西薩摩遠征 絶対崩落シラス城 その3

令和5年 1月7日〜9日



徳満城付近から、えびの盆地の夜明け










2023年1月9日

 良く眠れなかったので、とにかく眠い。
 ホテルの朝食。昨日と同じ系列のホテルで、メニューもほぼ一緒。ほぼ同じものを食べる。

 今朝はマイナス6度まで冷え込み、フロントガラスに厚い氷が張っていた。午前7時半に出発。




3日目の行程(国土地理院地図を基に作成)




徳満城


左:北東隅、右:東側の入り口…完全な藪


左:北側の入り口…半ば藪、右:中之城と高城の間の堀…ほぼ藪


左:中之城、右:土塁のように見えるが伐採屑が積まれているだけ


左:高城には入れず、右:中之城の南西下の郭



 今日のラインナップでは一番まともな城だろうと思っていたのだが、すっかり荒れ果てていた。唯一入れた中之城も、木を伐採したまま放置され、イバラが多く生えて移動に困った。中之城の平坦面のあちこちに細長い土塁のようなものがあるのだが、良く見ると伐採した際の屑を積み上げた物だった。城郭放浪記の記事は2015年のものなので、それ以降に伐採が行われたようである。
 シラス城だが、絶壁度はそこまで高くない。






加久藤城


左:加久藤城西側の梅林、右:東側


左:中央北の土塁っぽいもの、右:その脇の集水桝


左:新城西側の郭、右:同左北東縁の土塁


左:新城の中央の堀底道?、右:新城東側の郭



 主郭が神社で一応そこまで車道がついているのだが、登り初めに急な曲がりがあり、アクアでは曲がり切れなかった。車軸の狭い軽トラしか転回不能なのではないか。仕方ないので、その曲がりの近くのスペースに車を置かせてもらって歩いて登る。トンドの準備がしてあったので不安だったが、戻るまで誰も来ていなかった。

 縄張図に加久藤城の中央から東にかけての北縁に土塁が描かれている。実際に土塁っぽいものがあるのだが、造りを見ると低く、切れ目切れ目に集水桝が取り付けられていることから、シラス土が雨水で削られないように設けられたもののようである。

 新城には別の道から車で入り直す。西側は植木屋の畑となっている。東は藪だった。東西の間に堀があるが、終戦直後の航空写真にも溝が写っていることから、林道敷設の際に造られたものではないようだ。






飯野城


左:本丸、右:同左


左:本丸南西縁の土塁、右:物見曲輪


左:物見曲輪の土塁、右:南を望む


左:三の丸を望む、右:本丸と三の丸の間の堀



 本丸とその南下にある物見曲輪はよく整備されているが、他の郭は看板はあるものの藪化して入れなくなっている。






金丸城


左:北東側から、右:同左アップ


左:獣除けのグレーチング、右:拡大



 伐採の最中で、半分以上丸裸になっていた。北東の畑から近づけないか寄ってみると、畑の持ち主が居たので敷地を通させてもらうが、畑の端から先、山がえぐられていて近づけなかった。北東端の虎口や土橋は無くなっているっぽい。

 畑の入り口で、獣除けのグレーチングを見かける。現代の虎口である。






上江古城



 近くまで寄ってみるが、車を置くスペースが無いので通過。





 えびの市は、他に柿の木、畑田、池山の3ヶ所を予定していたが、これまでのえびの市の城郭の状態の悪さから攻略を諦め、2日目の予備としていた伊佐市南部の城郭へと向かう。





太良城


左:北の郭、右:北を望む


左:中央部の堀底から南を、右:中央の郭


左:中央の郭にある穴、井戸にしては小さい、右:北西側



 昭和50年代に一度公園化されていたものの、それから維持ができなかったのか、全体的に藪化しつつある。ただ辛うじて北の郭だけは地元民の散歩コースとして残っている。






湯之尾城



 城郭放浪記の記事に基づいて南からの登り口を探すが、藪に埋もれていてわからず。撤退。北の国道脇から攻めた方が楽かもしれない。





馬越城


左:登り口、右:本丸の西下の虎口


左:本丸、右:本丸と二の丸の間の堀


左:本丸南西の段、右:段上の石碑


左:本丸と南東の郭との間の堀、右:段上の謎のコンクリート基礎



 荒れかけているが、案外登れる。ただ本丸から奥は藪で移動できず。山頂に怪しいコンクリート基礎があった。町内放送のスピーカーでも設置されていたのだろうか。あちこちに軽石が落ちていた。







