美濃伊勢打通作戦

平成28年10月8日〜10日




菩提山城から




○10月10日

打って変わって晴れ。

Oさん親子と合流前に、菩提山城を攻める。






菩提山城


左:登山口に最も近い場所にある堀切(帰りに撮影)、右:二ノ丸の南東下の堀切


左:本丸と二ノ丸の間の馬出し、右:同左


左:馬出しと二ノ丸の間の堀、右:馬出し東から本丸を


左:本丸、右:本丸の東下の段


左:本丸から麓を、右:本丸の西下の郭とその北下の郭


左:その北端、右:同左西下の縦堀


左:南側の郭を分断する大堀切を北から、右:同左を南から


左:大堀切の南側の郭、右:同左の南西下の横堀


左:横堀から出ている縦堀、右:横堀



比高はかなりあり、登る前は腰が引けていたのだが、登ってみると道が良く、それ程の苦痛は無かった。

全体的に良く整備され、また縄張のメリハリも良く、苦労して登るだけの価値は十分にある。





松尾城


左:主郭東辺の土塁、右:北辺の土塁の西側


左:北辺の土塁の東側、右:主郭から北を望む


左:主郭南の虎口、右:主郭の南下の郭


左:南下の郭を北下から、右:更に南、堀切


左:主郭の北西下の郭、右:主郭の西下の郭群


左:西下の郭の南端にある土塁、右:その南下


左:主郭北東下にある郭の南辺の土塁、右:同左東辺の土塁



10数年ぶりの松尾山城。ほぼ記憶に無かったが、ここまで整備されていなかったことは覚えている。

最近の説によると、関が原の戦いの際に、兵站基地として再整備されたらしい。郭の縁に土塁が比較的良く残っているのはその為か。






脇坂陣城


左:何も無い、右:土塁?



史跡扱いされているが場所だけで、遺構らしいものは何も残っていない。





竹中家陣屋


左:門を内側から、右:堀の南東隅を北上から


左:堀の南東隅を南東から、右:北側にある石垣



岩手小学校の北隣にある。
元々は小学校の北半分も敷地だったのだが、小学校建設の際に削られている。





御茶屋敷


左:北辺にある門、右:北辺の土塁と水堀


左:東辺の土塁と水堀、右:どこかの土塁



右:終戦直後の航空写真(国土地理院、R567-No1-192)

航空写真を見ると終戦直後までは残っていたようだが、戦後に西半分を潰して赤坂中学校が建てられてしまい、東半分しか残っていない。
東半分には土塁と水堀が残っているのだが、藪蚊が多くてゆっくり見れなかった。





大垣城


左:復元門、右:復元天守


ここも十数年ぶり
家族連れでにぎわっていた。




時間が余り、大垣城の資料館に行ったり、養老天命反転地に行ったりしたが、それでも余り、日没直後の墨俣城にも行く(写真を撮影していなかった)




岐阜羽島駅で解散。







総括:

今回は体育の日の連休を選んだにも関わらず、前半は雨に祟られてしまった。
ここ最近の天候変動には狂わされっぱなしである。


2日目に、ようやく本来の主目標である、伊勢海道コリドーの居館群を攻めたが、小豪族が多かったこと、また場所が近いこともあり、伊賀・甲賀の居館に雰囲気が似ていた。といって、伊賀・甲賀のような山の斜面を掘って造ったような居館は無かったが。


3日目は念願だった菩提山城に行くことができた。歳をとったせいか、比高が300mを越すものは敬遠しがちになってしまう。半日とってゆっくり登り降りすれば大丈夫なのだが、城遠征だとそうも行かないので困る。

また養老天命反転地も学生だった頃から一度は行ってみたいと思っていたのだが、当時聞いていた物とは違って、大分マイルドな、というか拍子抜けするものだった。ヘルメット必須、というアトラクションは最初の数年だけだったのだろうか。






戦果
	攻撃対象	22城(既に攻略済み 2城)

	うち 棄権	1城

			21城	攻略



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