豊前遠征 〜畝状竪堀と横堀の祭典〜

平成24年1月7日〜9日



馬場城から




○1月9日

窪谷さんが寝坊して、出発が10分遅れる。
遠征で遅刻は珍しい事だが、自分も1年前に、しかも45分も寝坊して1城飛ばしているので遅刻を責める権利など微塵も無い。




中津を出発し、南東へ。県道663号線を東へ進む。




田丸城


左:長久寺の正門、右:東側の堀跡を北から


左:北の池、右:北側の堀跡を西から


左:北西角、右:西側の堀跡を南から



長久寺の敷地が田丸城である。寺の周囲を堀跡が囲っており、また土塁も低くなってしまっているものの多少残っているようである。

城井鎮房が叛乱を起こした際、福島佐渡守鎮充も田丸城に立て篭もるが、黒田長政と吉川広家に攻められ落城したとある。




一つ南の県道664号線まで南下して東へ。途中から広域農道で赤尾集落へ。




光岡城


左:主郭内部、右:航空写真


左:南東の土塁、右:同左から内部を


左:北東にある虎口と土橋、右:土橋から南を


左:南東の堀、右:堀の内壁、所々が石垣になっている


左:南東の堀を南上から、右:南西の堀、少し浅くなっている


南西の堀から北西へと回り込む部分(写真に一部修正あり)


左:北西の堀、右:同左


左:北隅の公園への出入口、右:北東側の堀



日豊本線天津駅の南約4kmの丘陵の上に光岡城がある。現在は公園として整備され、また城のすぐ近くの駐車場まで車で寄せることができる。
単郭の簡単な縄張りだが、深い横堀が城域を一周しており、また草を刈り込んでいるので起伏を楽しめて良い。高知の久礼田城を髣髴とさせる。

詳細は不明であるが、天正8年(1580年)に詰城として使用されたことが記録されている。




ここで折り返し、西へ。
上毛町の、県道102号線と県道111号線の分岐を目指す。




追揚城


左:旧神社の北下の堀切と土橋、右:旧神社敷地


左:主郭の東斜面の竪堀、右:主郭


左:主郭の南下の堀と土橋、右:同左を南上から


左:同上の堀切、右:主郭の南上の郭


左:南端の堀切、右:南上へと延びる道、もしくは堀


左:堀もしくは道、右:主郭西下の二重堀


左:西斜面の畝状竪堀、右:同左


左:主郭西下の二重堀切を西から、右:西斜面の畝状竪堀



廃神社の周辺に堀切や畝状竪堀が残る。堀はいずれも大きく、特に北西斜面の畝状竪堀は幅も深さもかなりあり見ごたえがある。

城井氏の一族、野中鎮兼の臣、内尾兼元の加能松城の出城として築かれたといわれているが(ややこしい)、詳細は不明である。




県道102号線を少し南下。追揚城から約1kmの近い場所に内蔵寺城がある。




内蔵寺城


左:東にある土橋、右:主郭


左:北東の堀、右:同左の外側の堀


左:北東の堀、右:西にある土橋


左:南西の二重堀、右:南の堀


左:南の堀、右:南東部


左:東の堀、右:東の土橋



神社の周辺に堀が「の」の字に回っており、所々が二重になっている。ただ良く見ると薄っすらと窪んだ部分も多く、元々は全周が二重堀だったものが一部埋め立てられて今のようになったようだ。規模こそ小さいものの凹凸が激しく見ていて楽しい。

加能松城の出城として築かれたといわれているが、詳細は不明である。




京築アグリラインという名の広域農道を北西に進み、矢方を回り込んで緒方集落へ。




緒方城


左:南東から、右:南に残る土塁を内部から


左:南の堀跡、右:土塁にある謎の石組


左:北の堀跡、右:西面を北から



南西面の土塁が良く残っている他、北西、北東の段差も追うことが出来る。
近くに住む方の話だと、城を訪ねてここに人が来るのは今年に入って2組目だそうだ。

緒方氏の居城。




佐井川を下り、国道10号線の一つ南を併走する旧道を西へ。




豊前高田城


左:北面の段差、右:西面の段差


左:東面の段差、右:西面の段差を南から



宅地化してしまい、一段高くなった地形しか確認できない。

城井氏の臣下である有吉氏の居城。黒田長政に反旗を翻した日隈氏に援軍を送ったことから、天正16年(1588年)に黒田氏に攻められ落城している。




国道10号線を北西に進み、道路脇のコンビニで食糧補給しつつ移動。
中村から県道232号線を南下し、馬場部落に入る。




馬場城


左:主郭を北東下から、右:主郭


左:主郭の北斜面、右:主郭の南西の堀切


左:南西の郭、右:同左の南西下の堀切


左:南東斜面の堀、右:北西斜面の堀


左:主郭西下の堀、右:同左を北東から


左:主郭北下の堀、右:同左を南東から



公園として整備され、堀切、横堀が芝生となり見ごたえがある。ただ桜の木が植えられているので冬の間でなければ地形を楽しめない。

城井氏の一族である仲蜂屋氏の居城。天正16年(1588年)の豊前一揆の際に黒田氏に攻められ落城した。




再び国道10号線まで戻り、北西へ。
途中から国道58号線、岩丸川の手前で川沿いに西進。バイパスの高架を潜って直ぐに渡河。




広幡城


左:南西から、右:東の消失部分を望む


左:南から、右:北西斜面の畝状竪堀…がある辺り



南側の道を行くと、頂上付近まで車で登ることもできる。
ただバイパス工事で北東半分が削られた上に、公園化された際に地形にかなり手が入っており、さらには西斜面の畝状竪堀も枯れ枝などで見え難くなっており、魅力は低くなっている。

