肥前肥後筑後 落穂拾い三ヶ国遠征 3日目

令和4年1月7日〜10日



鷹取山手前の道路崩落現場





〇2022年1月10日

 今朝もあまり眠れず。朝食はホテルの食堂でバイキング。手袋は無く、代わりに普通のビニール袋が置かれていた。手袋の代わりに使えということなのか?とは思いも至らず、普通に手を消毒しただけでバイキング。

 午前7時に出発の予定だったが、余りにも暗くて30分延期する。






Google Mapより





谷川城


左:谷川寺の西脇に登り口、右:北西側の郭


左:地蔵と祠、右:2つの郭の間の堀切


左:南東側の主郭、右:主郭の東下の郭


左:主郭にあった謎の構造物、右:同左内部



 谷川寺の駐車場には狭い道を通らなければたどり着けない。また寺の南下の県道脇には駐車スペースは無い。そして城への登り口だが、寺の建物の西側にコンクリートの階段があり、これを登ると北西側の郭までは道が付いている。

 藪に埋もれつつある。郭が3ヶ所あるだけで、目立った防御構造物は2つの郭間にある堀切くらいしかない。主郭と思われる南東側の郭に、直径3m程の八角形をしたコンクリートの井戸のようなものがある。小さ目だが、防空監視哨の聴音壕かもしれない。別途調査が必要。





犬尾城


左:主郭の南下、右:主郭南西下の堀切


左:主郭南東下の堀切、右:主郭


左:主郭北端部、右:主郭


左:主郭西下の畝状縦堀、右:同左



 童男山古墳の奥の林道を進む。途中で未舗装になるものの、それほど悪い道ではない。分岐手前に駐車可能なスペースがある。

 こじんまりしているものの、大きな堀切に畝状縦堀、郭縁の土塁と見どころが多い。持って行った図面が荒かったので、東下の横堀を見落としたのは残念。





鷹尾城


左:東端の大堀切、右:北面の横堀


左:北面の横堀、右:主郭


左:主郭から西を、右:西側の郭


左:北下の横堀、右:横堀の狭くなった箇所


左:北面の横堀、右:横堀の北西に回り込む辺り


左:南へと回り込む横堀、右:南西下に延びる堀切


左:東端の大堀切の北側、右:同左南側


左:横から、右:その西にある堀切


左:大堀切の南側は二重堀切になっている、右:主郭南下の郭



 犬尾城から林道を西に進むと、案内があるので山道に入る。要所要所に案内があるが、脇道も多く、帰りがけにKさんが別な道に入りかけていた。

 郭には土塁すら無いが、その周辺には見事な横堀と縦堀が巡らされている。北下の横堀は、2ヶ所で幅が狭くなっているが、何故そうなっているのかは不明。東端の大堀切の南側の2本の堀切はいずれもエッジが立っており、50年前くらいに掘られたような印象を受ける。土質がそうなのか、それとも戦時中の遺構なのかはわからない。





猫尾城


左:駐車場から主郭部を見上げる、右:主郭東下の堀切


左:主郭南下の帯郭、右:主郭西下の帯郭


左:主郭、右:同左


左:主郭西下の石垣、右:同左


左:主郭西下の石垣、右:同左


左:主郭東縁の土塁、右:同左東下の石垣


左:西下の郭、奥に主郭部がある、右:南西端の二重縦堀



 南西麓から上がる車道は狭いので、東から回り込むと良い。東側の駐車場にはトイレもある。

 主郭+αのシンプルな縄張である。山頂の広い主郭の周りには低いながらも石垣が巡らされている。ただ当時の物なのか神社になった際に積まれたものなのかは不明。図面を見ると南斜面に畝状縦堀が描かれているが、藪になり地形が良くわからなくなっている。





高牟礼城



 時間が無くなったのでパス。最近の豪雨災害で登り口まで寄せられるかどうか不明。




 県道70号線を北上し、耳納山系へと向かう。途中カレー屋に寄るも開店前だったので、コンビニで早めの昼食。寒かったので暖かいおでんや肉まんが美味しかった。食後にほたると石橋の館で粉茶ソフトクリームを食べる。





鷹取城(星野村)


左右:崩落現場



 県道70号線から耳納山スカイラインに入った箇所で、「鷹取山方面通り抜けできません」という看板が置かれていた。「??」となりながらも、とにかく行ってみようと、ひたすら東へと向かうが、鷹取山の直ぐ手前で道路が崩落していた。歩いても行ける距離だったものの、山側は藪になっており、徒歩での接近も無理だったので諦めて引き返す。





発心岳城


左:本丸を西下から、右:本丸


左:本丸、右:本丸の西下


左:本丸の北の郭の北端、右:同左から更に北下を


左:本丸の西下、奥の上の段が本丸、右:東端の堀切



 9年ぶりの高良山系の続きということで期待していたのだが、藪に埋もれて行けない範囲が多く、また草刈りがされていても茅を刈ったまま放置しているので歩きづらく、かつ地形も把握しにくくなっており、残念な感じであった。また駐車スペースも殆ど無い。ただ山登りでここを通る人は多いらしく、そちらの方は充実していた。城としての整備の充実は難しいのだろうか。





