品の展示にも力を入れており、飯盒の変遷も辿れて面白い。当然にガスマスクの展示も多く、他の兵器同様にバシバシと写真を撮り捲くった。

軍事博物館、WW1の迫撃砲、19世紀のカノン砲


19世紀末の初期の後装砲、初期の機関銃の一種、20世紀初頭の野砲


砲盾付き野砲、同左、WW2の25mm対戦車砲


塹壕戦体験ゾーン、重砲(WW1)、クルップの75mm野砲(38式野砲の元)


珍しい砲盾付きの野砲(WW1)、野砲の群れ(WW1)、重砲の群れ(WW1)


組み立て式の重砲(WW1)、同左、個人装備品(WW1)


野砲改造の初期の対空砲(WW1)、同左、戦車(WW1)


マーク1とトロッコ式移動砲(WW1)、40mmポンポン砲(WW1)、航空機搭載の小口径砲(WW1)


ヘッツァーとジャンボ、英国試作戦車、M26


グラント、4号、JS3


マチルダ、ファイアーフライ、アーキュリー(だったっけ?米軍のM10の英軍版)


A26、航空機の展示風景、WW2独軍のクラスター爆弾


W型航空機用エンジン、右が航空機用ディーゼルエンジン(Jumo205)、同左のカット側





最後にミュージアムショップに行って驚く。軍事書籍が多いのもあるのだが、ベルギー国内の要塞に関する書籍だけで1コーナー作っているのだ。しかも半分くらいがコピー本。これだけ要塞に対して熱い国があるのである。更に、お隣フランスのマジノ線のカラーイラスト本まである。各守備隊の服装や徽章に関する事まで、事細かに記載されていた。全3巻で大きい上に1冊60ユーロもするが、ここまで詳細なマジノ戦に関する資料は図書館ですら手に入らないがフランス語で書かれており、文章が読めないものを買っても価値半減なので泣く泣く諦める。代わりにベルギー国内の要塞の図面集を40ユーロで購入。何故かレジのおばさんが笑っていた。


閉館時間である4時半が近づいたので出る。
ベルリン行きの寝台特急の発車まで、後7時間もある。他にこれといって見るところも無いので、一番の観光地であるグランプラスに行ってみる。


これと言って見るものも無い。ただ歩き回って足が疲れてきたので、バーでビールを飲んで休憩。そしてまた歩き。アイスクリームとベルギーワッフルが美味しそうだったので食べてみるが、日本で食べるのと比べて、そんなに美味いというわけでもない。

広場ではクロケット?のような球技をしている。歴史的なものなのだろう、周りには多くの見物客が居る。そうしている内に夕立になる。慌てて雨宿りをする。5分ほどで晴れる。

そうこうしている内に、6時を過ぎ、閉まる店が多くなってくるが、それでも出発までまだ6時間弱もある。肉体的にも精神的にも疲労が濃くなってくる。


一度、荷物を置いたベルギー南駅へと戻る。そして駅の待合室で本を読んで時間を潰し、午後8時過ぎに再度グランプラスへ出て、夕食にする。



グランプラス、ソーセージとマッシュポテト

地球の歩き方に載っているケルデルクという店で、ベルギー料理を食べようと考えていたのだが、店の入り口の前には4人くらい並んでいる。心身ともに疲労していたので、その後ろに待つ気力も出ず、またそういう人気のある店に一人で入るのもなんだったので、二つ横の店に入る。客、他に1組しか居ない。選択ミスか。
気を取り直して、ソーセージの盛り合わせ(白と血)とビールを注文。ウェイターも暇なのか、駄弁ってばかりいる。心配になってくるが、といって他の店に移動する気力も無い。

血のソーセージは初めてだったが、レバーソーセージというような感じの味がした。それ程悪くは無い。白いのも普通に美味しい。またソーセージはこんがりと焼かれており、茹でただけのものよりも、肉らしいパンチが効いていた。しかし、付け合せのマッシュポテトが最悪。バターや生クリームといった油脂系の物がたっぷり入っていて、脂っぽいソーセージとバランスが取れていない。胃が悪い所に脂々したものは、どうにもきつく、半分も食べていないところで早くもギブアップしそうになる。
しかし、そこは貧乏人、肉ぐらいは残すまいと、脂汗を流しながら食べきる。ビールももう1杯追加。変なのを頼んだら、ブドウジュースみたいなビールが出てきた。
最後にエスプレッソが出て、締めて18ユーロくらいだったか。せめてこれが2人だったら、もう一品サッパリとした物を注文して分け合えるのだが。


再びブリュッセル南駅へと戻る。グランプラスとの移動には地下トラム(路面電車)を使うが、白人は半分くらいで見た目の治安はかなり悪そうである。ここはアメリカのダウウタウンかと思わせるような、不気味さを感じた。
再び1時間半ほど待合室で本を読む。深夜で人も減るのかと思えば、殆ど変わらない。大きな駅とはこんなものかと感心する。


ホームに上がると、バックパッカーが大勢居た。宿代と移動費を考えたら、寝台特急と言うのはかなりお徳なのだろう。
ただ不安なのは、自分が乗る車両が何号車かと言う事。「93」というのが本当に車両番号なのか。下手をしたら列車の端から端まで移動しなければならなくなる。


ブリュッセル駅のホーム、大垣夜行待ちを髣髴させる

電車が入って来る。パリ発でブリュッセル始発では無いので、停車時間は短い。列車から降りてきた車掌を捕まえて、切符を見せる。本当に「93」が車両番号と言う事が判る。しかしそれは最後尾らしく、慌てて4、5両分程走って乗車。


次にコンパートメント。「66」というのが自分の座席番号らしい。その番号を含んでいるコンパートメントに入ると、白人の親子と、黒人の若い兄ちゃんの3人が居る。しかも66番のついた最上段の寝台には、その白人の子供が寝ている。半分パニックになる。

何をどうして良いのか判らなくなって突っ立って居ると、「何だ、この東洋人は?」というような感じでじろじろと見られる。その内に、こちらの事情をようやく理解してくれて、子供が寝台を空けてくれたのだが、生温くなっていた。しかも向かいの寝台はドレッドヘアーの黒人兄ちゃんだ。
3人はフランス語っぽい言葉で喋っている。家族か、それとも知り合いで一緒に旅行しているのかと思ったのだが、降りる駅が別々だったので偶々話していただけなのだろう。横の兄ちゃんが、こちらの挙動を見て寝台車未経験と勘違いしたのか、英語でちょこちょことアドバイスをくれる。半分くらいは判ったが半分は判らない。身なりも良く、そんなに心配する事も無いのだろうが、こちとらホンマモンの黒人と話をするのは未経験で、しかもドレッドヘア。見た目で差別するなといっても、威圧感は拭えない。
早々に歯磨きをして、貴重品を入れたウエストポーチを腹に抱えて寝る。



しばらくして電気が消える。最上段で揺れるかと思ったが、殆ど揺れなかった。さすがヨーロッパの鉄道である。
これまでの肉体的・精神的疲労がピークに来ていたのか、すぐに寝込んでしまう。






ここから以下のページへいけます。