宮内氏によって築かれたといわれている。後に城井鎮房の出城となり、瓜田春永が在城した。しかし瓜田春永は天正15年(1587年)に黒田氏に下り、逆に広幡城攻めの先方となった。




田んぼの中の道をうねうねと走りながら県道238号線へショートカット。
広末集落の西のY字分岐で山方面に進む。途中の林道への分岐で車を降り、林道を歩く。




赤幡城


左:北東側の入り口付近、右:北東の虎口


左:東の堀を北から、右:主郭


左:南の堀と土橋、右:東の堀を主郭から



北からも行けるらしいが、南東から回り込む方が楽である。
南北に長い単郭の城であり、北、東、南に浅い堀がある。北西側が崖になっているが、これが元々の地形なのか崩落もしくは削り取られたものなのかは判らない。

黒田氏への反抗の際に、城井氏によって築かれたといわれている。




以上で本日の目標を全て終了したのだが時間が余ったので、昨日パスしてしまった不動ヶ岳城へリベンジをかけるべく、犀川へ。




不動ヶ岳城


左:北西の横堀、右:北の横堀の折角部


左:北折角部から北へと降りる竪堀、右:北東の横堀


左:南東に伸びる郭、右:南東の竪堀


左:主郭、北東側、右:主郭、南西側


左:主郭から北東の横堀を見下ろす、右:主郭から北隅の竪堀を見下ろす


左:主郭から北西の横堀を見下ろす、右:南西麓から城山を



西麓の神社の北東上の尾根にある墓地から、尾根沿いに南東へと進む。墓から城までの尾根は藪化しているが、距離も短く軍手があれば十分に寄せる事は出来るだろう。
単郭で北西と北東に横堀が回っているだけの簡単な縄張りだが、戦時中の塹壕かというくらいに地形にメリハリが利いていて良い。

城井氏の一族、西郷氏の居城といわれている。大友氏と毛利氏との戦いの舞台となり、永禄2年(1559年)に田原親宏に攻められ落城している。




更に時間も余っていたので、総予備だった等覚寺城へ。
馬ヶ岳を脇に見つつひたすら北上し、行橋平野の北西端から山道へ。




等覚寺城


左:北西端の尾根部、右:同左付近の竪堀


左:北斜面の畝状竪堀、右:北西斜面


左:北の郭、右:同左北端の土塁?


左:東側の土塁、右:西側の土塁


左:南東下の平坦地、右:南の郭



光量がギリギリだったが突入。
大分暗くなった林の中を覗くと、畝状竪堀がハードなビートを利かせているのを感じ取る事ができるのだが、いかんせん暗過ぎである上に枝葉に埋もれて地形を把握し辛くなっていた為に林内への突入は諦める。神社として整備されアクセスもそれなりに良いので、手さえかければ名所になるのではないだろうか。

長野氏によって築かれたといわれている。永禄8年(1565年)に大友氏が長野城を攻めた際に同じく攻め落とされている。




北九州空港1730着。

東京へと戻られる窪谷さんとYさんと分かれて、一人下関へ。
来る時ほど道は空いては居なかったが、あまり渋滞することもなく無事に帰り着く。


一方の窪谷さんとYさんは、乗る筈だった飛行機が急遽欠航となり、代わりに福岡空港からの便へと振り替えられてしまったため、その後もバスや電車を乗り継いでの移動が続き、結局3時間近く遅れての帰宅となったそうである。
折角関東から来たのだから豊前だけでなく筑前にも寄って行けという福岡県の計らいだったのであろうか。次回の遠征地を筑前方面にしなければ、九州方面への転勤などというとんでもないイベントがお二方を襲うことになるかもしれない。






まとめ:

当初は悪天候に見舞われるかと心配されたが、雨が降ることは無かった。

自分は土塁派なので、城攻では自然地形内に残る人工の凹凸をこの上なく楽しみにしているのだが、今回の遠征対象は畝状竪堀と横堀に溢れ、この嗜好に合致していた。
畝状竪堀や横堀は中国地方や四国でも良く見かけるが、豊前の方がその密度が高くなっている。それだけ争いが激しかったということなのだろうか。

豊前方面でも岩石城や戸城山城といった大物を残しており、また筑前・筑後方面も殆ど手付かずの状態である。自然、来年の冬は筑前遠征になると思われるが、その時まで今の職場に居られるかどうか……。





戦果
	攻撃対象	24城

	うち 棄権	1城

			23城	攻略



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