遥かなる富山 〜飛騨遠征〜

令和元年11月1日〜4日



小鷹利城の紅葉




〇11月4日

 まるで雨が降ったかのように、露で一面が濡れている。




小鷹利城


左:主郭南東下の郭の土塁、右:主郭


左:主郭の南側、右:北下に続く郭


左:主郭西下斜面の畝状縦堀の上側、右:同左を西下から


左:ダート道、右:今回駐車したスペース





 城のすぐ近くまで林道が走っているが、途中からダートになり、しかも夜露で泥濘化していた。四駆でなかったので怖くなり、途中で停めて斥候に出てもらうのだが、先で更に泥濘が酷くなるとのことで、鬼バックで戻る。何とか脇に車を停められそうなスペースを見つけたので、そこに車を置いて林道を歩く。泥濘が無ければもう少し先に広いスペースがある。

 紅葉がきれいだった。畝状縦堀が良く残っているらしいのだが、灌木で覆われて良くわからない。西に延びる尾根を進んでみたものの獣の臭いがする場所があり、その先にあった堀切は諦める。





向小島城


左:養豚場跡地、右:柵の入り口には立入禁止の文字



 GoogleEarthにあった養豚場?が無くなり、基礎だけが残っていた。養豚場跡の北側には柵が設けられ、 2か所のゲートに関係者以外立ち入り禁止と書かれていたため、諦める。




野口城


左:南端の主郭、右:主郭北側、発掘のトレンチの跡が残る


左:主郭北下?の堀切、右:北西の郭手前の堀切


左:北西の郭、右:西下の堀切


左:北の堀切?、右:北東の郭


左:北東の郭の東下、右:北東の郭の北下斜面の畝状縦堀


左:畝状縦堀、右:北東の郭の北の堀切


左:その北の堀切、右:更にその北の堀切?



 麓の住民の方が協力的で、車を停め方を教えてもらったり、色付きのパンフレットをいただいたりした。丁度発掘が終わった直後で、あちこちにトレンチを埋め戻した跡があった。広瀬城で出会ったナイスガイから教えてもらった縦堀のトレンチも埋められた後だった。残念。
 北東にある畝状縦堀がきれいである。





小島城


左:主郭を北東下から、右:櫓台を西から


左:櫓台から南東下を、右:櫓台から西の主郭を


左:主郭下の石垣、右:主郭


左:主郭から北斜面をなめつつ櫓台を、右:西下の石垣


左:石垣、右:石垣





 車でかなり近くまで寄せられる。公園としてよく整備されている上に、所々に残る石垣も良い。ただ体力も厳しく、上の方の郭しか見て回れなかった。




 富山へ向けて移動を開始する。途中、初日に取りこぼした寺林城へ。





寺林城


左:主郭東下の郭、右:主郭


左:主郭西下の郭、右:西端の堀切


左:奥の方の登り口と標柱、右:東麓の標柱



 運良く近くの住人の方から、奥の方から登った方が良いと教えてもらう。城山の東麓に標柱があるのだが、もう少し北西に入ったところにも標柱があり、そこから登る。それでも踏み跡がわからなくなるくらいに登り道がわかりづらかった。
 造作は比較的単純である。




 飛騨方面の目標の攻略も終わったので、一気に北上して富山県へと入る。





猿倉城


左:山頂の展望台、右:展望台から北を


左:西側、右:東側



 猿倉山の山頂。広範囲が整備されて城らしい遺構は跡形も無い。一方で、駐車場からかなり登らされる。眺めだけは良い。





蜷川館


左:東面、右:北面


左:西面の土塁の内側、右:北西角




1947年の航空写真(国土地理院、R438-No1-54)

 北陸自動車道の富山ICの南1.2q。最勝寺の敷地とその北側に郭があったらしい。寺の四周の所々に土塁跡らしいものが残っている。




 以上で飛騨遠征終了。

 富山駅で土産物を購入。Yさんが買うのを見て、白エビの刺身(冷凍)と天ぷらを購入する。刺身が美味しかった。また日本酒の幻の瀧が売られており、せっかくなので買って帰る。

 往きにはあれだけ苦労したが、返りは何の問題もなく戻れた。




総括:
 前日から初日にかけての度重なる交通トラブルのインパクトも大きかったが、あちこちで見かけた熊除けの一斗缶や注意を呼び掛ける看板、そして偶に臭う獣臭さといった、熊に対する恐怖の印象が強かった。交通トラブルも原因はどちらも獣と列車の接触であり、そうした意味では日本の山は獣に占領されつつあるのかもしれない。

 飛騨の城は小規模でも畝状縦堀などの造作のある城が多かった。また造作が甘いところでも、石垣が残っている所が多かった。熊さえ居なければ、もう少し味わって回りたかった。




戦果
	攻撃対象	21城

	うち 棄権	2城

			19城	攻略





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