右:原爆投下直後の航空写真(国土地理院、5M220-115W(5M220-1152))
広島駅の北裏にある二葉山山頂付近に高射砲陣地があった。戦後、仏舎利塔が建てられ、公園として整備されてしまい、更に墓地が造られたために、高射砲陣地そのものは消滅してしまっているが、高射砲陣地周辺の兵舎平坦地や、一つ西のピークに機銃陣地、その間の鞍部にある兵舎平坦地等が残っている。
二葉山に高射砲陣地がいつ頃築かれたかについては不明である。二葉山の名前が出てくる最も古い資料は昭和19年6月であるが
[17]、機銃陣地とセットになっていることから、昭和17年から18年頃には既にあったのではないかと思われる。航空写真から判断すると高射砲の砲座数は恐らく4門であり、資料
[29]での被爆時の二葉山の配備高射砲6門という数は誤りではないかと思われる。そして本文でも触れているように、原爆投下前後には二葉山には高射砲部隊は配備されていなかったのではなかと推測している。
二葉山には終戦間際に第二総軍の地下司令部が築かれていた。子供の頃に二葉山の近くに住んでいた勤め先の人の話によると、昔は二葉山のあちこちに地下壕が残っていており、入りこんで遊んでいたそうである。尾根筋の大部西の辺りにも蛸壺が残っていることもあり、本格的に全山を調査すれば、壮大な遺構群を発見できるかもしれない。