第一次国東半島包囲戦

平成29年1月7日〜9日




真嶽城から日出城方向を




○1月9日

最終日にして、ようやく晴れる。

ただ昨日までの雨で足場が悪いので、比較的足元の良さそうな城を中心に回ることに。





3日目 作戦地図(GoogleMapを元に作図)




副城


左:北斜面の横堀(上)、右:横堀(下)


左:主郭、右:北下の郭


左:東斜面の横堀、右:同左続き


左:東斜面の畝状縦堀、右:南の堀切



国道387号線沿いにある道の駅「院内」の直ぐ南にある。
公園として整備され、足元が濡れていても困難無く歩けるようにコンクリート敷きの遊歩道も整備されている。堀の凹凸が、掘り直しているのでは、というくらいに良い。





龍王陣屋


左:石垣の全景、右:横から


左:北側の石垣、右:南側の石垣



龍王山の北麓の集落に、陣屋の石垣が残っている。





龍王城


左:主郭西側、右:主郭東側


左:主郭の西下の郭、右:主郭の北にある石垣


左:主郭の東下の郭、トイレが建てられていたようだが崩れている、右:東端の郭



中腹にある神社まで車で登れる。そこから徒歩で10分程。

山頂にはテレビ塔が建っている。その脇に「龍王山児童公園」という石碑があるが…ここまで遊びに来る子供は居るのだろうか?





甲ノ尾城


左:東側の平坦地、右:山頂から麓を


左:西側の平坦地、右:西端付近の堀


左:中央部付近の堀…?、右:東端の土塁と堀



山頂まで車で登れる。公園化されている為に、遺構はわかりにくくなっている。
縄張図には東斜面に10段もの段々が描かれているが、藪に埋もれていて確認できなかった。





日出城


左:移設復元された櫓、右:同左内部


左:櫓から本丸を、右:このトンネルは後のものらしい


左:本丸の東面、右:天守台の石垣


左:本丸の南下、右:同左の上


左:本丸の南の虎口、右:天守台から南を


右:終戦直後の航空写真(国土地理院、R216-158)

駅の南一帯が城域である(戦後の航空写真参照)
最近になって、大正期に民間に払い下げされていた櫓が移築復元されたらしい。櫓が元々あった場所は学校になっているので、隣にある「ふるさと資料館」の駐車場脇に移築されている。
石垣や堀が良く残り、また海に面して景色が良い。





真嶽城


左:主郭中央付近から西を、右:同左から東を


左:壊れかけた鳥居、右:南東方向を望む


左:北東下の平坦地、右:東下の平坦地



山頂まで車道がある。
城の遺構は余り残っていないが、山頂からの景色は格別である。

獰猛なポインター(猟犬)をリード無しで散歩させている人がいるので、襲われないように注意。我々は出くわした時に偶々車の中に居たので、襲われたものの噛み殺されずに済んで良かった。





ここで事前に準備していた目標候補が尽きる。

仕方が無いので昨晩慌てて城郭放浪記から調べておいた大分市周辺の居館・平城を回る。





大分市方面地図(GoogleMapを元に作図)




賀来館


左:碑のある社を南東から、右:東から


右:1975年頃の航空写真(国土地理院、CKU749-C6A-7)

小さな台地の上にある社に碑が建っている。
車を停めるスペースは無い。仕方ないので大きな道路脇にあった消防団の倉庫前に停めて、さっと見てさっと帰った。

1975年頃の航空写真を見るに、この付近一帯が高地になっており、城域はこの範囲かと思われる。





津守館


左:公民館前の碑


住宅地の中の狭い道の脇に、石碑と説明版が建っている。

車を停める場所は無い。





大友上野館


左:南西にある駐車場から、土塁の南面を、右:南辺の土塁を西から


左:南辺の土塁の南斜面、右:土塁上にある碑


左:土塁の北斜面(内部)、右:西辺の土塁と思われる茂み


右:1975年頃の航空写真(国土地理院、CKU749-C5B-7)

住宅地に埋もれてしまっているが、南辺の土塁全部と、西辺の土塁の一部が残る。
西側はそれ程でもないが、南北と東はかなりの高低差がある。大友氏館のように敷地を買い上げて公園化すると面白いのだが、かなりの数の住宅が入っているので難しいだろう。





大友氏館


左:発掘中、右:これから発掘予定?



市街地だった場所を買い上げて、発掘している。
今後、公園化するのだと思われるが、まだまだ先のようだ。





延岡藩千歳館


左:公民館の脇に石碑が建つ、右:神社の奥にある土塁?


右:1975年頃の航空写真(国土地理院、CKU749-C3-22)

公民館の脇に石碑が建つのみで、地形的なものは残っていない。神社の奥に土塁らしいものもあるが、良くわからない。





千歳城


左:公園の南端に石碑が建つ、右:公園


左:西辺の堀?、右:同左


右:1975年頃の航空写真(国土地理院、CKU749-C3-22)

北東部が公園に、残りは宅地になっている。西辺の堀がどうにか残っている。





鶴崎城


左:鶴崎小学校の東門脇に建つ石碑と案内板、右:学校内部


右:終戦直後の航空写真(国土地理院、R216-193)

鶴崎小学校と鶴崎高校の敷地の付近が鶴崎城らしい。
江戸時代には肥後藩の御茶屋が造られており、終戦直後の航空写真を見ると御茶屋の地形と堀跡が見て取れる。現在は再開発されて跡形も無い。






解散地である大分空港へと向かうのだが、この3日間、あちこち走り回ったおかげで燃料消費が激しく、レンタカーのエンプティマークが点灯してしまう。高速道路を走行中だったので焦らされたものの、日出ICで一度降りて給油して、「燃料切れ車両放棄」を実践すること無く空港に到着。

解散後、レンタカーを返し、自分の車に乗ってもう2時間かけて家へ帰る。疲れた。





総括:

当初は、比高200〜400m弱の兇悪な山城が幾つか攻略目標に含まれており、遠征前からげんなりしていたが、悪天候の為に登った兇悪山は小門牟礼城だけだった。
といって、このままと言うわけにも行かず、第二次国東半島包囲戦を興して妙見嶽や烏帽子岳、立石、佐田城塞群といった難物を攻略しなければならない。





戦果
	攻撃対象	30城

	うち 棄権	1城

			29城	攻略



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