 馬越城近くのさつまや食堂で昼食。日替わりランチの、桜姫鶏のチキンカツ定食。1430円。肉をしっかり叩いていたので、これまで食べたことが無い柔らかいチキンカツだった。ただ値段が値段なので、値段なりという感じ。




栗野城


左:本丸の虎口、右:同左


左:本丸の虎口、右:本丸


左:本丸を北から、右:二の丸


左:研屋敷丸、右:研屋敷丸の南東下の堀



 公園化されており、中心の3つの郭には楽に入れるが…うーん。荒々しさが無い。本丸にはこの辺では珍しい石垣の虎口が残っている。一応シラス城なのだけど、絶壁度は低い。城の周りの道路が一部で一方通行になっているので注意。





横川城


左:本丸の東の郭を北下から、右:本丸を北東下から


左:本丸東下の堀、右:本丸の東の郭


左:本丸東の郭の北下、右:本丸の土塁


左:本丸の土塁、右:本丸の西下の堀


左:本丸南西下の堀の工事道、右:削りたてのシラス土


左:法面工事、右:南西の郭群



 本丸までは遊歩道が整備されていてアクセスは容易だが、それ以外は藪になっている。ここもシラス城で、絶壁度はそれなりに高い。

 西部に、法面工事の際につけらえた工事道があったので入ってみる。削りたてのシラス土は初めてみた。ここでも軽石が多く転がっていた。





 以上で当初の予定は終了。時間の計りやすい鹿児島まで移動する。




鹿児島城


左:大手門正面、右:裏


左:正面、右:東隅の石垣


左:大手門アップ、右:大手門脇の石垣の弾痕



 令和2年に大手門復元されていたので、それを見に行く。西南戦争時の石垣の弾痕が印象的だった。





 疲労が激しいので、以上で日程を終了する。レンタカーを返却し、鹿児島中央駅へと向かう。




 鹿児島中央駅のむじゃきで白熊を食べる。今回はレギュラーにしたが、歳も歳なのでミニで十分だった。また持ち帰りでジャンボ餅も買ったのだが、新幹線で開けてみるまで、調理後2時間以内にお召し上がりください、とあるのに気づかなかった。3時間経過していた。

 新幹線で広島へ。寝不足もあって疲労困憊で、後片付けを済ませて直ぐに寝る。翌日は普通に出勤。有給が無いと本当に辛い。




総括:

 冬なのに入れない城・郭が多かった。その理由の一つにシラス城特有の絶壁がある。崩れやすいことから、整備されていない郭に物理的に入れない。また藪化している所も多かった。高齢化等で整備に手が回らなくなったのだろうか。それからメンバーの老化に伴う体力減衰もある。昔ほど積極的に藪漕ぎをしようと思わなくなった。また遠征先の決定でゴタゴタがあったせいか、何としてでも全てをまわらなくてはならないという強制力も薄く、「まあいいか」ですんなりと諦めることができてしまった。

 この「まあいいか」で、気分が本当に楽になった。以前なら、事前に調査を厳密に行い10分単位で計画を立て、時間が押せば巻き、昼食はコンビニ飯にして、日の出から日没ギリギリまでまわっていた。しかし今回は、間に合わなければ諦めるか翌日持越しにして、昼食も十分に時間をとって美味しいものを食べた。何か遠征というよりも「旅行」をしている気分だった。
 ただ残念なことに、特に2日目のホテルで十分に睡眠を摂れなかったため、睡眠不足と戦わなければならなかった。目も悪くなっているので、これは本当に辛かった。




戦果
	攻撃対象	28城

	うち 棄権	8城

			20城	攻略



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