毘沙門岳城(別所城)


左:主郭北東下の横堀、右:同左


左:主郭、右:主郭北下の畝状堀切


左:主郭東下の堀切、右:その東の堀切


左:主郭から南西に延びる郭?、右:南西端の郭の土塁



 16年前ぶり。主郭北東下の横堀は相変わらず良かった。郭は狭く、平坦面も明瞭でない。主郭周辺に堀切や畝状縦堀があるものの、あまりメリハリがない。ただ駐車場完備で遭難する心配がないところが良い。





杉ノ城(住厭城)


左:東端の堀切、右:東の細長い郭


左:主郭東下の郭の土塁、右:主郭


左:主郭南西下の縦堀を横から、右:同左


左:畝状縦堀、右:畝状縦堀


左:畝状縦堀群の東端にあるL字型の堀、右:東の細長い郭の北下にある縦堀



 高良山の駐車場に車を置いたまま歩く。こちらも16年ぶり。今回は北斜面の畝状縦堀を端から見て回った。こちらも平坦地は余り明確でなく、言われないと気が付かない。





久留米城


左:本丸の南面の石垣、右:同左


左:本丸南面の石垣、右:本丸東にある門跡

 こちらは9年ぶり。本丸周囲の石垣は見た覚えがあったが、本丸内部に入った記憶が無かった。しかし帰ってから記録を読み直したら、当時も内部を回っている。




 以上で2泊3日の日程が終了。熊本に帰るSさんを久留米駅まで送って行き、それからKさんと新久留米駅へ。スムーズではなかったものの、渋滞には遭遇せずに無事時間内にレンタカーを返却する。次のさくら号で帰るKさんと別れる。


 当初は1716発のつばめ324号(自由席)で博多まで行き、そこからのぞみ56号に乗る予定だった。時計を見ると1740分。待合室から電光掲示板を見ると、1647分発のさくらがあった。席が空いていれば、それで帰ってしまおうと突発的に思い立ち、みどりの窓口へ。次のさくらの指定席を見てもらったら空いていたので、EX予約していたのぞみ56号の予約を取り消しにして、さくら号で広島まで指定を取ってもらった。時間も無いので電光掲示板でホーム番号を確認し、急いでホームへ。数分前にホームに上がって行った筈のKさんを探すが見当たらない。あれ?と思っていたら、反対側のホームにさくらが入って来る。行き先を見ると「博多行」。

 「ホームを間違えた!!」と慌てて戻ろうとするが、すぐに博多行きのさくらは発車してしまう。エスカレーターを駆け下りて改札へ行き、先ほど切符を買った駅員が居たので「乗り損ねた。何とかならないか?」と聞いてみると、「まだ来ていませんよ」と言われる。切符を見てみると、1723発のさくら566号だった。

 どうも、電光掲示板で見た1647発のさくら号(後から調べると、この時間のさくらは無い。時間すらも見間違えたか)は鹿児島行きだったようで、次の博多行きのさくら号は1645発だった。窓口で切符を買った時点で、この1645発は購入が締め切られており、その次の1723発のさくら566号の指定席を買っていたのである。切符を購入する際に発車時間等を確認しておくべきだったのに、慌てていたものだから確認していなかった。結果、当初の予定よりも12分遅れて広島に到着することになった。…まあ、12分遅れなら、乗り換えの手間が省けて良かったのか。ともかく、最後の最後に余計なことをして冷や汗をかく羽目になってしまった。


 広島駅からバスで帰る予定だったが疲労困憊が酷く、少しでも早く家に帰りたかったので芸備線に乗り、駅まで迎えに来てもらうことに。バスで帰るよりも30分以上早く戻れた。本当に疲れた。





〇総括

・念願だった勢福寺城を落とすことはできたものの、鷹取城は今回も落とせなかった。落穂拾いと言いながら、またも稲穂を落としてしまうという結果になった。

・今回は全日程で天気に恵まれ、また筒ヶ嶽城を始めとする2日目のラインナップはなかなかに良いものがあった。鷹取城手前の道路崩落は、残念な反面、ネタとしては最高だった。

・10年前だったら広島から自分の車で往復していたのだが、さすがに歳で長距離運転が辛くなってしまった。

・3泊共に、まともに眠られなかったのは厳しかった。これも歳のせいなのだろうか。

・最後に、今回こそは暴食は止めようと思っていたのだけど、結局暴食していた。結果、あれだけ運動をしたにもかかわらず、3日間で1.5kg太ってしまった。





戦果
	攻撃対象	24城

	うち 棄権	4城

	   再訪	3城

			17城	攻略



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