播磨但馬丹後遠征 〜遠征は中止! 繰り返す、遠征は中止!〜

平成29年10月7日〜9日



滝雲




〇10月9日

 ホテルの部屋で朝食をとり、ホテルをチェックアウトして播磨新宮まで南下。播磨新宮へと向かう。

 本当は新宮図書館で資料を収集する予定だったが、予定と1日ずれた結果閉館日になっていた。代わりに10日だと開いていない、たつの市立埋蔵文化財センターの方が開いていて、こちらで資料収集。ここで貰った登山マップが役に立った。というか無いと登山道が複雑すぎて登れない。

 10時半くらいから山に入り、14時半くらいに戻る。4時間歩きっぱなしでヘロヘロになる。ポカリスエットを2リットル以上持ち込んだのだが、飲みつくしてしまう。山蔭で携帯の電波どころかAMラジオすら入らなくなった時には心細くなったし、搦め手側の登り道は沢が多く登り辛かった。





城山城(亀山城)


左:唐猫谷の門礎、右:門跡?


左:門跡?を反対から、右:水争い遺称地の石塁


左:水争い遺称地の石塁、右:同左


左:水争い遺称地の石塁、右:同左


左:石積み、右:亀池の堤防の石積み


左:亀池の堤防(外側)、右:内側


左:亀池脇の平坦地、右:東を望む


赤線は古代山城の想定範囲、薄青色は中世城郭の遺構、?は著者の推測


左:亀山の北下の土塁、右:亀山山頂


左:亀山南下の郭群、右:石垣のある郭


左:石垣、右:南東に伸びる尾根


左:礎石建物跡の平坦地、右:同左、礎石


左:北東面の土塁の上から北東を見下ろす、右:同左を内側から


左:亀山山頂の南西下にある石塁、右:同左


左:同上、右:同左


左:門の築石その1、右:築石その2


左:門の築石の北にある門跡?のような窪み、右:同左


赤線は古代山城の想定範囲、薄青色は中世城郭の遺構、?は著者の推測

 亀山は、古代城郭と山岳寺院、中世城郭のハイブリッド遺構である。

 古代山城関連の遺構がしっかりしていた。南西にある門の築石とその南にある石塁は古代城郭のものである可能性が非常に高く、水争い遣称地も古代城郭の石塁のように見える。門跡らしい箇所もあるが、土塁も含めて、発掘調査がされないと何とも言えない。

 逆に中世城郭の明確な遺構は縦堀や堀切くらいしか無い。谷にある多くの平坦地は、山岳寺院のような雰囲気だった。




 姫路まで戻り、レンタカーを返却。新幹線で下関に帰る。歩きすぎて足が痛い。



〇総括

 途中で遠征が中止となることは初めてだった。しかも開始時点から雨で、計画を大幅に練り直すことになったのも珍しい。しかし中止になった結果、なかなか行くことが出来なかった舞鶴方面の防空砲台や特設見張所を回ることが出来た。準備できていなかった為、取りこぼしもあったものの、1人で舞鶴まで行くのはなかなか大変である。

 それから遠征の中止とは関係なく、念願だった播磨城山城(亀山城)に行くことが出来た。数年前から古代山城にも興味を持つようになり、福岡県と山口県の古代山城やそれっぽい場所に度々足を運んでいた。古代山城は発掘しないと判別できないものが殆どだが、それでも想像を膨らませながら未発見の山城をああだこうだと考えるのは、なかなか楽しいものである。




戦果(遠征分のみ)

			7城	攻略



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