足摺岬東部 第2受信所
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全体配置図
第2受信所
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左:Bの南側の土塁を南から、右:同左を東から
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左:Bを北東上から、右:Bから土塁内側を
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左:Bの北西の円形窪地、枯れ枝の下にあるのだが…、右:Bを北から
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左:Bの北から北西方向を、右:Bの北から北方向を
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左:畑Cの中の最大の平坦地、右:Aの西下の平坦地からA方向を、通路の出口がある
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左:Aの通路の出入口を南西から、右:通路を少し入ったところ、北を向いている
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左:通路の折角部を南から、右:同左を北から
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左:方形窪地Aの南側を北東から、右:方形窪地Aの北側を東から
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左:方形窪地Aの全体を北東から、右:Aの東の道上から南を
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左:三角点ピークとの間の斜面に落ちていたアルミ製の食器、右:同左付近にあった碍子
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民間防空監視哨のある三角点ピークから南に下った尾根の鞍部付近に第2受信所跡がある。西下の斜面一帯に幾つもの平坦地があるが(地図C)、この付近は地元の古老Yさんの家の畑跡だそうである。畑を回り込むように林道Eが西下から登ってきて北へと上がっているが、これは戦後に山の木を切り出す為につけられたもので(トロッコ用のレールが敷かれていたらしい)、軍道ではないそうだ。
畑の南東端に、半円形の土塁に囲まれた平坦地Bがある。Bの北西には直径1m弱の円形窪地がある。畑にしては変な形をしているので何らかの軍事施設跡かと思われるが、林道Eを建設した際の残土が偶々半円形の土塁になっただけかもしれず、良くわからない。
畑と林道Eの間に方形窪地Aがある。東西約3.5m、南北約4.5mで、北西隅からクランク型に西へ通路が掘られている。掘っては無いが、内部にコンクリート基礎のようなものは見当たらない。Yさんによると、畑の一番上の方にも陸軍が何かを作っていたという話を聞いているそうで、恐らくはこの方形窪地Aの事を言っているのではないかと思われる。
民間防空監視哨のあったピークと林道の分岐点との間の斜面には、古いアルミ製の食器と、碍子が落ちていた。軍用の印は見つけられなかったが、当時の物である可能性もある。
方形窪地Aの東を通っている道のさらに東の尾根上にも、平行して昔の道らしきものがあるが、途中で藪の中に消えてしまっている(地図D)。またこの周辺には幾つか一重の石垣があるが、畑のものである可能性が高い。
林道Eは、北は蜿蜒と続いており、尾根上に取り付いてからも途切れる事も無く(藪に埋もれている場所は幾つかあるが)、標高320m付近までは追っていったがそれらしいものは無く引き返した。西下はしばらくは続いているものの、別の林道を作る際に大きく斜面を削られてしまい、行き止まりになってしまう。海軍の遺構跡から尾根沿いでないとアクセスは難しい。
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