東雲 高射砲陣地?
右:7月25日の航空写真(国土地理院、5M335-53S(5M335-9533))
左:8月8日の航空写真(国土地理院、5M220-113E(5M220-1131))
右:8月11日の航空写真(国土地理院、5M223-25N(5M223-9254))
資料
[28]と資料
[29]、そして資料
[30]では、終戦時に東雲付近に高射砲中隊が居たとしている。また資料
[32]では、高射砲部隊なのか照空部隊なのか不明だが、関連した部隊が居た事がわかる。
一方、資料
[37]では、県立師範学校附属国民学校(現在の広島大学付属小・中学校)に高射砲部隊が校舎の1階を使用していたとあるものの、それは昭和20年6月頃からであり(広島への増援が決定したのは7月末である為、6月頃からだと早すぎる)、また別の箇所では、国民学校に駐留していたのは暁部隊の高射砲隊と書かれている。
この食い違いだけでも頭が痛いのだが、困ったことに航空写真を色々と探してみても、東雲付近で明確な高射砲陣地が見当たらないのである。どうにか、8月11日の航空写真にそれらしいものが写っているのを見つけたのだが、割り出した寸法から見ると高射砲陣地としては小さく(円形窪地も内径が5m前後しかない)、更に原爆投下後の8月8日から8月11日までの3日間で工事が進んでいるのである。