但馬丹後丹波 落穂ひろい遠征 その4

令和2年9月19日〜22日



黒井城から




〇9月22日

 午前5時50分起床。朝食は今日もカップ麺とパン。7時に出発。









黒井城


左:太鼓の段、右:石踏の段


左:三の丸南西下の石垣、右:同左


左:三の丸から南東下を、右:二の丸方向を


左:二の丸南東下の石垣、右:二の丸の南西下の石垣


左:二の丸、右:二の丸から三の丸を


左:二の丸と本丸の間の堀切、右:本丸南隅の石垣


左:本丸、右:本丸から二の丸を


左:本丸北下の郭、右:西の丸方向を



 今回の遠征のメインディッシュ。比高250mで夏に登るのはきついかと思ったが、気温が下がっていたことと朝方に登ったことで、案外とすんなりと登ることが出来た。駐車場は南西手前側の方が広く、トイレも無料で使用できる。
 黒井城には大規模というイメージがあったのだが、今回行ったのは黒井城本体のみで、それは比較的小さな石垣の多い城、という感じだった。一番近い西の丸すら行く気がしなかったが、あちこちに散らばっている出城を1日かけて隅々まで回ると、印象も変わってくるのかもしれない。
 また登山客が多かった。登山道も整備され、頂上からの眺めも良いのだから人気も出るだろう。同業者はそれ程見かけなかった。





柏原陣屋


左:長屋門、右:陣屋



 駐車場は柏原高校の南にある。休日だからと言って役所の駐車場に停めないように。
 陣屋と長屋門が残っている。中には入らなかった。観光で行くなら、北隣にある明治時代の小学校校舎であるたんば黎明館、西向いの歴史民俗資料館と一緒に回るといいかもしれない。




 以上で事前に仕込んでおいたネタは全て消化。昨夜慌てて調べた目標のある、小野市・加西市へと向かって南下する。




金鑵(かなつるべ)城


左:堀切に架かる橋、右:堀切


左:内部、右:堀切と橋


左:復元土塁、右:南隅


左:櫓のある出丸へ、右:復元櫓



 夢の森公園として整備されている。櫓や土塁が復元されているのだが、城としての雰囲気を味わえるような造りにはなっていない。






堀井城


左:南面の土塁と堀、右:内部


左:北西隅の土塁、右:北面の土塁と堀


左:東面の堀、右:北西隅の土塁と堀




国土地理院の航空写真(R91-1-52、1948年)

 金鑵(かなつるべ)城へ向かう途中で、県道に「堀井城」という真新しい看板をみつけた。「いこいの広場」ともあるので駐車場もあるだろうと行ってみる。
 内部はゲートボール場と運動広場、周囲の堀はウォーキングコース兼遊水地、そして全体としては史跡という欲張りな場所だった。そうでもしないと建築・維持の予算も取れないのかもしれない。




鶉野飛行場跡近くのレストランで昼食。日替わり定食で、魚フライと鶏のから揚げだった。




鶉野飛行場


左:滑走路跡と防災備蓄倉庫、右:滑走路跡のコンクリート


左:備蓄倉庫内の復元紫電改、右:滑走路のコンクリートの断面

 戦時中の軍用滑走路が残っているのはここくらいだそうである。また地下指揮所や機銃座といった付属施設も色々と残っているのだが、復元紫電改を含め、第1、第3日曜日にしか一般公開していない。地下指揮所や機銃座は事前申し込みが無いと入れない。
 その為、軽く眺めるだけにする。まともに回るなら、自転車を持って来た方が良さそうである。





山下城


左:西側の入り口、右:現地政所の段


左:井戸跡?、右:多用広場


左:本郭、右:本郭から北方向を


左:二の丸の北西の堀切、右:西の郭


左:西の郭の北下の郭、右:それに続く郭


左:大手門近くの郭、右:同左を北西下から



 城域とされている範囲は結構広いが、南側の本郭周辺だけのような気もする。池があるため、藪蚊が多かった。駐車場の位置が分かりづらいが、寺の南下にある広場がそうらしい。





横倉城


左:南面の土塁跡と堀の成れの果て?、右:南面の東側は跡形も無い


左:西面を南から、段差のみ残っている、右:南面の土塁跡を西から




国土地理院の航空写真(MCG611A-C15-9033、1961年)

 横蔵寺の敷地が横倉城となっている。南面の西半分に辛うじて土塁らしきものが残っているだけで、他は地形的な凹凸くらいしか追うことができない。




 以上で遠征の全ての日程が終了。Kさんを加古川駅まで送りに行くのだが、国道2号線は渋滞。何とか加古川駅までたどり着くも、高速道路のICまでも苦労する。更に高速道路でも2度ほど自然渋滞に巻き込まれる。コロナ禍の四連休だったが、我々と同じように遠出した人が多かったということか。


総括:
 遠征の1週間前に来た3つの台風のおかげで、久しぶりに涼しい9月遠征となった。また天気も行軍中は雨に祟られることも無かった。その分、緩めに組んでいたスケジュールが早々に消化され切ってしまい、慌ててネタを仕込む羽目になってしまったが、嬉しい誤算だった。
 今回はとにかく移動距離が多かった。集合から解散までだけでも800q以上移動している。広島姫路の往復を入れると1250qくらいか。移動距離が長いこともあって、なるべく睡眠をとろうとしたのだが、3泊ともあまり良く眠れなかった。本当に眠むたい遠征だった。




戦果
	攻撃対象	34城

	うち 棄権	2城

			32城	攻略



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