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★むろらんについて知ってそうで知らないこといろいろある筈・・・★
あなたの知っているむろらんのことも教えてくださいな。

記事番号
内     容
室蘭市内で室蘭に行くという事実
桐屋とサティの関係
高平町3分割の訳 〜八丁平の誕生〜


■室蘭市内で室蘭に行くという事実
001
 室蘭に初めて来た方などは、地元の人たちの話の次のようなやり取りを聞いていると戸惑うことがある様です。
ちなみに、このおばさん方は、室蘭市内を走るバスの中で久しぶりに会った設定になっています。室蘭では良く見かける光景ですね。

おばさんA 「あらー久しぶりだねぇ。これからどこ行くのさ??」
おばさんB 「室蘭に。お金振り込まなきゃないないんだけど通帳作った所でなきゃ駄目だっていうから」
おばさんA 「ああそう。わざわざ室蘭までねぇ。中島じゃだめなのかい??」
・・・以下省略・・・

室蘭の地元市民以外の人がこの会話を聞くと、ここは室蘭なのに室蘭に行くっていうなんて、この人たちなんてとんちんかんな話をしているのだろうと、首をひねるかもしれません。
 しかし、この会話は地元の人が聞けば違和感は別にありません。室蘭市内で室蘭に行くといった場合は普通、中央町や室蘭駅方面へ行くことをさします。これは室蘭のひとつの大事な風俗文化として室蘭市史にも載っています。
 これは、もともと室蘭の中心は今の中央町で、まだ中島を中心とした商店街はなく、新日鉄の社宅しかなかったころからの名残なのかもしれませんね。

■桐屋とサティの関係
002
  上のことに関連して、もうひとつ。
最近室蘭に引越ししてきた方が戸惑う例。
先ほどのおばさん二人に出てきてもらいましょう。

おばさんA 「あらー久しぶりだねぇ。これからどこ行くのさ??」
おばさんB 「桐屋に。ほら今日安売りだってチラシ入ってたじゃない。」
おばさんA 「えっ、知らない。ああそういえば今日まだ新聞読んでないわ。」
・・・以下省略・・・

桐屋とはいったいなんなのか。室蘭に最近来た方はわからないかもしれません。実は「桐屋」とは、「室蘭サティ」のことをいいます。
 「桐屋」はもともと輪西にあった呉服屋で昭和56年の10月に現在の場所に移り以後「室蘭ファミリーデパート桐屋」として営業していました。平成10年の5月にマイカルグループの「サティ化」にともない、その一員だった桐屋も「室蘭サティ」と名称を変更して現在にいたります。
なじんだ「桐屋」という名前を変更するのはどうかといろいろ議論された様ですが、結局室蘭サティとして落ち着きました。このサティ化によって呉服部門も無くなり、「桐屋」という名前は店内のホールの名前としてかろうじて生き残っています。
 しかし、室蘭サティよりも前に「登別サティ」が登別市富岸町にオープンしているために、普通「サティ」というとそれは登別サティのことを指し、「室蘭サティ」のことは今まで通り「桐屋」と呼ぶ人を今でも多く見かけます。

■高平町3分割の訳 〜八丁平の誕生〜
003
 室蘭を地図で見ていくと、高平町が3つに分かれていることに気づきます。これはどうしてこんな風になってしまったのでしょうか。これは八丁平と関係があります。
 屯田兵がこの地を開拓したのは明治3年。当時は作物の収穫は望めないひ弱な土地でした。が、広さが取り柄だったこの土地は、昭和10年には市営飛行場として利用されます。その後、太平洋戦争勃発の影響で軍事用の飛行場として整備されますが、結局戦闘機は飛ぶことなく終戦を迎えます。 それから数十年この地は手付かずのままでしたが、昭和47年に母恋にあった商業高校が高平町(現在の八丁平)に移り、48年に室蘭大谷高校、61年には養護学校など教育施設の充実の影響もあってか、51年からは、高平町・中島本町・天神町・水元町・神代町の5町にまたがる土地区画整備が始まり、平成元年に「海も山も目の前さ」というキャッチフレーズの元に、現在の八丁平の住宅街が生まれました。この八丁平が生まれたせいで、それまであった高平町は八丁平になり、区整備から残った所が現在高平町が3つに分かれている原因なのです。ちなみに平成3年現在八丁平には約2000人もの人々が住んでおり、その数は伸びています。