東近江日帰り遠征(城MLOFF)

平成13年11月18日


城のMLのメンバー10人ほどと、近江の日帰り山城巡りに行く。
半分以上が地元滋賀県の方々だったが、中にはわざわざ関東方面から夜行バスを利用して日帰りで参加している方もいた。しかもこの方は何故か手ぶら(笑)。軽装に越した事は無いけど手ぶらで山登りっていうのは。さすが職業が忍者なだけあります。



高取城


右:放射状の縦掘だけど良く写っていない


こういう道を延々と…



奈良にある高取とは別であるが、標高はこちらの方が上であ る(大和高取583m、近江高取650m)。
以前行われた、同じ城MLの近江オフで登った鎌刃城を案内した地元研究家の方 が、「鎌刃よりもすごいのが更に山の中にある」と今回のこ の高取城を紹介されたらしい。それ以来、地元のメンバーが 何度か足を運んで、城の登り口の確認と図面の手配とを行っ てきたそうだ。
実際、四国の八十八箇所を思わせるような細い林道に入り、 男鬼の集落から更に比婆神社へと登る狭いコンクリ道を車で 進み、神社脇からなおも徒歩で20分ほど歩いた所にあった。

城そのものは、鎌刃城と○城(失念、南の方の城)との繋ぎの城らしいという事以 外はあまり良く知られていない。が、しかし、それにしては 立派な縄張りが残っている。土塁、堀切、井戸跡、虎口に縦 掘、皆な奇麗に残っており、特に推定本丸の東に切られた堀 切は10m近い落差があり、しかも三重に切られている。眺め は雑木で邪魔されるが、それでも葉の落ちた枝の向うには、 湖北の景色がしっかりと見渡された。
ただ、あまりにもそこまでの道が悪いので、ここまで自分の 運転で行こうとは思わない。



野瀬山(長比)城


左:北西、小谷方面を望む、右:南東、濃尾平野を望む


本丸



中仙道を南に見下ろす、標高391mの山頂にある。浅井家が 美濃に対する備えとして作った山城のひとつである。
神社の脇にある尾根道を一気に200mほど登ると、西の郭に 出る。肉厚の土塁に囲まれており、地元教育委員会の資料に は「風をやりすごせるので狼煙台に使われたのではないか」 との記述がある。その西の郭から更にもう少し登ると、東の 大きな郭に出る。
土塁等遺構は残っているが、雑木が多いため景色が悪い。し かし、かろうじて西側と東側とに雑木の途切れる場所があ り、ここからの眺めは比高200mの山城の持つ素晴らしいも のであった。



磯野山城、松尾山砦


左:大堀切、右:磯野山城全景



小谷城の西7km、山本山の北3kmにある標高271mの山が磯 野氏の本城の磯野山城である。磯野山城の南東には松尾山砦 (標高181m)もある。(すみません、1/25000の地図での山の 位置を間違えて指していました>>MLのメンバーの皆さ ん)
山の南にある松尾集落東部の墓場前に登り口があり、「松尾 山古墳」の表示を元に階段を登って行くと、松尾山砦に出 る。が、本日山城も三つ目で、しかも100m近い高さを階段 で一気に登らされたので、遂に足に来る。トラップか。 ただ、登った時には急いでいた事もあり、土橋2つと本丸のC 型土塁らしきものを確定する暇も無く、そのまま磯野山城ま で登り詰める。
城郭大系には「13条の縦掘しか確認出来ない」と書かれてい るが、明らかな掘削地、土塁、堀切などが認められる。た だ、織豊系のものほどハッキリしていないのも事実で、プロ がそう言うのならそうなのかもしれない。
琵琶湖湖畔の山にも関わらず、雑木が生い茂っているので眺 めはすこぶる悪い。本丸辺りを展望台にしてしまった方が、 多少遺構が崩されてしまっても全体的な保全の意味からする と良いかもしれない。

時間になって下山ということになったが、登った反対側から 降りてみようということになり、松尾山砦は通過しただけと なる。本来の大手道があったと思われる南側の斜面を無理矢 理下山したのでえらく疲れたのだが、他のほとんどのメンバ ーは手馴れたように楽々と降りていたのには驚かされる。直 登(山道でなく直接斜面を登る)という登山用語の存在と良い、 山城愛好者の奥の深さを垣間見た思いがした。


午後4時半には解散。集合地である近江八幡まで送ってもら う。
汗で全身濡れてしまったので、駅前のサティで下着とシャツ を購入して着替える。午後7時過ぎに出発して高速に入った が、京都付近の渋滞もそれほどでもなく、2時間ほどで寮に 帰着。
一通りの片付けが終わらせて11時前にはバタンきゅう。 しかし、久しぶりの山三連発で、精神的にはすこぶる満足の 行く一日だった。



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